![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/b9/f4e0ab3f91555e8d78292429a2dbe48d.jpg)
(美江寺宿の名所・遺跡図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/fc/62e5fb05511f9bae0acb5b793fedcfc6.jpg)
(美江寺東口のバス停)
(美江寺宿2)
踏切から数十歩行くと、
右手に(美江寺東口)のバス停があり、
旧中山道の案内看板も立っている。
道路わきには「美江寺宿の名所・遺跡図」案内看板もある。
少し行くと右手に「美江寺一里塚跡」の碑が建っている。
その手前を北に入ると、亀頂山 瑞光寺がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/8f/36b8ce1059b135271927d1e52a965f42.jpg)
(美江寺一里塚の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/38/955d2d4041bcd1fefd90ce1e1d277b8b.jpg)
(亀頂山 瑞光寺)
ここは美江寺宿本陣の主 山本友佐坊の菩提寺であり、
友佐坊は芭蕉門美濃派のお弟子さんでもある。
その関係で亀頂山 瑞光寺山門前には、芭蕉とその門弟の句碑が建つ。
山本友佐坊句碑
・影も匂ふ かと おもわれつ 梅に月
各務於菟句碑(芭蕉門人)
・時雨る々や あるかなきかの 石のこえ
芭蕉句碑
・旅人と 我名呼れん 初時雨
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(山本友佐坊句碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/45/3f7c90b23da8ec0b7a673137a55f3179.jpg)
(各務於菟句碑)
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(芭蕉句碑)
少し歩くと(美江寺)の信号があり、
その右手に美江神社の石の鳥居がある。
境内に入ると右手に「中山道 美江寺宿跡」の石碑があり、
説明案内板もあるので、しっかり読んで置きたい。
その先に高札場が復元されている。
高札場は、本来宿場の決まりを伝えるものであるから、
以前は通りに面した所にあったに違いない。
高札場には六枚の高札が掛けられていた。
内容はどこの高札も同じで、
忠孝を大切に、キリシタンの禁止、人馬の駄賃の取り決めなど、
幕府や領主が決めた掟書などを知らせた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/9d/47bcb10555657418743fe525104d885c.jpg)
(美江寺の信号)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/6e/bb76a36b471fe148476b93fcd86f6bfd.jpg)
(美江神社)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/96/94637cc54f65192f8e8bbcbe92d2338f.jpg)
(入って右側の美江寺宿の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/95/2a547980c1e207dec8efa333ebde1fd8.jpg)
(右側の高札場)
左手には神社の本殿があり、
その前を通り奥に進むと、美江寺観世音堂もある。
お堂前に二つの引き出しがあり、
「どうぞご自由にお持ちください」とあるので開くと
(歴史の道・中山道 美江寺宿)と(美江寺宿 マップ)とがあるので、
賽銭をいれ頂戴する。
ここでは美濃最古の天平仏、十一面観音立像があったが、
斉藤道三時代に現在の岐阜美江寺に移された。
今は、美江寺城の和田家に伝わる観音像が祀ってある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/b7/ad1be97902d277586bdfcdef2df59f73.jpg)
(左側の本殿)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9d/db893f517b81a24b861e9c96492e7eee.jpg)
(左奥の美江寺観世音)
美江神社まえで、最初の枡形を左折、すぐ右に和田家、
これは美江寺城主和田氏の末裔と伝えられる。
その先左手に本陣跡の碑があり、
商人宿が右手に、その先突き当たり辺りが、
広重の浮世絵「木曽海道69次之内 みゑじ」を画いた所という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/bf/df43bfa002e646d6fd73d10a152c6686.jpg)
(元美江寺城主の末裔和田氏の家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/c0/79df2dcc0eda683e03b1dc03c0462c5c.jpg)
(左手に本陣跡の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/90/a79a70e8ea6ea065e0a1849e85d404e7.jpg)
(商人宿、今で言うビジネスホテル)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/27/6f028b918523457d91fdd3aeeb2d66dd.jpg)
(正面が広重の浮世絵を描いた場所といわれる所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/02/695ef9a6c94cf3e37fe1338586c4e9cf.jpg)
(広重画く「みえじ」)
この2番目の枡形を右折してすぐ左手に石標があり、
「右大垣 赤坂ニ至ル」
「左大垣 墨俣二至ル」とある。
石標を左に見て、進むと右手に「美江寺千手観音堂」がある。
お堂の中には石造りのこちらは千手観世音像が祀られている。
また、お堂の先には「新月橋」があり、
この橋は、寛文7年(1667)に寄付金で築造されたという記録が残ったいる。
周りは富有柿の産地らしく柿の畑が見渡せる。
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(右大垣の石標)
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(千手観音堂)
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(石造りの観世音)
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(新月橋)
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(富有柿畑)
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(周りは富有柿の畑)
道路はその先で突き当たりの枡形、
ここに「千躰寺」があって、
瑞穂市教育委員会の説明によると、
(――前略――千躰寺には高さ12cm~23cmの
ヒノキ材一木造の阿弥陀如来立像、千躰が八段に並べ祀られている。
仏像は千躰仏と呼ばれ、寺の名の由緒となった。――後略)とある。
この案内看板の隅に千躰仏の写真が出ていたので、パチリと写真。
千躰仏が安置されているというが、
確かめることは叶わなかった。
千躰寺の前で、最後の枡形を左折。
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(突き当たりの千躰寺)
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(千躰仏を見ることができなかった千躰の仏様、
看板の写真です。本物を見たら感動するでしょうね)