(和田峠の下り坂、白い杭が案内役となる)
(下諏訪宿)
古峠を過ぎると、山道は下りに入る。
上り坂が急であれば、下りはもっと急な坂道である。
下諏訪側の道路案内は、白い杭で案内される。
道は人一人入れ違うことさえ難しい狭い道で、
しかも直径二センチ前後の砂利を敷いたような道になる。
一歩踏み降ろすたびに、足はずるずると滑り、歩くことがとても難しい。
山を登るときは、「踵(かかと)で登る」。
つまり、足をシッカリ土に密着させ、ひざを伸ばすことで体を一歩持ち上げる。
そんな歩き方をすると疲れが少なくてすむと、
学生時代登山部にいた友人からアドバイスされた。
そのせいか、登りはさして苦労なくすいすい上がってきた。
しかし、山の下り方については、何のアドバイスも貰っていなかった。
考えてみれば、上りの逆の歩き方をすれば下りは楽なはず、
勝手に決めて「踵(かかと)」で降りる。
ところがどっこい、「踵(かかと)」で降りると砂利でずるずる足が滑っていく。
スキーやスケートと同じで、体重を後ろにかければ滑りやすくなり、
下るのが危険である。
ということは、逆にすれば問題なさそうと、
つま先から着地し、踵が着いたら、ひざに体重を乗せ曲げると、
今度は比較的楽に下りることが出来た。
とは言え一段、いや一歩降りるのが急すぎて、
できれば四つん這いになりたい位である。
上りなら四つん這いも出来るが、下りではそうは行かない。
滑る足元を見ると、靴一足しか置けない路が続く。
夫婦で山登りをして帰り道足を滑らして、
20メートル下の谷に滑落して大怪我をしたと、ニュースなどに報じられるが、
こんな山道でも一歩間違えば、すぐニュースになりそうである。
そんなことをカミサンに話しかけながら、注意して降りていく。
(水のみ場、いつも水が出て湿度が高いのであろう地蔵様にコケが着いている)
いくつか曲がり下ると「水呑場」案内のあるところに出る。
苔むした地蔵様が立っており、その脇に水が流れ出ている。
飲める水であろう。
地蔵様の姿は、大阪の法善寺横丁にある水掛け地蔵を思い出す。
「水呑場」から少し下ると「石小屋跡」にでる。
(石小屋跡の石垣)
石を組んだ形跡がある。
「昔、山道が急で旅人も馬とも疲れ、風雪のときは難儀を極めた。
下原村の名主・勝五郎は避難場所と荷置き場を作ろうと、
郡御奉行所に申し出て、馬士の出金、旅人の援助を仰ぎ、
五十両ほどで石小屋を建てた。
大きさは石垣から庇まで2.3m、長さ55mという大きなものであった。」
(下諏訪教育委員会)
下諏訪側から登れば、降りるのが大変なくらいであるから、
相当急な坂道で難渋であったろうと推察される。
(車道を横断した急な下り)
路は曲折してなおも下るが、途中より道路は水路となり、
水路の両端のどちらかを滑らぬように熊笹に掴まって歩く。
水辺には蚊や虫が発生しており、
汗の体をめがけてブーンと寄ってくる。
虫除けのスプレーをかけているが、襟首などをタオルで叩きながら進む。
何度か舗装道路を横切り下っていく。
一昨年の夏、蓼科に避暑した後で諏訪神社によるために
車で通った道を何度か横断した。
車で走ったときは、
旧街道左の看板を見てこの下はどうなっているのだろうか、
旧街道をいずれ歩くときは、この下の熊笹の中を歩くことになると、
覚悟はしていたが、これほどひどいとは思わなかった。
(朽ちた大木をくぐる)
やがて大木が倒れて路を遮断しているところへ出る。
それを潜って、なお進むと少し開けたところへでてくる。
その先に西餅屋跡の草の茂る小さな広場(?)へ出て来る。
これで山道は終わりのはず。
伸び放題の夏草の中に「西餅屋茶屋跡」の碑が、ポツンと建っていて、
芭蕉の句を思い出させる。
「夏草や つわものどもが 夢のあと」
(急な下り道)
(西餅屋跡)
西餅屋跡は下諏訪町文化財となっており、
説明に
「西餅屋は江戸時代中山道下諏訪と和田宿の
五里十八丁の峠路に設けられた「立場」(人馬の休憩所)であった。
中山道は、江戸と京都を結ぶ裏街道として重要視されていた。
ここは茶屋本陣の小口家と武居家、犬飼家、小松家の四軒があり、
藩界にあったので、時には穀留番所が置かれた。
幕末の砥沢口合戦のときは、高島藩の作戦で焼失されたが、現在は、
道の「曲乃手」(直角な曲がり)と茶屋跡が残っている。」
(下諏訪町教育委員会)
なるほど、目の前左右に国道142号線があり、
旧道は西餅屋跡から国道を横断して直進するのであるが、
危険なため通行禁止になっている。
やむを得ず国道を右折して、歩道の無い車道を歩くことにする。
国道は長い上り坂で、大型トラックがエンジン全開の音を立てて走り抜けている。
(53番目の一里塚はこの下にある)
道路わきに立つと道の向こう側に看板があり、
(「中山道の一里塚」この下にあり)の看板が目に入る。
日本橋より53番目の一里塚である。
見るとガードレールの切れ目に通行止めの縄が張ってある。
危険なため国道142号線に沿って歩く。
ボクたちは下りであるが、向こうから来る大型トラックは、
長い上り坂の登坂車線を、アクセル一杯にエンジンがうなりをあげて進んでくる。
歩道の無い道は身に危険を感じるが、
トラックの運転手は心得たもので、
すれ違う手前から車線を中央側に避けながら走って行く。
遠くから来るトラックが併走してくるときは、車は避けようが無いので、
ボクたちが一時止まって、トラックの通過を待つ。
さもないと風圧で、トラックに巻き込まれそうになるからだ。
およそ3kmほど歩道の無い国道を大型貨物車を避けながら歩くと、
左側に「浪人塚左へ0,3km」の案内看板が出てくる。
旧道は左のわき道に入る。
その先で国道142号線をくぐり、出た所に浪人塚のある公園に出る。