![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f2/b179bc1d8167f5ec52224e2ab5882397.jpg)
(木曽の難所、木曽川に沿った約3kの道路)
(柿其橋から三留野宿まで)
2010年5月13日(木)快晴。放射冷却現象で気温が低く13/6℃の予定。
2010年最初の中山道の日。日本橋から通産33日目。
今回は、妻後宿、馬籠宿、できれば足を伸ばして中津川宿までを歩く予定。
外国人にも有名なこの二宿には、
日本の江戸時代の歴史の面影がある古き良き街並み、
加えて、島崎藤村の「夜明け前」の世界が広がる。
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(木曽谷の幽玄の世界)
朝4時に起きて、東京駅6:26発の新幹線で名古屋へ。
名古屋駅8:31発中央西線で中津川駅。ここから普通電車に乗り換え、
「十二兼」駅に10:36到着。
「十二兼」駅までの切符を買う時、切符売り場のお姉さんから、
「駅名は何と読むのでしょうか?」と聞かれたので、
次のように答えた。
「十二兼(じゅうにかね)と読み、中央本線西線にある駅です」と。
そのほど知られていない駅である。
もっとも駅舎にはトイレと寒さしのぎの待合室があるだけで、
全くの無人駅である。
「十二兼駅」には、駅設立40周年の記念碑があるが、
♪汽笛いっせい新橋を・・・の歌から言えば、
まだまだ新しい駅なのである。
駅は山肌に沿ってあり、道路から見れば二階の高さにある。
そんな位置に駅はあるので、電車を降り、
プラットホームからお手洗いと待合室の横を通り抜け、
階段を十数段下り立って道路にでる。
これがそのまま旧中山道である。
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(階段の上のJR十二兼駅)
「十二兼駅」を出て、中央線に沿って、名古屋方面に戻るように歩き出す。
駅前にお店があるわけでなく、ぽつんぽつんと民家はあるが、
何時から無人になっているのか、玄関や壁伝いに草が伸び放題になっている。
道を下ると左側に石垣があり、その上に竹薮がある。
このあたりに一里塚があったと案内書にあるが、見当たらない。
ただ地蔵様か道祖神か、石造物が二体あり、近隣の方が管理されているのか、
花生けが前に置かれ、生けられた花があったが残念ながら枯れていた。
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(竹薮の石垣手前にある石造物)
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(道祖神?お地蔵様?)
十五分も歩くと右手の木曽川に架かる柿其橋が見えてくる。
「南寝覚」と地元の方が自慢の景色が目に映る。
川床にある白い大小の石の姿と水の流れが織り成す景色は美しい。
別名河原峡と呼ぶそうである。
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(柿其橋)
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(南寝覚とも言う美しい木曽川)
橋を右に見て木曽川に沿って進むと、200mほど先右側に小公園があり、
そこに「中川原明治天皇御小休所」と「御膳水」の碑が建っている。
小公園のある場所が南木曽町中川原という地名である。
南木曽町の説明によれば、
「明治天皇は各地を御巡幸されたが、
木曾へは明治十三年(1880)山梨から木曽路に入り、
6月26日は福島泊、翌27日は」寝覚で御小休み、
須原 定勝寺でご昼食、中川原で御小休み、
その日の行在所(あんざいしょ)は三留野本陣であった。
ここ中川原には夕方にお着きになり、
羅天(らてん)の難所を前にして、
桜井太郎宅においてしばしの休憩を取られたという。――後略」
ここで言う「福島泊」とは「木曽福島」を、
「寝覚」とは「寝覚ノ床」を、「須原」は「須原宿」を指している。
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(小公園)
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(明治天皇御小休所の碑)
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(合流した国道19号線、地名は羅天と書かれている)
旧中山道は少し先の信号で国道19号線に合流する。
信号で右折して国道19号線右脇の歩道は、
左側の山肌に中央本線、その下に19号線があり、
その右側は深い木曽川が流れている。
歩道は木曾の桟(かけはし)といわれる長い懸崖の造りになっている。
これが南木曽町の説明にあった「羅天の難所」を指している。
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(木曽川にせり出している歩道(桟)
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(木曽川に沿って懸けられた羅天橋)
橋はもともと川を跨いでいるが、桟(かけはし)は川に沿って懸かっている。
その歩道のおよそ3kmの桟を「羅天(らてん)の桟」とも言い、
実際には「羅天橋」と名付けられている。
左右を山に囲まれた渓谷は新緑の中、好天に恵まれ、
この上なく美しく感じられた。
百聞は一見にしかずといいますが、
つたない描写力の写真を掲載しますが、
その感激をお伝えすることが出来たでしょうか。
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(山にはさまれた木曽川は美しい)
また文章では、この「羅天の難所」を
島崎藤村がその作品「夜明け前」の冒頭に
次のように書いている。
「木曾路はすべて山の中である。
あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
東ざかいの桜沢から、西の十曲峠まで、
木曾十一宿はこの街道に添うて、
二十二里余にわたる長い谿谷(けいこく)の間に散在していた。
道路の位置も幾たびか改まったもので、
古道はいつのまにか深い山間(やまあい)に埋(うず)もれた。」と書いている。
ここに記されているように、
当時の木曾十一宿は贄川宿の桜沢から、馬籠宿の先、
現在の十曲峠「落合の石畳」が終わる所までを言ったようである。
現実に戻って、今歩いている道路――
山間(やまあい)を行く国道19号線――は交通量も多いが、
自動車の運転手には単調な道路で眠気を誘うらしく、
僅か3kmの間に居眠り防止装置が付けた信号機が、
目覚まし音を響かせているのが、
昔を想い歩く旅人には無粋に思えた。
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(目覚まし音を響かせる信号機)
やがて左手に別れる道路が口を開けているのが見える。
案内に(与川入り口)とあり、
与川村へ通じる道路の入り口である。
木曽川沿いの中山道が水害で通行止めになった時、
迂回路として三留野宿から野尻宿へ峠越えをする道の、
途中にある与川村へ抜ける道路への入り口である。
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(与川村入り口)
与川には「木曾八景」の一つ「与川の秋月」が見られるという。
この地で眺める仲秋の名月は、周囲の地形とあいまって、
とても大きく観えると言います。
現在では、「歴史の道中山道(野尻~落合)」として、
与川道は南木曾散策モデルコースに指定されています。
仲秋の名月を見計らって、一度木曾八景の名月を観てみたいものです。
さらに進むと右手に数件の民家がある所に出るが、
そこから約300m先に県道264号線左の案内看板が歩道上にある。
道路の反対側を見ると左脇に登り坂を行く道が見えるが、
これが旧中山道である。
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(県道264号の案内と名古屋から104k2の標識、道路の向こう側に脇道が見えこれが旧中山道)
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(左脇の路を進むと剣道264号線の標識があり安堵する、左側にJRガードがあるように見えるが、ガードはかなり先にある。)
左脇に行く道路が少し分り難い。
国道19号線のガードレール上に104K2の標識がある所で道路を横断する。
大変交通量が多いので、横断する時は左右に十分注意をしてもらいたい。
左脇の道は登り坂になっており、これを約300mも行くと、
左側を走る中央本線のガードに出るので左折してガードをくぐる。
道は急なのぼり坂になり、すぐ牧ヶ沢川に架かる橋を渡る。
これを進めば三留野宿に入る。
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(牧ヶ沢川の橋)
木曾のかけはし、旧中仙道の昔の苦労がいかほどだったか、とても感動いたしました。
とても、参考になりました。ありがとうございます。
旧中山道を完歩するのに50日、通算9年かかりました。
>馬籠峠から妻籠まで下ってきました。
それでは、男滝、女滝をご覧になりましたね。
妻籠城址はお出でになりましたか?
外国人女性がハイヒールで登って居ましたが・・・・。