(ススキが晩秋を)
(野尻宿 2)
高札場を過ぎてすこし進むと、左手に本陣跡の標柱があるが、
雨風に洗われて、かろうじて判読が出来る程度で、
その横に明治天皇御小休所の石碑が無かったら、
本陣跡とはとても読みにくい。
野尻宿の特徴として、外的を防ぐため道筋が曲げられており、
「七曲り」として知られていると言う。
そのため宿場を右に左にとカーブして進み、
やがて左手に「はずれ」と称する屋号の家が見える。
これが西のはずれというから、きっと東の「はずれ」もあったに違いないが、
見落としてきた。野尻宿はこの「西のはずれ」で終わる。
(本陣跡の案内?)
(明治天皇小休所の石碑)
(左へ右へ道は曲がる)
(西の「はずれ」の家)
(その先の右折道路)
その先で右折道路に出会うが、右折せず直進する。
やがて「上在郷橋」に出るが、注意を怠っていると見落としてしまう。
ボクはその見落としをしたそのオッチョコチョイの一人であるが、
案内書では、橋の手前右手に消防団が、
橋を渡った先の左手にカーブミラーがあるとあるが、
消防団の建物は、物置小屋のようであり、
橋の先のカーブミラーは、
どこを向いているのか「あらぬ方向」を向いており見落としてしまった。
行過ぎて、かなり歩いてから、地元の人に会うことが出来たので、
橋の場所を聞くと、
相当来てしまったらしい。
「戻るのも大変だから、目の前の道を降りていけば
中山道に出るから、その道に沿って左に行くと良い」というが、
途中で出会う中山道が、ドレかわからないので、
丁重にお礼の挨拶して、元来た道を戻ることにした。
消防団の小屋を見つけ、振り返るとなるほど橋らしきものが見える。
これが「上在郷橋」である。
解りにくい「上在郷橋」を見つけ、橋の先を右折する。
坂道を下り、線路沿いを歩くと、右へガードをくぐるか、直進するか、
この先「蛇抜け沢」の案内があるところに出る。
線路沿いに進んだほうが良さそうな道が先に伸びているが、
ここはぐっとこらえて右へガードをくぐる。
(消防団の小屋)
(解りにくい「上在郷橋」の先を折れる)
道路はすぐ右へ大きくカーブしている道と
直進は民家にぶつかり左へ折れる道になる。
真ん中にカーブミラーがある。
左へ折れる道はどう見ても、民家の庭先のように思えるが、
案内書では、その庭先のほうへ行くようになっているので左折。
間違いなく庭先で、とても写真を撮る余裕が無く、
そそくさと庭を通り抜ける。
(右に行きたくなる道路。ここは左へ)
(民家の庭先へ)
何軒かの間を通り抜けて、広い通りに出るが、厄介なことに、
「右に行くべきか、左にすべきか、それが問題」と
ハムレットの悩みで頭を抱える。
まさに判断しかねる所へ出る。
右は道路が下りに、左手を見れば、
どうやらJR中央本線のように見える。
踏切に出ると「旧第3仲仙道踏切」とあるので安心する。
踏切を渡ると道路は左へカーブしていくが、
右手に案内があり、「線路沿いに簡易舗装の足場の悪い道を進むように」とある。
(右か左か悩む道)
(旧第3仲仙道踏切)
(踏切を渡ったらすぐ右へ)
線路沿いの簡易舗装の道は、やがて踏み切りに出て、
渡るとすぐ左折する。
第13仲仙道踏切と書かれている。
線路と道路は山に囲まれ、先にも山がある。
続いて線路沿いを行くと、
道路わきはススキが穂をたれている景色が続く。
第14仲仙道踏切を渡り進むと国道19号線に合流する。
国道に出たら、歩道に沿って橋を渡り、
ガードレールの切れ目から道路を横断する。
横断歩道もなく、車の行き来が激しいので、
横断には十分注意が必要である。
(簡易舗装で線路脇の道路)
(踏み切りは「第13仲仙道踏切」とある)
(さらに線路脇を歩く)
(次の踏み切り「第14仲仙道踏切」)
(「南木曽町」の看板下を横断し奥に見えるつづら折れの坂道を登る)
南木曽町の案内看板下で道路を横断し終えると、
道路はつづら折れに登り坂になる。
十二兼の村に入り、少しして道はY字路になる。
右は民家の庭先のようで、進むのに躊躇するが、右に入る左隅に、
小さく「右中山道」の案内がありホッとする。
民家の玄関先を抜ける感じで、下り坂を行くと先に石造りの鳥居が見える。
熊野神社である。
(ここは民家の庭先へ行く)
(熊野神社の鳥居)
(国道19号線で(十二兼北)の信号)
坂を折りきると国道19号線で(十二兼北/じゅうにかねきた)の信号に出る。
本来は道路を少し戻り、迂回路の案内に従って、
地下道をくぐるのが正しいようであるが、
疲れた足には、面倒に思えたので我がままを押し通し、
信号で道路の反対側に進み、右手の「JR十二兼」駅に出る。
無人駅で柵の間からホームに出て、歩道橋を渡って駅の改札口へ出るが、
駅舎は二階にあるような高さで、
道路に出るには高い階段を下りなければならない構造になっている。
(「JR十二兼」駅の柵で入り口ではない)
(反対側道路から見た「JR十二兼」駅駅舎は二階)
利用しようと思っている登り電車の到着まで、小一時間ある。
たまたま地元の方が下り電車を待っておられたので、
近くに在るはずの柿其橋までどのくらいあるか訊ねると、
「今そちらから来たが15分ほどですよ」という。
お礼を言って、電車が来る時間までを有効利用しようと、
柿其橋に向かう。
疲れて居るはずなのに、下り道を軽快に歩く。
しかし、なかなか柿其橋を見つけることが出来ない。それどころか、
木曽川そのものさえ見つからなくて、だんだん不安になってくる。
田舎の人は健脚で、15分はボクの足よりはるかに早いらしく、
相当下ってからやっと木曽川と川の向こう側の橋の袂が見えてきた。
さらに坂を下ってやっと目当ての柿其橋に到着する。
この先三留野宿まで3kmほど木曽川べりの国道19号線を歩くことになる。
「寝覚ノ床」に似た美しい川の景色が見える。
(柿其橋に向かう下り坂、柿其橋が奥に見える)
(柿其橋)
(柿其橋2)
(柿其橋から望む南「寝覚ノ床」と言われる木曽川の景色)
島崎藤村が「夜明け前」の序の章で書いた、
「木曾路はすべて山の中である。
あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。・・・後略」
の中の崖の道が続いているところである。
確かに今見る、木曽川の向こう側は深山幽谷で、
欝蒼とした深い森の中で枯葉か粗朶を焚いているのか、
立ち上る一条の煙を見ると、
山の中の木曽路の雰囲気が良く理解できる。
(柿其橋の向こう側の森の煙)