(落合の市街地を一望にできる場所)
(落合宿 2)
医王寺を出て道なりに右にカーブして下って行くと、
中津川市街地が一望に見渡せる場所に出る。
さらに進むと下桁橋がある。
ここが広重画く浮世絵「落合」で、
この橋が入った図である。
(広重画く浮世絵、木曽海道69次之内「落合」)
(医王寺をでての下り道、先に下桁橋が見える。)
橋の少し上流に、小さな滝(?)が見える。
ここでほっと一息ついていると、
河原に人の顔のように見える石を発見した。
「人面石?」
疲れていたせいか一人で勝手に合点して、とても面白いと思った。
(下桁橋から見た滝?)
(人面石?)
その橋の先で、道祖神など石仏が数基並んでおり、
左から来る道と合流する場所で、
その合流地点に石の道標がある。
左から来た道は飯田道とあり、
右へ行くと落合の市街地に入っていく。
やがて国道7号線を交差する場所に出るが、
その交差点手前の左側に
「落合宿高札場跡」の石碑が建っている。
ここから落合宿に入る。
(石造物群)
(庚申塔)
(庚申塔2)
(石標、京都側から見て、右飯田道と読める)
(落合宿高札場跡の碑)
(バス停」木曽路口」)
国道7号線を渡った所がバス停「木曽路口」で、
名古屋からのハイカーの皆さんに出会ったが、
皆さんはここでバスを利用し「JR中津川駅」にお帰りという。
ボク達はここからさらに中津川宿まで歩くと話したら、
ハイカーの皆さんは「健脚だ」と驚いていた。
(秋葉様の常夜灯)
国道7号線を渡り「落合宿」に入る。
すぐ右手に「秋葉様(*)の常夜灯」がある。
(*)秋葉様とは火除けの神様秋葉神社を指す。
案内に寄れば、
(この宿場の通りに面した常夜灯は四基あり、
火の用心で夜回りをする当番により点灯され防火を祈ってきた。
明治になってからは、
道路整備に伴い他の三基は他所に移設されたが、
この一基だけ街道の隅に寄せられ、
往時の姿を留めている。)という。
(落合まちづくり推進協議会)
三基のうち、一基は善昌寺境内に、
残る二基はおがらん公園の愛宕社に移されているとのこと。
常夜灯の前を右折して、落合宿の中心に入って行く。
少し先の左手に落合宿脇本陣跡、
その先右手に落合宿本陣の立派な建物が見える。
本陣の門前に「明治天皇落合宿御小休所」の石碑が建っている。
また、この本陣家の門は加賀藩 前田家から贈られた貴重なものであるという。
加賀藩の前田家から贈られた門は、大宮宿
(http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2005/05/ustrongstrongu_7e10.html参照)にもあり、
何故前田家が門を贈っているのかは解らない。
(何時になるか解りませんが、あとで調べてみたいと思います。)
(脇本陣跡の碑)
(落合宿本陣の全貌)
(加賀藩前田家から贈られた本陣の門)
(明治天皇落合宿御小休所の碑)
落合宿本陣の先の左側に「大釜」が置いてある。
「落合宿助け合い大釜」と称するこの「大釜」についての説明では、
(文久元年(1861)、皇女和宮の大通行時には、
四日間で延べ約二万六千人が落合宿を通りました。
当時暖かいおもてなしをするため、
各家の竈は引きも切らず焚き続けられたといわれてきました。
ここに展示してある「大釜」は
「寒天」の原料(天草)を煮るときに使用されたもので、
容量は千リットルを越えます。
日本の食文化を支えてきたこの煮炊き道具を後世に伝え残すと共に、
この釜を今に再利用するため、
「落合宿助け合い大釜」と命名し、
さまざまなイベントに利用しています。
落合宿祭りなどには、「千人きのこ汁」を作り、
多くの方々に振舞う「ふれあい」活動を推進してきましたが、
この活動は落合宿の人々が古くから旅人に対して
礼節を重んじてきたことに由来します。
「大釜」と共に手押しポンプを備えた井戸も設置され、
この大釜と井戸は緊急時に利用できると共に、
防災意識を高めることに役立っています。)とある。
(落合宿たすけあい推進協議会)
つまり、皇女和宮御通行の折、
夜を継いで炊き出しを行った「おもてなしの精神」が
今の世にも受け継がれ、
最早 役立たなくなった大釜を再利用して、
その「おもてなしの精神」を後世に伝え残そうと、
「千人きのこ汁」を振舞っている。
とボクは解釈した。
(大釜)
(善昌寺の「門冠の松」車に削り取られるのか注意のガードがしてある、)
その先右手に善昌寺があり、
境内から伸びた松の幹が街道に覆いかぶさるように伸びている。
善昌寺の「門冠の松」と呼ばれている。
(その名の通り創建当時山門を覆っていたことから名が付いた。
道路拡幅整備などで根が痛めつけられ、
450年の年月を経ているにも拘らず、さほど大きくなく、
宿場の入口に格好の風采を備えている。)
説明は、やや我田引水の感はあるが、松に責任は無い。
この松を右に見て、京都側へ街道は枡形になる。
ここで左折するが、その左角に石柱道標があり、
中山道の道路案内表示もある。
「右至中仙道中津町一里」(石柱道標に書かれた文字)
道路は上り坂になり、国道19号線を越える陸橋「おがらん橋」出る。
橋を渡った右側の高台に「おがらん神社」がある。
(「右至中仙道中津町一里」の石柱と「中山道」の案内)
(おがらん橋)