(樋口一葉)
本郷三丁目を過ぎてから、中山道は、また歴史の博物館に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/60/afd473b5606289297cb3efe3341d240b.jpg)
まず、本郷三丁目信号を渡った左側に交番が在り、
その裏手に本郷薬師がある。
「江戸御府内に病に倒れるもの数知れずでたため、
薬師さまに祈願してやっと治まったといわれる。
本郷夜店は、著名なり。連夜商人露天を張る。
薬師の縁日の夜は、ことに雑踏を極むるなり」
とある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/30/2313221ad9615ef857a7f90a33793d48.jpg)
(本郷薬師)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d6/1d72d32810a72d4e4677e3e86c6a28bd.jpg)
(本郷薬師の提灯)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c6/d5ab7372577e7c71e8042854804a4452.jpg)
(薬師像)
現代の巣鴨の地蔵堂の縁日並であったのであろう。
(後の世に’04年頃の巣鴨の縁日の繁盛ぶりは
理解されないかもしれないが)
本郷薬師をあとに、すぐ東京大学の赤門が右手に見えてくる。
赤門前に信号があるが、その信号の左手に
(浄土宗 法真寺)石塔が見える。
本郷三丁目を過ぎてから、中山道は、また歴史の博物館に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/60/afd473b5606289297cb3efe3341d240b.jpg)
まず、本郷三丁目信号を渡った左側に交番が在り、
その裏手に本郷薬師がある。
「江戸御府内に病に倒れるもの数知れずでたため、
薬師さまに祈願してやっと治まったといわれる。
本郷夜店は、著名なり。連夜商人露天を張る。
薬師の縁日の夜は、ことに雑踏を極むるなり」
とある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/30/2313221ad9615ef857a7f90a33793d48.jpg)
(本郷薬師)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d6/1d72d32810a72d4e4677e3e86c6a28bd.jpg)
(本郷薬師の提灯)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c6/d5ab7372577e7c71e8042854804a4452.jpg)
(薬師像)
現代の巣鴨の地蔵堂の縁日並であったのであろう。
(後の世に’04年頃の巣鴨の縁日の繁盛ぶりは
理解されないかもしれないが)
本郷薬師をあとに、すぐ東京大学の赤門が右手に見えてくる。
赤門前に信号があるが、その信号の左手に
(浄土宗 法真寺)石塔が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/36/4efa664d2d11929a91419a56c74f0352.jpg)
(浄土宗 法真寺)
樋口一葉が幼少の頃住んでいた家と隣接するお寺である。
この年(’04年)、新札五千円のモデルとなった一葉は、
この家を「桜木の宿」呼んで懐かしんだ。
樋口一葉の「ゆく雲」の中に、
「寺内広々と桃桜いろいろ植わしたれば、此方の二階より
見下ろすに、雲はたなびく天上界に似て、腰ごろもの観音様
濡れ仏におわします。お肩のあたり、膝のあたり、
はらはらと花散りこぼれて....」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/f0/796b142fa3ded5dba37d565e6f18154d.jpg)
(念ずれば花ひらく」の地蔵)
(法真寺にある「念ずれば花ひらく」の
地蔵さまの微笑みがなんともいえない。)
文中の寺がこの浄土宗 法真寺で、濡れ仏は、
本堂横に安置されている。腰衣観世音でその前方に、
一葉塚の石碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/96/c4b42e2e2d28bfd055c2e95758287dc0.jpg)
(腰衣観世音と一葉塚)
一葉は4歳~9歳になる明治14年(1881年)までの五年間、
住んだ場所で、最も豊かで安定した時期といわれている。
24歳で短い生涯を閉じたが、
文中の寺がこの浄土宗 法真寺で、濡れ仏は、
本堂横に安置されている。腰衣観世音でその前方に、
一葉塚の石碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/96/c4b42e2e2d28bfd055c2e95758287dc0.jpg)
(腰衣観世音と一葉塚)
一葉は4歳~9歳になる明治14年(1881年)までの五年間、
住んだ場所で、最も豊かで安定した時期といわれている。
24歳で短い生涯を閉じたが、
病床で書いた雑誌の中で
「桜木の宿」と懐かしんだ。
「桜木の宿」と懐かしんだ。
(文京区教育委員会)