(志村一里塚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/2c/f9b63cde59619b0a346ba03756baa1fd.jpg)
「縁切り榎」から北に向かうと、左側に交番があり
国道17号にでる。旧街道は、しばらく17号と同じ道路を行く。
やがて右側に真言宗の寺院 南蔵院がある。
御本尊は十一面観音菩薩である。
昔は志村坂下にあったが、
荒川の度重なる洪水で現在地に移転してきた。
新井盛久によって開創された。享保7年(1722)に
徳川吉宗が鷹狩の際、当寺で食事をしたとされる。
(板橋区教育委員会)
境内のしだれ桜は有名で、季節には沢山の人たちで埋まる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/5a/b7b762167ac64075d852df96fb1a532f.jpg)
(南蔵院)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/1e/dc3f133b2f0872658bd78686803104a9.jpg)
(南蔵院桜祭りの頃1)
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(南蔵院の桜祭りの頃2)
新井氏の菩提寺で、当寺の門をくぐったすぐ右手に、
先祖代々のお墓が並んでおり、新井三郎右衛門の名が
並んでいる。近年墓地の拡張がままならないので、
真ん中に先祖累代の墓として、一回り大きな墓が
設置されている。
なお、今でも新井氏の子孫と思われる大きな屋敷が、
南蔵院の左手にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/d4/b232bf52ea768a1bf9306f127e4f81d8.jpg)
(新井氏と思われる古い大きなお屋敷)
先に進むと志村の一里塚が見えてくる。
平尾宿から一里(4km)の地点だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/2c/f9b63cde59619b0a346ba03756baa1fd.jpg)
「縁切り榎」から北に向かうと、左側に交番があり
国道17号にでる。旧街道は、しばらく17号と同じ道路を行く。
やがて右側に真言宗の寺院 南蔵院がある。
御本尊は十一面観音菩薩である。
昔は志村坂下にあったが、
荒川の度重なる洪水で現在地に移転してきた。
新井盛久によって開創された。享保7年(1722)に
徳川吉宗が鷹狩の際、当寺で食事をしたとされる。
(板橋区教育委員会)
境内のしだれ桜は有名で、季節には沢山の人たちで埋まる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/5a/b7b762167ac64075d852df96fb1a532f.jpg)
(南蔵院)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/1e/dc3f133b2f0872658bd78686803104a9.jpg)
(南蔵院桜祭りの頃1)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/ab/959c24714074c64234d899c307b0e6af.jpg)
(南蔵院の桜祭りの頃2)
新井氏の菩提寺で、当寺の門をくぐったすぐ右手に、
先祖代々のお墓が並んでおり、新井三郎右衛門の名が
並んでいる。近年墓地の拡張がままならないので、
真ん中に先祖累代の墓として、一回り大きな墓が
設置されている。
なお、今でも新井氏の子孫と思われる大きな屋敷が、
南蔵院の左手にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/d4/b232bf52ea768a1bf9306f127e4f81d8.jpg)
(新井氏と思われる古い大きなお屋敷)
先に進むと志村の一里塚が見えてくる。
平尾宿から一里(4km)の地点だ。
一里塚の手前右側に古風な竹細工を陳列したお店がある。
斉藤商店、ここはその昔から「あらもの」を扱い現在に至る。
一里塚によく合う古いお店で、
板橋区の「まちなみ景観賞」を得ているが、
保存するのもなかなか大変だと痛感する。
2002年 五街道設置後400年というから、
このお店も400年以上経過しているに違いない。
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(一里塚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e6/d1f4e477498e4170da2264a0ddec85b9.jpg)
(あらものや、左側に一里塚がある)
23区内に残るこの一里塚は、国指定史跡になっている。
「塚は道の両側にあって、巾五間四方(約9m)、高さ一丈
(約3m)の定めによって築かれ、旅人にとっては、
里程や乗り物賃の支払いの目安になり、
またその木陰はかっこうの休憩所にもなった。
完全な形で残る一里塚は稀で都内には北区西ヶ原と二箇所だけ。」
(板橋区教育委員会)
となっているが、ほぼ完全な形で残っている一里塚は、
日本橋から、東海道は箱根までと中山道は高崎までの間には、
見つけることが出来なかった。
このあと、街道を歩いて見つけることが出来たら、
この記載を改めたいと思う。
なお、西ヶ原の一里塚は王子から本郷に向かう
本郷通り飛鳥山の先にあるが、
志村の一里塚ほど完全な形で残っていない。