(市民公園)
(境川の桜名所、1200本の桜があるという)
(境川に架かる那加橋)
(鵜沼宿5)
本日(2011/4/7)宿泊先の岐阜駅より名鉄で新加納駅下車。
晴天、本日も気温19℃の予想。
広い市民公園には暖かな日和に沢山の人が散歩や雑談に浮かれている。
公園の先は境川で、那加橋を渡る。
川の両側に植えられた桜の木は何本あるのだろうか。
とても美しい眺めで桜を愛でる人が歩く。
この先の信号(新加納町)で道路はY字路となる。
ここでは道を右にとり進むと突き当たりの形になって、
「新加納の一里塚」碑がある。
道路は直進と右への道に分かれるが、
ここでは直進の道をとる。
この辺りが「間(あい)の宿 新加納」である。
加納宿と鵜沼宿の間は17kmあり、
その中間に当る所に「間(あい)の宿」を置いたのである。
間の宿には本陣はなく御小休所つまり休憩所があった。
これを立場という。
一里塚の標柱右手にその休憩所はあったという。
(新加納町の信号、奥のほうでY字路を右へ)
(中山道の案内で安心)
(旧街道らしい雰囲気のある道)
(新加納の一里塚を左手のほうへ行く)
一里塚碑横を、直進した道はすぐ突き当たり、
正面は「今尾医院」があるが、
昔「御典医 今尾家」で、今は殿様のお抱え医師でなく、
庶民のための医院を営んでいる。
周りには古い由緒ありげな住宅があり、
表札を見ると皆「今尾」さんで、
このあたりは今尾さん一族が沢山いらっしゃるようだ。
医院の前で道標に従うと、「右折京道」である。
これは宿場の枡形で、100mも行かないうちにもう一度左折する。
正面に案内の矢印がある。
(正面突き当たりに昔「御典医 今尾家」今も医院)
(「御典医 今尾家」前の道標「右 京道」とある)
(「中山道左」の案内が上のほうにあり見落とし易い)
左折してすぐに善休寺入り口を示す石塔があり、
その先の奥にもう一箇所寺院があるが、
入り口がわからないので通り越す。
案内書によると小林寺のようだ。
周りは広々とした田園風景で、
先に高速道路の高架が見える。
東海北陸自動車道をくぐって道路は緩やかに右へカーブする。
(善休寺の石柱)
(東海北陸道の高架)
(街道らしい古い街並み右カーブ)
しばらく街道らしいふるい街並みを歩くと、
枡形をしたような場所に出て、さらにT字路に出る。
「切通」という。
中山道はここで右折する。
左側に道路をまたいで鳥居がある。
手力尾神社の一の鳥居である。鳥居をくぐって左折すると、
50mほどで、やはり道路をまたぐ赤い鳥居、二の鳥居がある。
その奥に手力尾(てじからお)神社があり、桜の時期には祭礼があるところ、
今年(2011)は東日本大地震と大津波で、
東北地方に大勢の被災者があり、
日本国中、悲しみの中にある。
だから、この地方だけ祭りに浮かれていることは出来ないと、
祭礼は中止となった。
普段であれば、神輿も出て、
花火も大々的に打ち上げられるはずであった、
と米寿のお年寄りは仕方がないことと諦めていた。
(T字路、この左に鳥居が)
(鳥居と中山道の案内)
(鳥居の足元にある石標、京から見て左東京、善光寺)
(手力尾神社の赤い二の鳥居)
一の鳥居まで戻って中山道を進む。
鳥居の足元に石標があり、(左東京 善光寺)とある。
中山道は左手に境川と平行して進む。
さらに進むと右側に切通し陣屋跡があり、
切通の由来の説明がある。
(切通は境川北岸に位置し地名の由来は、
岩戸南方一帯の滞留水を境川に落としていたことによるという。
――中略――
切通は古来東西交通の要路にあたり、
江戸初期中山道が開通されるや、
手力尾神社前から淨慶寺付近までは、
立場(休憩所)として茶屋・菓子屋・履物や等が設けられ、
旅人の通行で賑いを見せ、
各地の文物が伝来し文化の向上に大きく貢献した。)とある。
この説明板の横に(中山道)の石碑がある。
その先に「市場山 淨慶寺」がある。
「市場山 淨慶寺」
(切通の由来案内)
少し行くと右手に伊豆神社があり、
手前に馬頭観世音菩薩の祠があり旅の安全を願っている。
(伊豆神社)
(馬頭観世音の祠)