(大妻籠の民宿「つたむらや」は右側一番奥)
(妻籠宿 5)
翌朝(5/14)も快晴であったが、久しぶりに雨戸の部屋で寝たせいか、
7時までぐっすり寝てしまった。
暗い部屋の中で時計を見て、驚いて飛び起きた。
久しぶりに雨戸を二枚開けて、戸袋に格納。
顔を洗ったら、「朝食の用意が出来ています」という。
田舎のご飯とお味噌汁の美味しさは格別。
最後に飲んだ美味しいお茶も自家製との事であった。
早々に食事を済ませ、おなかに入れるだけでなく、
出すものを出して、
丁寧にお世話になったお礼をして出発する。
目の前の中山道を西に進む。
すぐ左に「県宝 藤原家住宅」の案内があり、十七世紀の建造物で、
長野県の宝に指定されている。
宿の女将さんにお見送りいただき、
「この藤原家から内のお祖母ちゃんはお嫁に来ました。」
だから親戚だと言う。
そんな繋がりがこの集落一体を占めているに違いない。
坂を上がり、藤原家に向うと、
右下にコンクリートに仕切られた生簀がいくつかある。
大きな魚から、小さな魚まで区切られた中に泳いでいた。
ボク達が立ち止まると、餌でももらえるとでも思ったのか、
小魚が群れを成して、ウワーッと寄ってくる。
相当な量である。
女将さんの説明では、大きいのがサーモン、あとは岩魚、ヤマメ、鱒という。
そこで女将さんと別れ、坂を登る。
いきなりの坂道でうんざりの所ではあるが、
県の宝の建物を見学するので期待しながら進む。
しかし、期待ほどでなく、ごく有触れた田舎家であった。
(県の宝「藤原家住宅」の案内)
(藤原家住宅)
少し寄り道をしたが、
西を向いて中山道を進むとすぐに庚申塚がありその前に民宿「庚申塚」がある。
道路はすぐ国道7号線にぶつかるが、
国道の右前方道路の左側に旧中山道の入口が見える。
(庚申塚の一里塚)
(民宿「庚申塚」)
(どうがめ沢入口の石標)
(どうがめ沢入口)
「どうがめ沢」と言い、石碑があり脇に石畳の道が見えるので、
国道を横断左折する。
石畳道路は林に中をつづら折れで上るが、
すぐ右側に段々の田んぼがある所へ出る。
なおも進むと小さな木の橋があり、右から来た道と合流し左へ向う。
この辺りが(下り谷)でわずかな民家があり、
その先左手の土手の上に小さな祠が祀ってあるのが見える。
これが「倉科祖霊社」である。
説明によれば、
(倉科祖霊社には、松本城主小笠原貞慶の重臣、
倉科七郎左衛門朝執の霊が祀られている。
伝説では、七郎左衛門は、この地で盗賊のために殺されたとされているが、
史実は次のようである。
七郎左衛門は、主人貞慶の命をうけて大阪の豊臣秀吉のもとに使いに行き、
その帰りに馬籠峠でこの地の土豪たちの襲撃にあい、
奮戦したがついに下り谷で、従者三十余名とともに討ち死にしてしまった。
当時、木曽氏と小笠原氏は、何度も兵戈を交えており、
そうした因縁からその争いも起きたと見られる。)(南木曽町)とある。
どうも説明が中途半端である。
倉科七郎左衛門の戦死を憐れんだ主人貞慶が
倉科七郎左衛門のためにここに社を置きその霊を祀った。
と言うところまで記載されていれば納得できるが、
それも書いていない。
誰がどうして祀ったかは定かではないのである。
(つづら折れの林の道)
(木の橋)
(左手にある古い建物)
(倉科祖霊社の石柱)
(石段を上がった所にある倉科祖霊社の祠)
(男滝・女滝の案内)
(滝を見るには右側の道を行く)
少し先に(「男滝・女滝」はこちら)の案内があり、
滝方向には道は右側の道を進む。
中山道は左側を行くが、左右の道はいずれも先で合流するから、
滝見物のため右側の道をとる。
この「男滝・女滝」は、滝としても歩いている者には一服の清涼感がある。
しかし、何といっても吉川英治の傑作小説「宮本武蔵」の中で、
武蔵の男心を表現した場所であるから、
その場所を一度は見て置きたいものである。
この場所で武蔵は、男の恋心を表現するために、
恋人「おつうさん」を押し倒して、図らずも「おつう」に断られ、
武蔵は男としての気持ちを抑えるために滝に打たれる。
そんなシーンが描かれている場所である。
「男滝・女滝」方向に進む。
水の音が大きくなると左手にまず「男滝」が見えてくる。
「男滝」の滝つぼを回るようにして進むと「女滝」がある。
なるほど「男滝」は滝の幅が広く男性的で、
「女滝」は滝の幅が細く、女性らしく見える。
(男滝)
(女滝)
「女滝」脇の新しく出来た長い急な階段の道を手すりにすがりながら登ると、
県道の広い道路に出る。
右端に廃業したと思われる寂れた「滝見茶屋」があり、
茶屋の前は駐車場であったらしい広場がある。
(滝見茶屋)
(バス停「男捶滝(おだるたき)」)
広場の隅に「男滝・女滝」について、
南木曽町教育委員会の案内があるので紹介しておく。
(町指定名勝 旧中山道「男滝・女滝」
滝に向って左側が男滝、右側が女滝である。
木曽に街道が開かれて以来、旅人に名所として親しまれ、
憩いの場でもあった。
この滝には、滝壷に金の鶏が舞い込んだ、
と言う倉科伝説が伝わっている。
また、吉川英治氏によって、
その著「宮本武蔵」の舞台としても取り上げられている。
滝付近の中山道は当初男�券川(おだるがわ)の左岸を通っていたが、
江戸末期頃から現在の道筋になった。)とある。
この説明も理解し難い。
あれもこれも盛り沢山に説明しようとしてかえって訳が分らない。
その広場の左端にバス停「男�券滝」がある。
そのバス停前を左に行くと、
右手に架かる橋の上に「馬籠宿右」の案内があるので
右折して橋を渡る。
(右手に掛かる橋に右馬籠宿の案内)
その先は石畳の荒れた道が続き、
躓き転ばぬよう十分注意して歩かなければならない。
荒れた登り道を行くと木の橋があり、
これを渡りしばらくすると県道に出る。
道路向こう側に(峠入口)のバス停が見え、
脇に旧道の石畳の道が続いているのが見えるので馬籠峠に向って上る。
この辺りは静かな林の中を行くが、
足元の石畳がでこぼこなので気を付けたい。
躓いて転ぶと大怪我をする。
(凸凹の石畳道に注意)
(バス停「峠入口」右の石畳の道)
(林の中の石畳道)
やがて左手に大きなサワラの木がある。
説明には、
(このサワラ大樹は、樹齢300年、胴回り5.5m、樹高41m、材積34?。
サワラ材は耐水性が強く、風呂桶や壁板、建具等に多く使われます。
この木一本で約300個の風呂桶を作ることが出来ます。
さらに、このサワラの下枝が立ち上がって、
特異な枝振りとなっていますが、
このような形の枝を持った針葉樹を神居木(かもいぎ)と言います。
昔から山の神(または天狗)が腰をかけて休む場所あると信じられてきました。
傷つけたり切ったりしますと、たちまち祟ると言い伝えられ、
杣人(そまびと=きこり)はこの木の下を通ることを嫌がりました。
この木のように両方に枝の出た木を
両神居(りょうかもい)と言います。)とある。(木曽森林管理所 南木曽支署)
さらに山道を進むと、
一石栃白木改番所跡に出る。
(サワラの巨木1)
(サワラの巨木2)
(サワラの巨木3、枝が幹に沿って立ち上がっている。天狗の腰掛枝、神居木(かもいぎ)
(一石栃白木改番所跡)