![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/30/ea4ded206e636c72c7744e2036c5ed0a.jpg)
金貨がここにある蓋然性は、などと考えながら、キャップか。
持ち上げると、思わず腰に力が入る。重いぞ。
軽く擦ると、銀のような光。
銀貨だとすれば、この穴は何だ。
黒い何かで模様が描かれている。
張り付いている黄色い粘土から、赤土の層に埋まっていたと考えられ、ダムができる以前のものだ。
釣りで使う重りは鋳型で作られるし、円盤はおかしい。ネックレス、ペンダントか。
などと期待を膨らませ帰宅。比重から銀か否か、重さはちょうど100グラム。
となると現代。以外や、
≪紀元前一一一六年の、カルタゴのハンニバルがイタリア半島に進攻したとき、三〇〇グラムの日一里目を有するアース青銅貨が、たちどころに一〇〇グラム見当にまで量目を減じた。≫
≪前漢時代の海昏侯・劉賀(紀元前92-同59年)の墓の発掘で、 ... 、数量が多かった小型の黄金は1枚50グラムで40枚だったという。≫
水を基準とするグラムの概念は古かったのですね。
まった、
≪1メートルは、北極からパリを通って赤道までの子午線の長さの 1000万分の1と定義≫
切れの良さは何?
となると、分銅か。
銀と鉛、比重と硬度は10.5/11.3と2/1.5、意外と判別は難しい。
融点は961と328、しかし破壊検査はいかん。
熱伝導率は420と36、比べると大きな違いはない。となると鉛。
上の穴から紐を通し、下の穴で曲げ松脂等で固定した。天秤ばかりの重り。
古代の金製錬所跡だとすれば、ありえる。
溝のある穴の方を下として、
もしかすれば、描かれている文字はペルシャの100かもしれない。
補足のために、スラグ。
この辺の土はスラグが風化したもののようだ。
直径10センチほどの土器の底。
葉っぱをしき、その上でこねたのか、製作の様子が見える。
下の土の様子から一度流されたように見える。
分銅の方は風化したスラグの土に埋まっていたと思われる。
鉛分銅の記事
http://ken.image.coocan.jp/sub12h.html
≪天秤(後期ヘラディック文明;前15世紀;青銅製皿&鉛分銅)≫
http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00000448.htm
≪バクトリア地方の鉛製の分銅は円盤型で、その両面の中心に牛の図像をあらわしたものもあります。≫
≪バクトリアのデメトリオス 1 世の発行した 6 カルコス銅貨の重量が 25.5g であり、≫
右下のくっきり残っている部分の形は足かなと思っていたが、牛、斜めだが。100gあり得ますね。
写真捜査中
http://www2.nsknet.or.jp/~mshr/report/tanni.htm
古代オリエントで広く用いられたミナは60シケル501.5g約1ポンド、2ミナ約1kg
5分の1ミナ100.3g、なるほど。
http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_middleeast_18.html
足のようなものは、どうやら数字を表しているようです。
バクトリア地方の鉛分銅、間違い無し。
銀貨の原型は分銅だったかもしれない。とすれば銀の可能性も。
鉛か銀か - JA7GOG - ワンコに引かれてダイヤモンド探し (goo.ne.jp)
土の中での鉛の風化は、どんなんでしょう。
土壌の性質で腐食速度は異なるようですが、腐食する。腐食の形跡なし、銀、独断的決定。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます