![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/93/11ac1baea504cb2790adb53a745a06e1.jpg)
今日は捜索範囲を広め、隣の製鉄所へ。とりあえず、こんなもんです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/ae/ce047a3eea727e0f8c1f2e9bfd0ec2ac.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/05/08e09e09f0ef0f8748aa5240bed74445.jpg)
カドの丸み、曲線でデザインしている、など、農機具ではなさそうだ。上の湾曲した部分に鍛接、四角な棒状の鉄を積み重ね板で挟んである。
隕石と日本刀
http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/meteoswdfr.html
ここの鉄鋼所で作ったものであれば、不純物の金が入っているはず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a5/8f809acfd007de3fe3afbc5145576437.jpg)
ミニバーナーで、左は焼く前、右は焼いた後。溶けたように見える。小さいのではっきり金とは言いにくいが、うっすら金色だ。
いったい何なのか、曲がっている部分には鉄心が入っており補強されている。鐙と推定、調べる。
馬の文明ユーラシアとアンデス文明の衝突
https://www.geek.sc/archives/899
≪紀元前25世紀には北アジアで騎乗が行われていた記録があり、鐙(あぶみ)の発明によって乗馬技術が向上し、紀元前5世紀頃から匈奴やアケメネス朝において馬が軍事力として用いられ始め騎兵が登場したことが記録として残っています。≫
鐙の発明がいつなのかはっきりしないが、アケメネス朝がインドまで勢力を伸ばしたときに鐙がペルシャに伝わったとすれば、ここで鐙が作られた、はあり得る。
鐙の写真
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/416.html
隕石衝突が確定的となり、ペルシャ人が集めた金や鉄は隕石が運んできたものとなりそうだ。
乗り合い隕石の法則に基づいて調べると、志戸前川の金を含む石は隕石だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/67/2dcce52b250c3add5f754dc3fcc7b969.jpg)
石に衝突した球体。球体は十字形に割れている。
宇宙塵の衝突痕
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/90/0d2886b7d05df1e99a0094eaa5b3eb42.jpg)
そして金
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/40/df06c85b457a9fdeb7f1a35a20bf116e.jpg)
当時は金や餅鉄がこの辺一帯に転がっていた。
2017-10-28「鉄と火山」火山ではなく隕石、どこかにまだ拾われていないやつがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/ae/ce047a3eea727e0f8c1f2e9bfd0ec2ac.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/05/08e09e09f0ef0f8748aa5240bed74445.jpg)
カドの丸み、曲線でデザインしている、など、農機具ではなさそうだ。上の湾曲した部分に鍛接、四角な棒状の鉄を積み重ね板で挟んである。
隕石と日本刀
http://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/column/meteoswdfr.html
ここの鉄鋼所で作ったものであれば、不純物の金が入っているはず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a5/8f809acfd007de3fe3afbc5145576437.jpg)
ミニバーナーで、左は焼く前、右は焼いた後。溶けたように見える。小さいのではっきり金とは言いにくいが、うっすら金色だ。
いったい何なのか、曲がっている部分には鉄心が入っており補強されている。鐙と推定、調べる。
馬の文明ユーラシアとアンデス文明の衝突
https://www.geek.sc/archives/899
≪紀元前25世紀には北アジアで騎乗が行われていた記録があり、鐙(あぶみ)の発明によって乗馬技術が向上し、紀元前5世紀頃から匈奴やアケメネス朝において馬が軍事力として用いられ始め騎兵が登場したことが記録として残っています。≫
鐙の発明がいつなのかはっきりしないが、アケメネス朝がインドまで勢力を伸ばしたときに鐙がペルシャに伝わったとすれば、ここで鐙が作られた、はあり得る。
鐙の写真
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/416.html
隕石衝突が確定的となり、ペルシャ人が集めた金や鉄は隕石が運んできたものとなりそうだ。
乗り合い隕石の法則に基づいて調べると、志戸前川の金を含む石は隕石だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/67/2dcce52b250c3add5f754dc3fcc7b969.jpg)
石に衝突した球体。球体は十字形に割れている。
宇宙塵の衝突痕
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/90/0d2886b7d05df1e99a0094eaa5b3eb42.jpg)
そして金
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当時は金や餅鉄がこの辺一帯に転がっていた。
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