餅つきが終わったあと、火鉢を囲んで、ついたばかりの餅を焼きながら話していると、オトンが、「春やん、今日はおおきに。年末やし、することもないやろ。一杯飲んでいってんか」と言って、一升瓶を持ってきた。
「さよか、わるいなあ。ほなよばれよ。餅と酒の共食いやなあ」
そう言って、湯呑につがれた酒をちびちびと飲みながら、「春やん劇場」の第二部がはじまった。
――さいぜんの〈さっきの=その二十二〉続きや!
おわびに村はずれまでお供しますというんで、スリの正吉を案内に、ご老公一行がやってきたんが宮の美具久留御魂神社や。織田信長の根来攻めで焼かれてしもうて、しばらく社殿はなかったんやが、万治三年(1660)に氏子の寄進で新しい社殿が建てられたとこや。そこをお参りしてから、巡礼街道を北へ、宮を抜けて平(ひら)の村に入ってきた。正吉が「この村にも貴平(きびら)神社と熊野神社がございます」
「なるほどのう。山あいに開けた土地であるとともに、貴平の貴はおそれおおいというので平としたのであろう。熊野権現をまつるのも、この道が観音巡礼だけではなく、熊野へも通じる道であるからであろうなあ。熊野権現の守り神は八咫烏(やたがらす)、道中無事の道案内の神様じゃ。お参りさせてもらおうか」
そう言ってここもお参りしたあと、「助さん、角さん、それに正吉、ちょつと休んでいきましょうかい」とご老公、片への茶店におかけになって、
「おねえさん、お茶をくださいな」
「はい、いらっしゃいませ」と茶店の娘が茶をくんで持ってきた。
「あの、皆様方はこれから古市(羽曳野市)をお通りになるのでございましょ」と娘がたずねたのでご老公、
「さよう、古市を通りますが」
「それなら、番所を通るのに必要な通行切手をお持ちですか?」
「いえ、そんなものは持っておりませんが」
「それならわたしどもで通行切手を売っておりますので、どうでしょうか」
「ほほう、茶店で通行切手を売りさばくとはどういうわけじゃ?」
「実は、番所のお役人の馬場様と岡村様が、ちょいちょいとおいでになり、そこにあるゆで卵や焼餅などをお食べになり、この通行切手を売って茶店代にせよと置いていかれるのでございます」
「なるほど。番所の役目を利用して私腹を肥やしているのであろう」
「今日は隣村の尺度で番所改めがございますので、小半時もすれば、馬場様と岡村様が来られると思います」
「古市の番所を預かっているのは、たしか赤井丹波守のはずじゃ。助さん、角さんひとつ懲らしめてやりましょう。正吉、すまぬが先ほどの印籠を持って古市の番所へ行き、こうこうこうじゃと伝えてくれぬか」
なにやら指図をされた正吉がすっとんで出ていきよった。
「おねえさん、二人を待っている間、餅をいくつか焼いてくださらぬか」
そない言うて、餅が焼けるのを待っている――。
そう言って、春やんが火鉢の五徳(鍋などを乗せる台)の上に網を乗せ、つきたての餅を焼きながら、ちびりちびりと湯呑の酒を飲みだした。オトンが膳棚(水屋)から皿を取り出し、醤油を入れて持ってきた。
――小半時ほどした時、茶店のねえさんが言うたとおり二人がやってきた。
「馬場殿、餅のええ匂いがしますなあ。我々も餅にしまひょか」
「そよなあ、まずは餅を焼いてもらお」と言って、餅を注文する。その時、ご老公主従を見つけ、「そこのくそ爺い・・・」となんやかんやと職務質問をしてくる。しかし、正吉に言った手はずがまだととのってないんで、ここからはご老公の時間稼ぎや。
「私どもは旅芸人でございます。酒の肴にひとつお見せいたしましょうか?」
「もし岡村氏、おもしろそうじゃなあ。ほなら、おっ爺ゃん、やってみよ」
「はい、では」と言って、ご老公、皿の上の餅を二つ持ち、放り投げてお手玉のように空中でくるくると交差させた。それが三つになり四つになり数が増えていった。さすがは天下の副将軍や。ええか、こないしてるねん――。
そう言って春やん、コジュウタ(餅箱)から餅を取り出して実演しだした。二つが三つ、三つが四つになり、五つ目を取ろうとした時、まちがって網の上の焼いている餅を取ったものだから、
「あつ、あちゃ、あちゃちゃちゃちゃ!」
そのひょうしに湯呑を倒し、酒が火鉢の炭にかかって湯気やら灰がもうもうと舞い上がった。
「ご老公も失敗するときはあるわい。黄門も筆のあやまりいうやっちゃ!」
げげ、こんなとっから話の続きをするんかいな。
――申し訳ないと茶店の隅で小さくなっているご老公。その時や、はるか街道から栗毛の馬にムチ撃って、パパパパパッとやってきたんが、古市の番所預かり役の赤井丹波守や。馬場、岡村の両名を見つけ、
「日頃の役目大儀である。して、二人の家臣を連れたご老公を見はしなかったか?」
このとき、隅で小さくなっていたご老公が、
「おお、丹波守、久しぶりじゃのう」
これ見て赤井丹波守、あわてて馬から下り、地面にひれ伏し、
「ハハァー、ご老公様におかれましてはご健勝でなによりでございまする」
「ああそうじゃ、今、この二人にわしの芸を見せておった所じゃ。おぬしも見ていくがよい」
「めっそうもございませぬ。馬場、岡村の両名、天下の副将軍の水戸光圀公に芸をさせるとは不届き千番。どういうわけじゃ?」
赤井丹波守がたずねたので、ご老公は通行切手の一件をすべて話してしもた。赤井丹波守はえらい怒って、
「悪事を働く者を取り締まるためと言っておったが、このような下心があったのか。皆の者、この両人に縄をうて!」
これを聞いてご老公、穏やかにそれをお止めになって、
「ああ、いや待て丹波守、縄をかけてとがめることもなかろう。それでは預かり役のお主にも沙汰が下されるではないか。そのかわり茶店に置いていった通行切手を引き取り、その分の代金を両名に払わせるがよかろう。寛大な処置をしてこそ世の中は治まるのですよ。アッ、ハハハハハッ」――
笑いながら春やん、帰っていきよった。どこが寛大やねん! 飛び散った灰やら餅やら、誰が掃除するねん?
【補筆】
黄門様の行動範囲は、水戸藩内以外では江戸藩邸と日光東照宮参詣程度でしかなく、しかも公務で、私的な旅行は鎌倉だけだったのはよく知られています。
※平町にあった貴平神社と熊野神社は明治になってから美具久留御魂神社に合祀されています。
※巡礼街道は、西国三十三所観音霊場巡礼に使った街道で、第五番札所の葛井寺から野中寺へ、ここから羽曳野丘陵沿いに平町、美具久留御魂神社、富田林寺内町を通って、第四番札所の槇尾山施福寺にいたる街道です。