河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
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歴史35 昭和――春やん戦記⑤

2023年08月14日 | 歴史

こらアカン!
2月に米軍の基地からバターン半島の地図が見つかったんやが、バターン半島は、戦争が始まる一年前から、三段構えの防御線を造り、6カ月の攻防に耐えられる物資を貯えた大要塞あったんや。
そのうえ、半島の先にはコレヒドール島というもう一つの大要塞がある。
こらアカン! 思わず女房の小春の泣いとる顔が眼に浮かびよった。


ところがや、わしらが上陸した次の日から、リンガエン湾に次々と兵隊が到着してきた。
砲兵部隊も続々とやってきた。重爆撃機を中心とした航空隊も配属されて、日本軍は五万人ほどの大軍団になっていた。
ああ、これで助かった!
しかし、そう思たのもつかの間や。日本軍が侵攻した島々から撤退してきたアメリカ兵が、バターン半島に集結して二倍の8万人に膨れ上がっていた。
そこにフィリピンの避難民2万人も加わって日本軍を上回る数になっとったんや!
こらアカン、やっぱしアカン!

ところがや、あまりに大勢のアメリカ、フィリピン兵が集結したために食糧が不足して、食糧難に陥ってた。
そこへきて、肉食のアメリカ兵と米食のフィリピン兵とのいさかいも起こってしもうた。
こらアカン。
そう思たんは、実はアメリカ軍あったんや!
こらアカンと、フィリピン島防衛軍最高司令官や指揮官が、大統領家族と一緒に逃亡してしまいよった。
その司令官というのが、あのマッカーサ将軍や!

4月3日の午前9時、日本軍の攻撃が開始された。
約300門の大砲が一斉に砲声を響かせた。それが敵の陣地で炸裂して、爆発音とともに地面が揺れ、空気が揺れよった。
空からは100機の爆撃機が爆弾を落としていく。
煙と砂ぼこりが舞い上がって山頂が見えへん。大日本帝国陸軍始まって以来の大集中攻撃や! 
それが昼を過ぎても続いた。PLの花火を見たら、あの攻撃を思いだすのやが、花火の百倍、いや、千倍もある攻撃あった!

3時頃に砲撃がやんだ。
煙がはれて山頂が見えるようになると、敵陣地を占領していくのが、わしら歩兵部隊の役目あった。
多くの死傷者が出てたんやろなあ。
敵陣地に近づくと一通りの一斉射撃があって、こっちも応戦するのやが、しばらくすると銃撃がやんで、白旗が上がった。
総司令官の逃亡で、戦う気力が失せてたんやろなあ。
あるいは、「一応攻撃はして、アカンかったら手を上げてしもたらええねん」という考え方あったんかもしれんなあ。
そんなけ、資源にしても、軍事的に優位であることを知っとった。捕虜になっても、いつかは祖国に帰れる。
なんとも合理主義的やが、これが日本に大事件をもたらすことになるんや! 

⑥につづく

※絵は竹久夢二(国立国会図書館デジタル)
※写真は『写真週報』(国立公文書館デジタルアーカイブ)


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