河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
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茶話131 / 老いの小文④

2024年03月25日 | よもやま話

 備前の国に旅するのは、去年の春を初めとして今春で四たびになる。昼前に旧友の愛車に便乗して大阪を出発する。時折り降る雨の中を神戸に入ると小雪にかわる寒さ。明石、姫路、相生を抜けると風景は一変し、山あいの平野を縫うようにして走り、山陽道の要所、播磨国と備前国を隔てる船坂峠にいたる。
 鎌倉幕府を倒さんとして隠岐に流罪される後醍醐天皇を奪回せんと、備前の児島高徳(たかのり)が一族郎党二百余騎をしたがえて天皇護送団を待ち伏せした地である。しかし、移動ルートを見誤り、天皇救出の義挙は失敗に終わる。
 春しぐれ義挙空拳をいかんせん

 その後、高徳は天皇一行を播磨・美作の国境の杉坂まで追うのだが、天皇一行は既に津山へ達しており、完全な作戦失敗となって軍勢は雲散霧消してしまう。しかし、高徳は天皇の奪還を諦めず、夜になって天皇の宿舎に侵入するが、厳重な警護の前に天皇の奪還を断念せざるを得なくなる。そのとき、宿舎にあった桜の木へ「天莫空勾践 時非無范蠡(天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず)」と漢詩を彫る。……天は春秋時代の越王・勾践(こうせん)に対したように、決して帝をお見捨てにはなりません。范蠡(はんれい)のような忠臣が現れ、必ずや帝をお助けすることでしょう……という意味の漢詩を見た天皇は、我が身を思う臣下のいることを知り、おおいに勇気づけられた。
 昨春も同じような時期に備前の国に入ったのだが、桜の開花が早く、ほぼ散っていた。今春はと期待したのだが、ここ四、五日の寒さで、蕾は固く閉じたままである。
 雨空に余白を残す桜かな

 野を過ぎ山を越えて三時過ぎにようよう旧友が屋に到着する。近郊山河の地に開けた里の片隅に在って、懐かしい鳶(とんび)の笛を聴き、広く田野を見渡すことが出来る。しばしの休息をとった後、湯郷温泉の元湯である湯郷鷺温泉に向かう。
 その昔、円仁法師が、この地にて鷺が足の傷を癒やすのを見て発見したと言われる名湯である。ナトリウム、カルシウム塩化物泉でややぬめりけがあり優しく肌をつつんでくれる。檜の大浴場につかり、しばし草枕旅路の疲れを癒やすと、ようやくにして漂泊の思いが湧いてくる。日常を抜け出す旅は、移動している間は未知への好奇心で慌ただしいが、その中でゆったりとした時に、人生も未知のものへの漂泊であることを知る。
 早春の夕影淡し湯につかる

※芳年『月百姿 雨中月 児嶋高徳』 国立国会図書館デジタルコレクション 


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