門徒の家が多かったせいか、お盆といってもたいした行事はない。ただ、お盆前には「井戸さらえ(井戸替え)」といって、七月頃から、川下にある家から順に井戸の掃除をするのが常だった。
夏に流行る疫病を防ぐのが目的で、井戸の水を汲み出し、底にたまった泥やゴミを取り出すのだ。思わず落としたカンザシとかが出て来るので、女の人は楽しみにしていたという。しかし、我々子どもにとっては、やっかいな行事だっと。いたずら心で投げ入れた石やビー玉、牛乳瓶などがあろうものなら、まず疑われるのは子どもだからだ。
井戸に石を放り入れるとチャポン、チャポン、チャポン・・・と反響するのがおもしろかった。
もちろん、家の外にある井戸は、誰が放り込んだのかはわからないので、「僕とちがうで!」としらをきればよかった。しかし、二度とさせないために、なんだかんだと説教されるのが常だった。
ある年のPLの花火があった次の日、我が家の向かいの家の裏で「井戸さらえ」があった。近所の人が四、五人集まり、朝早くから始まった。春やんも手伝いに来ていた。近所に住んでいる「拝みやさん(祈祷師)」が井戸を浄めると作業が始まった。見たい気持ちはあったが、絶対に行ってはならないと心の中に言い聞かせて、兄と私は家の中で漫画を読んでいた。危険な作業なので、村中で鳴く蝉の声よりも大きな声が我が家まで聞こえてきた。
昼前になると作業が終わったのか声はやんだ。
井戸さらえは疫病退散を願い、無病息災を祈る行事でもあった。わずかばかりのお神酒と折膳が出て終了となる。我々も食事をとり、テレビを視ていた。
すると、玄関で春やんの声がした。夏なので家中の戸は開け放たれていた。オカンが出ていって何か話している。しばらくして、
「息子らおるか?」
「奥でテレビ視てますわ」
ギョエ! ゼッタイゼツメイという言葉が頭の中をかけめぐった。その瞬間、すでに春やんが目の前に立っていた。 お神酒がまわっているのか目がシクシクとしている。
「おお、テレビ見てんのか。なんぞ、おもろいのんやってるか?」
「・・・・」
「やってなかったら、テレビ消し(スイッチをきれ)!」
「・・・」
「テレビを消し言うてんのが、聞こえんのか!!」
雷が天井を突き抜けたかのような・・・昨日の最後に上がった一発の花火の音のような怒鳴り声だった。
兄が黙ったままテレビを消した。手が震えている。涙が出そうになった。
「夕んべ、花火を見たか?」と春やんが穏やかな声で言った。
「・・・」 涙がにじんできた。
「赤青黄色ときれいあったなあ」と言いながら春やんがポケットから二十個ほどのビー玉を取り出して、畳の上に広げた。
「赤青黄色ときれいやなあ。向かいの家の井戸さらえてたら底から出てきたんやけど、おまえらとちゃうわなあ?」
黙ってうなづいた。涙が流れてきた。
「おまえらは賢いさかいに、こんなことせえへんわなあ?」
黙ってうなづいた。涙が雨のように流れた。
「もう、したらあかんで!」
黙ってうなづいた。
「絶対にしたらあかんで!」
黙ってうなづいた。そして、はっと気付いて・・・声が出そうなほど泣きたくなった。
「おっちゃんが小っちゃいときにはなあ、井戸に漬けもん石放り込んで、親からどえらい怒られたわい。押し入れに入れられて、戸につっかえ棒されて出られへん。ほんで、二時間も三時間も泣いてた。涙も出んようになったときに、やっと気付いた。目の前の戸は外側でつっかえ棒されてるけど、反対側の戸は内からしかつっかえ棒が出来んということにや。ほんで、反対側の戸を開けた。そしたらオトンとオカンが、涙流してじっーと見とった・・・。それ見て、また大声で泣いたんを今でも覚えてる・・・」
オカンがそばで微笑っているのを見て、なんとなく許されたのだと・・・やっと感じた。
「ええか、井戸の中にはなあ、水神さんという神さんがいたはる。せやさかいに、おいしい水飲んで、おいしいご飯が食べられるんや。せやけど、その水が洪水を起こしたりして悪さしょるときもある。その水と闘うて一代を築かはった人が、この喜志村にいたはったんやぞ」
そう言って春やんが話し出した。
※②につづきます(①から④まであります)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます