若いころ、祭で俄をすることになったとき、村のお年寄りに、「しっかり遊んどいで」と言われた。
俄は演劇の一種だが、「演じる」のではなく、「遊ぶ」なのだ。
子どもたちが、輪にしたヒモの中に入り、電車にみたてて「出発! ガッタンゴットン・・○○駅です」とやる電車ごっこ。
お母さんやお父さんになったつもりで「行ってらっしゃい」「ただいま」「ご飯が出来たよ」とやるままごとなどの「ごっこ遊び」と「にわか」は同じなのだ。
子どもは、たんに、「何かにみたてる」「何かになったつもり」「何かをしたつもり」を繰り返し楽しんでいるだけで、演じるという気持はない。
それでも、子どもが楽しく遊んでいるのを見ると、見ている大人も楽しくなる。
俄は自分だけでなく、見ている人も楽しくさせる遊びなのだ。
俄の命は〈遊戯性〉にある。
宴会のかくし芸用に一人俄をいくつか紹介しておく。
俄は遊びだから、ものおじせずに楽しくどうぞ。
【魚屋】わしは、このあたりに住んでいる、魚屋や。今朝、市場から魚を仕入れてきた。〔魚を手に取り〕おお、うまそうな魚、良い、アジじゃ。〔別の魚を手に取り〕この魚は、えらい柔らかい。フニャやなあ。〔別の魚を手に取り〕はて? この魚は以前どこかで見たことがある。はて! わかった。久しブリじゃ
【暑い】
扇を持って出る。
「今日は、厚いもてなしをしていただき、たらふく酒をいただき、えらい酔うてしもた。そのせいか、暑うて、暑うて辛抱できん」
手ぬぐいで汗を拭き、扇を取り出し、せわしく扇ぐ。
「こうして扇ぐと、少しは涼しくなるが。しんどうて、骨が折れる。おまけに、肝心かなめの酒の酔いが、覚めてしもたがな。おおぎな損や」
扇ぐのを止め、扇をたたむ。
「もう、あおぐことは扇子としよ」
【捨て鉢】
扇を広げて、皿を持っている仕草で出て来る。
「ああ、えらいことしてしもた。ご隠居さんの米寿のお祝いというので、鯛の焼いたんを鉢にのせて持っていってくれと、旦那さんに頼まれて出て来たんやけど、道でこけて鉢が欠けてしもた。こんなん持って行くわけにはいかし、かというて、往んだら、旦那さんにお目玉くらう。旦那さんの目玉は、鯛の目玉食らうよりもむないがな。ええーいままよ。
扇(皿)を投げ捨てる。
「こんなん捨てて、往んでこませ。鯛の鉢は欠け捨てじゃ。(旅の恥はかき捨て)
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