江戸時代に書かれた『古今俄選』にある俄の技法をいくつか紹介する。※は筆者注。
【あぶら】俄の最初から終わりまで、出放題で言葉で引っ張ることだ。
※理屈の通らないことを次から次へと連発(出放題)すること。やすきよの漫才のようなものだろう。
【なえこ】おかしみを出すために、下をなやして言葉を遣うこと。
※「なやす」とは「力を抜く」ことで、阿呆のような間の抜けたしゃべり方をすること。藤山寛美の「あほぼん」のしゃべり方だ。
【でたらめ】はだかにて出る俄に多し。
※「はだか」とは文字通りの「裸」の意もあるだろうが、役柄として演じず、地のまんまのこと、アドリブだろう。
以上を踏まえたうえで、次の【俄の稽古の事】を読んでいただきたい。
座敷で充分に稽古をして出演すれば「でたらめ」もよく効いて面白い。稽古が不足している時は、「あぶら」がやりにくい。
俄は即興芝居だが台本はある。その台本で充分に稽古をしてこそ、本番の時にアドリブが出てくる。あるいは稽古をしている最中にアドリブが生まれることもある。この〈アドリブ=でたらめ〉が俄の〈即興性〉であり、〈ボケ=とぼける〉となって笑いにつながっていく。俄の笑いは、台本にない笑いである。
そして、このボケによって、観客は〈ばからしさ=愚〉を感じ、〈滑稽=雅趣(味わい)〉が生まれるのである。
『古今二和歌集』で倉腕家淀川は言う「昔の俄は下手なれども、理屈に縛られず、愚なるようなるところに雅趣あるを美とするのみ」。
『風流俄天狗』で村上杜陵は「ボケこそが俄の最も大事なことだ。よって、その役に医者の気持ち、師直の気持ち、俄を演じる者の気持ち、姿、言葉を、三つに分かつを極意とする」と述べている。
『風流俄選」で月亭正瀬が言う「名人達のニワカを見ていると、どんな役柄をしても、少し笑みを浮かべてセリフを言う。これでこそニワカの情深く、風流を離れず、実に滑稽である」。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます