河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

俄の味

2022年09月16日 | 祭と河内にわか

 日本全国に残っている俄からいくつかを紹介する。
【博多にわか】
〇あの相撲取りゃぁ、朝から晩まで酒飲みづめじゃが、稽古も強かが、土俵に上がっても酔うとる。 ※良く取る
〇今日は十五夜で幸い友達がみな寄っとるけん、月見で飲もうじゃなかや。酒ん肴は何んが好いとるや? 
 「俺らあ下戸じゃけん望月」  ※餅好き
【美濃流しにわか】
〇トランプ大統領の乱暴な言動は嘆かわしかねえ。「でも本心は優しからしやて」。そらまたどうじゃら? 「トランプにもハートがあるわな」
〇東京五輪は、あげいに巨額のお金をかけてええんかいのう? 「へともなかね」。これまたどうしてじゃな? 「必ずせいかは上がるわな」 
【佐喜浜にわか】高知県
〇行政を批判した有識者に市長が「なんぞ確かな証拠かあるか?」と尋ねた。
 有識者は腰掛けを取り出し、腰掛けの足をたとえにして、
 「一つ一つは小さくもろい(いすの脚)が、大人がしっかりと後ろを支え(背もたれをさす)、行政も”深く腰を据え”て取り組んでみしゃんせ! 姿勢(市政)も良くなるであろうがのう!!

 俄の味は方言にある。
 全国に残っているどの俄も、その土地の方言を大切にしている。
 観客と同じ方言で俄をするからこそ、観客と演者、観る者と演じる者の垣根は無くなり、共感し理解してもらえる。
 俄を標準語でやったら、おもしろいこともなんともない。俄の面白さは〈方言性〉にある。
 こてこての河内弁の俄を一つ。

「おい、われ! 何さらしとんねん?」
「何しとんねんて、見てわからんけ!」
「見てわからんさかいに、聞いてんのじゃ」
「薬、探してんねん」
「どないぞしたんかいな?」
「田いえから帰ってきて、陰ら入ってひのつりしょと思てな、おいえ、上がろとしたんや」
「ほんでから」
「ほんだらや、あがりがまちで足踏み外して、こん転げて、かまいさんの角で、ゲンスケ、えらいいわしてしもたんや」
「えらいこっちゃ。ほんで薬はあったんか」
「それが、あるけー」
「ほんだら、わいが探したろ。そこ、のけ」
「のけゆうても動かれへんがな。ちょっと、かいな、かしてんか」
「しゃーないな。ほれ、つかまれ」
「すまんのー」
「なにぬかしてんねん」
「荒くたすなよ。あんじょう頼むで」
「かまへん。かまへん」
 立ち上がらせて座らす。
「そこの床の間に座っとけ。〔ごそごそと探し出す〕おい、けったいなもんが出てきたで」
「なんやそれ、お母んが使ことった、電気ゴテやがな」
「よー、床の間に座らせたこっちゃ。もうこれで大丈夫や」
「電気ゴテで、大丈夫とは、ハーテ?」
「ハテ!」
「ハテわかった。床の間の電気ゴテや」

     ※つかの間の出来事

※絵は『月百姿」より(国会図書館デジタルコレクションより)

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畑――無農薬

2022年09月14日 | 菜園日誌

 自分で作って食べる野菜くらいは化学肥料を使わないで無農薬のものを食べたい。そう思って家庭菜園を始める人は多い。かくいう私もその一人だった。
 就職して間もない二十代前半の頃に、親戚の300㌃ほどの土地を借りて菜園を造った。
  1970年代から奈良県桜井市で無農薬、無肥料、不耕の「自然農=自然栽培」を起こした川口由一という人のニュースを見たのがきっかけだった。
  さすがに不耕というのは無理があったので、家のトラクターを使ったが、農薬と肥料は買ったことがなかった。
 それでもなんとか野菜が育ったのは、始めて畑にした土地には永年蓄えられた地力があるからだ。
 借りた土地の1/3には広葉樹が植えられていたので、落ち葉で堆肥を作ることができた。
 農薬を使わずにすんだのは、企業団地の真ん中にある、工場に囲まれた「ぽつんと一軒家」的な畑で虫が少なかったからだ。

 五年ほどして駐車場にするというので返却。家の隣に空き地が出来たのでそこを借りた。それも三年ほどするとマンションが建てられた。
 というわけで、親の畑に戻って来ることになった。
 今の畑では無農薬栽培は不可能である。周りの田んぼがどっさりと農薬をまいているからだ。
 だから、農薬も散布するし、化成肥料も使う。
 ただし、できるだけひかえている。不必要、余計なことはしない。
 その方が、何かあった時の諦めもつく。
 概して百姓は諦めがいい。お天道様に文句はいえないし、
 みんな自分が蒔いた種なのだから。

 レタスがだいぶん大きくなってきたので、短い畝を四本たてる。
 今、植えてもよいが水やりがじゃまくさい。
 朝の八時半。気温30度。余計なことはせず、本日はこれにて終了。

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俄の本質

2022年09月13日 | 祭と河内にわか

 司馬遼太郎の小説に『俄 浪華遊侠伝』というのがある。 俄師の話ではなく、維新前後の浪花を舞台に生き抜いた大親分の波瀾万丈の物語である。
 その主人公万吉が、晩年に己の人生を振り返って述懐する。「わが一生は一場の俄のようなものだった」と。
 たった一度の短い人生、アハハと笑うてオチをつけてお終いや、そんな思いなのだろう。「ほな往てくるで」と陽気にこの世を去っていく。
 司馬遼太郎が小説の題名に『俄』と付けたのは、人生は俄のようなものだと言いたかったのだろう。
 死ねば全てが終わる〈一回性〉、何が起こるかわからない〈意外性〉、そのときどきを生きる〈即興性〉、笑いで吹き飛ばす〈滑稽性〉、良くも悪くも良しとする〈遊戯性〉、最後にすべてを納得させる〈饗宴性〉、より良かれを神仏に祈る〈神事性〉が人生と俄の本質だと。

 若いころ、32年ぶりに村の地車が新調されて、俄を作らなければならなかっとき、台本が残っていないか古老に聞いてまわったが、誰も持っていなかった。
 ある古老が言うに「俄というのは一回きりのもんや。特に、祭りの宮入でやる奉納俄は二度としたらあかんと言われてたんや。同じものを神さんに奉るのは失礼やろ」。
 そのため、俄の台本は残っていなかった。残す必要がなかったのだ。
 「コピーたらいう便利なもんもなかった時代や。教へてくらはる人が言わはるセリフを、皆必死に帳面に書き写したがな」
 口立ての時代だった。

 「祭りの前ともなるとな、百姓(農作業)仕舞うて(終わって)、俄の稽古や言うて、夜に皆(青年団)が(村の)会所に集まるんやが、たいがい酒飲んでた。
 酒代がのうなったら(無くなったら)、皆が自分とこの納屋から米盗んできて、それ売って酒代にした。
 次の日は余った金で大軌(近鉄の前身)乗って飛田行って、後で親にばれてえらい怒られたもんや」
 戦後とはいえ、まだまだそんな時代だった。みんな〈俄〉そのものに生きていた。
 いたしかたなく、必死に台本を作った。
 しかし、ワープロの時代だったので残っていない。

※『俄 浪華遊侠伝(上)』 (講談社文庫より)

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俄のオチ

2022年09月12日 | 祭と河内にわか

 河内俄のオチは単なる駄洒落ではない。なぞかけ(三段なぞ)」の発想に近い。
 前回、紹介した俄を例にすると、
〇「亭主の浮気」とかけて、
 「女房が牛の刻詣りをしたが効きめがなかった」と解く。
 その心は「浮気の相手が糠屋の娘」
〇「百姓息子の改心」とかけて
 「大根」と解く
 その心は「いつか孝行になる」

 A「こないだ、嫁はんに浮気がバレてしもうた」
 B「えらいこっちゃ、どないしたんや?」
 A「うちの嫁はん一升飲み干すほどの酒好きやから、仲直りしよう思うて、五合徳利に酒を買うて、持って帰ったがな」
 B「ホー、嫁はん、喜んだやろ!」
 A「それがや。えらい怒られたがな」
 B「ハテ、なんて怒られたんや?」
 A「一生(一升)つまらん、言われた」

〇「酒飲みの女房への浮気のお詫び」とかけて
 「五合徳利の酒」と解く
 その心は「一生つまらんと怒られた」

 大阪人が社交辞令で「おいおい、そんなん言うたら、破れた太鼓やがな、どんならんわ(どうしようもない)」。
 江戸時代に流行した「洒落言葉」という遊びである。前に挙げた「五合徳利で、一生つまらん」も洒落言葉を利用したものである。
 よく知られているのは、
  「屋根屋のふんどしで、みあげたものだ」  
  「猿の小便で、気(木)にかかる」
  「便所の火事で、やけくそ」
 これを単純に俄のオチにすると、
〇屋根屋の親父が腕をあげた息子に、股ぐらからふんどしを取り出し、
 「見上げたもんや」
〇動物園のサルの飼育員が「猿の小便」と書いたビンを出して、
 「気にかかるわい」
 便所の火事は物ではないのでオチには使えない。河内俄は物を取り出してオチにするという制約がある。
 そう思っていたら、昔、どこかの俄で、紙に「便所の火事」と書いてオチにしたのがあった。
 やけくそだったのに違いない。

※挿絵は大正・明治の「道頓堀」 大阪市立図書館アーカイブより

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もじり俄

2022年09月11日 | 祭と河内にわか

 お茶屋で演じられた〈座敷俄〉は、お囃子を入れることができる。
 そこで、しだいに芝居じみたものになり、次の明和(1764~)になると歌舞伎を真似た〈もじり俄〉が登場する。
 その例を一つ。意味不明部分は省き、歌舞伎調なので七五調に近づけて現代語にした。声を出して読んでもらうと自然とリズムが出てくる。

牛の刻詣り 
 三味線の出囃子がはいる。
「あらうらめしの女子(おなご)やなあ」
 女が登場
「枕はほか(他の女)とは交わさじと、言いし亭主も今はあだ浪、浪は越すとも松山の、女子(おなご)につもるこの恨み。とり殺さいでおこうか」
 【浄瑠璃】右に持ちたる灸箸で、左のモグサひとつかみ、女子に灸をすえてやると、神社に伸べ伏す松の木を、憎い女と狙い寄り、幹のくぼみに目をつけて、
「ここぞ女子の咽ぶえなり」
 【浄瑠璃】モグサをいくつも並びかけ、頭に灯す蠟燭で、モグサに火をつけ、くっすくっす。くすぶる煙ともろともに、胸も逆立ち真意の炎(ほむら)。火炎の如く烈々と、天をおかして立ちのぼる、恐ろしかりける次第なり。
 神主を先頭に大勢が出てくる。
神主「皆、こっちじゃ。うさんくさい女がおるわい」
 大勢が女をとり囲む。
「どうぞ許してくりゃしゃんせ。何を隠そう私は、亭主を寝取られし腹立ちで、牛の刻詣りでございます」
神主「なんと言う? 牛の刻詣りというものは釘と金槌じゃ。やいと(お灸)すえる刻詣りとは初耳じゃ。例のないことはかってが違う。神も納得なされまい」
「いえいえ、やいとでなければなりませぬ」
神主「そりゃ、どうして?」
「亭主を寝取った娘というは」
神主「娘というは?」
「糠屋(ぬかや)の娘じゃ!」

 「糠に釘」で、糠屋の娘に釘では呪いが効かない。だから、お灸をすえるのはやいとでなければならない。
 話の筋が首尾一貫していて、最後のオチも効いている。物でオチをつける河内俄のよい見本になる。
 河内俄の味は、半分は芝居、もう半分はオチにある。

〇百姓などいやだと言って家を飛び出した息子が、苦労の末に何年か経って帰り、親父に向かって、
息子「お父ん、永い間、迷惑かけてすまなんだ」
親父「おお、今日のことで、ようやく目が覚めたか」
息子「ああ、改心して、これからはまっとうになったる」
親父「おお、よう言うてくれた」
息子「そやさかい、もうしばらく待っといて」
親父「よっしゃ、わかった。ほな、これを持っていけ。おい、お母ん、今日、畑で採ったのをて持って来い」
 お母んが出て来る。
 「二人で精魂込めて作った大根や」と手渡す。
親父「魂こもったこの大根。これで立派になって来い」
息子「大根で立派になれとは。ハテ?」
 「ハーテ?」
息子「ハテわかった。今は味ない大根やけど、いずれ立派なコウコウ(香香・漬物=孝行)になるわい」

 「大根=孝行」のオチがよく使われるが、もともとは『中乗り新三』という俄で使われていたものだ。
 ヤクザに身を落とした新三が茶店を営む父の所へやって来て、何年か後に必ず戻って来て親父のために働くと約束をする。店を出ようとする新三を呼び止め、父が大根を手渡す。
 大根が出てきても不自然でない場面設定の中で、親不孝者が改心→大根→孝行になる、で筋が通る。
 今年は三年ぶりに秋祭りが開催される。 

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