http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3537 より転載しました。
この国はなぜ国防に対する意識が希薄なのか
『日本防衛秘録』 (守屋武昌 著)
36年を国防の職に捧げた著者が、自身の体験を交えつつ、自衛隊の歪められた歴史、その壮絶な現場の実際を詳述した。執筆の動機は、2つあった。
「まず、2010年に中国漁船が尖閣諸島付近で海上保安庁の巡視船に体当たりした事件です。当時の政権の対応は混乱を極めていました。どうしてきちんと向き合えないのか、非常に危機感をもちました」
もう1つの契機は、東日本大震災。収賄容疑で起訴された著者は、当時、栃木県の「社会復帰促進センター」で服役中だった。
「震災での自衛隊の活動を報道で知り、現役時代には公共財としての自衛隊を活用できるよう、法整備に情熱を傾けた私は、とても嬉しかった。1959年の伊勢湾台風頃までは、自衛隊は災害派遣にひっぱりだこでした。ところが私が防衛庁に入庁した71年には、災害が起きても自衛隊の出番はなくなっていた。なぜこの断絶が生じたのか、あらためて考察することで我が国の安全保障を考える基本的なファクトをまとめておきたかったのです」
確かに、阪神淡路大震災では兵庫県からの派遣要請がなく、出動に躊躇せざるを得なかった。その後の法の整備によって、自衛隊はかつてのように国民から外された存在ではなくなりつつあるが、国の防衛について戦後60年間にわたり思考停止を続けてきたことのツケは、まだ残っていると指摘する。
「中韓との緊張の高まりも、もとを正せばなぜ日本が過ぐる戦争に負けたのか、何が悪かったのかという国家的検証がなされず、同時に他国の指摘に対して真正面から向き合っていないからです。あるのは謝るかどうかの選択だけ。これでは安全保障に対する意識が国民の身に付かないのも当然でしょう」
文民統制(シビリアン・コントロール)についての章「『背広とユニホーム』の狭間で」が印象的だ。
「大多数を占める制服組は、専門的な職能集団であり、軍事的合理性を追求している。一方、少数の背広組は政策的合理性を担う。現行の文民統制は先の戦争の教訓としてもたらされた世界でも特異な制度。十全に機能させるなら、背広組がまず現場に入っていかなければならない。文民はある意味で、制服組以上に仕事をしなければならないのです」
現在、防衛省では組織改革が進められているが、
「機動性や軍事的合理性ばかりを追求して、文官の役割を軽視する改革ならば、私は反対です」
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◆ 守屋氏の国防とは、戦争法案とは違います。本当の意味の国防についてです。かれは官僚でしたから、彼の見てきたことは、真実です。
ずいぶん以前から、戦争法案について組織的に計画されていたことが、うかがえるとおもいました。守屋氏は嵌められたのかもしれないですね。
計画に支障をきたすものは、排除する、あるいは別の関係のない部署や関係先に飛ばされるといった具合です。
日本のタブーは恐れていてはだめです。タブーはどこから来るのか、なぜ私達がタブーで支配されているのかを、知ることが大切です。
戦争法案は憲法違反です!!!