アイリス あいりす 

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科学を人間の手に - 高木仁三郎 原発の危険を知らせた男<2510>

2015-09-23 22:55:16 | 社会問題 日々雑感

科学を人間の手に - 高木仁三郎

ウィキペディアより転載しました。

高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の物理学者、専門は核化学理学博士東京大学)。

群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校、東京大学理学部化学科卒業。

政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク原子力資料情報室を設立、代表を務めた。原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて、専門家の立場から警告を発し続けた。

特に、地震の際の原発の危険性を予見し地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱え、脱原子力運動を象徴する人物でもあった。原子力発電に対する不安、関心が高まった1980年代末には、新聞、テレビ等での発言も多かった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

◆高木仁三郎氏は、科学者でありながら、国民への警鐘を長い間してきた方でした。

私は311後に知りました。日本人の宝でした。それを国民は知りませんでした。

このことをどのように、後悔してもしつくせないと思います。本当に残念であり申し訳なくおもっているのです。

 民主主義の盲点は、多数決で物事が決まっていくことです。このこと自体は悪いことではありませんが、国民は、少数意見を軽視するようになるのです。それを支配者たちは、マインドコントロールしやすく出来るのです。プロパガンダで社会に流し続けることで、人々の耳や目には、反対のことが、刷り込まれるので、そういう思い込みをする国民を増やせば、簡単にコントロールできてしまうからです。

少数意見の、本物を見分ける眼と耳をもつ事ですね。そして小さいけれども、本物があるという、事実をしっかりと心に刻みつけて、子供たちにも教えていくことですね。

本物は埋もれているのです。偽物は支配者がお金をだして、エンブレム。


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湯川博士 原爆投下を知っていたのですか<2509>

2015-09-23 22:30:08 | 社会問題 日々雑感

極東ブログより転載しました。http://finalvent.cocolog-nifty.com

◆ やはり、日本の中で知らされていた人がいることが、都内の博物館長などの話しが伝わってきていましたが、湯川博士も、あるいはその同僚が知っていたことは、確かなようです。そして、森一久氏という原発のドンと言われた人のこの話に、むごたらしい運命を見た思いです。森氏はご存命で現役のようですよ。(追記 森氏は2010年 2月3日急逝してました。1926年1月生れ、享年84歳)

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2015.09.22

 

[書評] 湯川博士、原爆投下を知っていたのですか――〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生(藤原章生)

 

 不思議な本だったと言ってみて、少し違う。次に、恐ろしい本だったと言ってみて、やはり少し違う。その中間に位置する本だろうかと考えて、再び、沼に沈むような感覚に襲われる。

cover
湯川博士、原爆投下を
知っていたのですか
〝最後の弟子〟
森一久の被爆と原子力人生
藤原章生
 普通に考えれば、書名は副題の「〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生」だけでよかっただろう。なぜなら本書の表向きの価値は、「森一久」の評伝的な部分にあるからだ。その意味ではむしろ、書名の「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」は、無理に人の関心を煽っている印象がある。だが、ここでまた戸惑うのだ。この書名は正しいのだろうと。つまり、「湯川秀樹は事前に原爆投下を知っていたのか?」 もちろん、それが荒唐無稽に聞こえることはわかるし、それゆえにある種の困惑が伴う。
 本書は冒頭で、新聞記者でもある著者・藤原章生と森一久との最後の出会いが描かれている。そこで森は思いがけぬ嗚咽を藤原に見せる。唐突な切り出しだが、本書を一読して再びこの冒頭のシーンに戻るとき、なんとも言えない、なんだろう、胸にこみ上げてくる嫌な感じがする。そこが本書の本質に関連しており、その本質は、私たちの社会と原子力の向き合い方のある原点が関連している。言葉にしにくいが。
 そこをとりあえず素通りして行くなら、本書は、書名の、ややスキャンダラスな問いかけを使って読者の気を引きながら、実際の叙述の大半は、森一久という人間の生涯に触れていくことになる。そもそも森一久とは何者か?
 読売新聞で科学専門の論説委員をしていた中村政雄が、本書で上手にその一面を描いている。

「森いっきゅうはね、原子力村のドンだよ」
 森さんの本名は「かずひさ」だが、親しい人たちはほぼみな「いっきゅうさん」と呼んでいた。
 「彼も僕も酒を飲まないので、プライベートなことや心情を話すことはまずなかったけどね。とにかく頭が良くて、左から右まで人脈が広くてね。おyく勉強する人だから尊敬し、親しくさせてもらっていた」
「ドン……ですか?」
「うん、ドンだね。日本の原子力村を動かしてきた人だよ。まあ、本人には権力も財力もないし、名誉欲なんてものとはまったく無縁な人だったけどね。彼の城、原子力産業会議なんていうのは、森さんがいなけりゃ何の意味存在感もないところ。ただ、森さんは人脈がすごいから、省庁も何か決めるときは『森さんに一応断っとけ』『森さんに聞いてみよう』といった存在になっていたんだね」


「あの人はまあ、黒田官幣みたいな軍師、策士だね。金も権力もないから、例えば東電を動かそうとする場合、自分で乗り込んでいってがんがん言うなんてことはしない。原産は東電なんかの協力金でもっているところだから、そんな偉そうなことはできないからねえ。どうするかっていうと、役所や新聞記者、メーカーの社長とかいろいろな人脈を使って、外堀から動かしていくんだ。あらゆる人を『これはこうしなくちゃだめだ』って説得して、その気にさせて、東電を包囲していくわけだね」

 その森一久という人は、現代人の薄っぺらな知性に適したウィキペディア的にはどう描かれているかというと、その項目が存在しない。正確に言えば項目だけしか存在しない(参照)。なぜなのか?
 フィクサーのように影に隠れる人だったのか。そうでもない、公式に簡易に説明もできる(参照)。

もり・かずひさ 京都大卒。故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ。中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材。1956年の日本原子力産業会議設立時に職員となり、専務理事を経て96年副会長。広島市中区出身。74歳。

 過不足ないかに見える紹介文である。だが、ここから原子力村のドンであることは読み取れない。
 どういうことなのか? 本書に戻る。

 電力会社などが出資する原産に権限はないが、推進派から反対派までの多岐にわたる人脈、半世紀の経験が森さんの影響力を強め、「ドン」と呼ばれるまでになった。しかし、生涯、黒衣に徹した人だったため、原子力史に名前が出てくることはほとんどない。

 重要なのは、森一久が「原子力史に名前が出てくることはほとんどない」ということで、そういう人が、原子力村のドンだった。それはどういうことなのか? そこがこの本のまず第一番目の価値になる。
 簡素な彼の経歴をもう一度見てみよう。森一久とは何者か? 「中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材」ということで、つまりジャーナリストなのである。ジャーナリストがなぜ、そのドンのような影響力を持ち得たか。本人の能力もだが、原点は「故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ」からであり、若い日には彼の活躍には湯川博士の事実上の支援があったからだ。森がそもそもジャーナリストとなったのも湯川博士の勧めもあった。このあたりは本書に詳しい。
 それにしても「原子力村のドン」とは、どういう存在だったかのか。福一事故後の現代からそこを顧みたとき、彼はどのような存在に見えるのか? 本書を読まなくても、原子力村のドンなら、原子力開発の推進者であったと理解され、そこで条件反射的に否定に構えてしまう人もいるだろう。が、その前に森は高木仁三郎参照)とも懇意にしていたことを留意すべきだろう。
 そうして見ていくと、「森一久とは何者か?」という問いの深みが感じられてくるはずだ。そしてさらに経歴を見直すと、「広島市中区出身」ともある。先に本書の冒頭での森の嗚咽に触れたが、晩年の森が、広島原爆で不明となった母親を探す想起のためであった。
 ではなぜ、原子力爆弾を憎んでいた人間が、原子力村のドンになってしまったのか? そしてドンの立場から、また晩年、そこから離れていくとき、彼はどのような懊悩を抱えていたか。そのあたりは本書の後半に詳しい。そして中盤は、そもそも「ドン」なるものを生み出してしまう、日本権力の奇っ怪さをかいま見る面白さもある。後藤文夫も興味深い。
 ここで再び、最初の疑問に戻る。書名の問いかけである。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」ということだが、どうなのか。そもそもこれはどういう問いなのか?
 こういう逸話が語られている――1945年5月、京大工学部冶金学教室に入学したばかりの水田泰次が、冶金学の西村秀雄教授から、特殊爆弾が広島に投下されるので危険だから家族を疎開させなさい、と言われた。その場に湯川博士も黙ったままだが同席していた。そして水田は西村教授の示唆で家族を広島から離したため、原爆の被害に遭わないで済んだ。
 この逸話を70歳過ぎた森一久が知り、困惑する。西村教授と同席していた湯川博士は当然その話を聞いているのに、なぜ、広島に家族がいる自分(森)に広島原爆の事前投下を教えてくれなかったのか? 湯川博士はこのとき何を考えていたのか?
 その逸話が晩年の森を苛ませる。湯川博士も広島原爆投下を知っていて、広島に家族がいる森に知らせなかったとしたら、その理由もだが、その後の良心の負い目から、ジャーナリストになった森を贔屓してくれたのではなかったか?
 問いは、実は錯綜している。
 冶金学の西村秀雄教授に広島原爆投下の情報は本当に入っていたのか? 水田の話では、西村教授に米国の学会から秘密裡に情報が届けられたということだった。だが、それはその時点では憶測や偶然だったのではないか。西村教授がそうした情報に触れるわけがないとする取材も本書には含まれている。
 また湯川博士だが、その話を聞いても、憶測に過ぎないと聞き流しただけなのではないか。それでも、事後に森に対して良心の呵責を感じた可能性はあるかもしれない。
 あるいは……私は本書を読んだ後、ぼんやりと思ったのだが、情報は実は、湯川博士に先に入っていた可能性はなかっただろうか。
 この陰謀論のような問題の、そもそも成立条件だが、まず、1945年5月の時点で、広島原爆投下が米国で計画されていなければならない。もとの情報がないならこうした話題は雲散霧消するべきだ。だがそこは本書を読んでもわからない。
 5月の時点で広島投下が決まっていたら、それは日本に極秘ルートで伝えられた可能性はあるだろうか? 
 本書には書かれていないが私は少しこう考えていた。広島原爆の模擬弾である多数のパンプキン爆弾の存在とその投下点である。投下点の候補は、京都、広島、長崎、新潟の四点と見られていた。京都は有効でなく、新潟は山本五十六への復讐という象徴的な意味であろうから、実際には広島・長崎は、多数のパンプキン爆弾の製造を考えると妥当あるように思われる。この際のポイントはまさに、パンプキン爆弾を多数製造する「冶金学」の技術になるだろうから、そのルートでの西村教授への暗示は存在した可能性はありうるのではないか。
 また当初の問題に戻る。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」と。本書のネタバレのようになるが、本書は悪意ででも意匠でもないだろうが、結果的に慎重にこの問いの答えを避けている。
 仮に、読者の判断に任されていると言ってよいなら、私はどう答えるだろうか。本書の読後(あるいは毎日新聞連載後)、いろいろ考えたのだが、西村教授へのなんらかの通知はあっただろうし、湯川博士はそれを妥当と見ていたのではないかと思うようになった。すると湯川の脳裏には、広島原爆は想起されていただろうとも思う。ただし、そもそもファインマンを含め、マンハッタン計画に参加した科学者はあれほどひどい兵器になると想定していなかったふうもある。
 さて、そもそも本書はなぜ書かれたのか。本書の内容は、2014年から連載されている毎日新聞(朝刊2面)大型企画「戦後70年」『原子の森、深く』をベースにしたものある。その意味では本書の大半はネット上でも読むことはできる(参照)。
 しかし加筆され整理された書籍として読むと、また印象が異なるものである。こう言うと何だが、森一久は70歳以降、JCC事故もだが、ある種、正気のなかで狂気に接していたのではないだろうか。こういう言い方は奇妙だが、集団的な狂気が緩慢に行き渡っている空気のなかでは、正気であることが狂気に近いものを駆り立てしまうことがある。それをどう受け止めてよいのか。また、湯川秀樹が抱えていたかもしれない、ある種のニヒリズムがあるなら、それをどう受け止めたらよいのか。
 本書の読み方を超える部分ではあるが、そこは重く日本の市民にのしかかるものがあるだろう。
 
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地球座より一部転載しました。http://chikyuza.net/archives/15852
 

問われる科学者の責任 「NHK特集シリーズ 原発事故への道程(前編)『置き去りにされた慎重論』」へのコメント

 
 
(前略)
 日本が独立した1952年10月、(財)電力経済研究所が設立され、学会とは別に政財業界での原子力発電の調査が始まった。後藤文夫氏の発言を証言した、元中央公論社の森一久は、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の門下生で、当時、科学雑誌で原子力分野を担当していた男。
 
 当初、森一久は、政財界が研究者に先駆けて、原子力産業に乗り出すことに反発し、後藤文夫に抗議したという。それに対し、財団法人電力経済研究所で、原子炉開発の研究会を主催していた後藤文夫から「原子力が日本のこれからの復興にちゃんと役立と考えてやっているわけだから、外で文句なんか言わず、中に入ってこい」と言われ、ミイラ取りがミイラになる形で、その後、元中央公論社の森一久も、原子物理学の専門知識を買われ、後藤の下で政財界と研究者とのパイプ役を果たしていくことになる。
 1951年9月、ソ連がオブニンスク原発建設を開始。世界初の大型原発建設に着したソ連は、原子力の平和利用を掲げ、東側陣営への拡大を図った。こうしたソ連の攻勢に危機感を深めたアメリカのアイゼンハワー米国大統領は、1953年12月に国際連合で、いわゆる「平和のための原子力」演説を行った。

photo

森一久氏の主張はここで読むことが出来ます。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/abom/00abom/ningen/000217.html

森一久氏への追悼文は、ここで読むことが出来ます。仕事について個人の様子がうかがえます。そして原発の温排水で、魚の養殖を始めたと書かれていますよ。
http://www.jaif.or.jp/news_db/data/2010/0304-2-5.html

~~~~~~~~~~~~~~
◆森一久氏は、当初は原発反対者だったようですね。自分の母親が広島の原爆で不明になっていることからも、わかりますが、それがどうして、原発のドンになっていったのか、お金でしょうか?一介のサラリーマンとは違い多額の報酬があったはずです。そして、支配者の高笑いが聞こえてきそうに、私にとっては気持ちの悪い話でもありますね。
 

湯川博士のノーベル賞についても、今では色々な方面から、オカシイともささやかれ、湯川博士は、走化だったという話もでてきています。
私が最初にオカシイと思ったのは、たしか岸総理が平和賞を受賞した時ですね。
確かなものは、何もないノーベル賞。イル身のインチキノーベル賞なのです。

 

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「辺野古の状況見てください」沖縄知事、国連人権理で声明<2508>

2015-09-23 21:56:41 | 社会問題 日々雑感

「辺野古の状況見てください」沖縄知事、国連人権理で声明

◆動画がでていました。この翁長県知事の声明文のあと、日本政府からの反論があったようで、その文が次のブログより明らかになりました。何時も政府は説明をしていくという文言を使って、国民を騙しています。今回も同じです。一つも説明などありません。政府のやり方は強奪です。

 

http://afriqclass.exblog.jp/21666952/ より転載しました。

Lifestyle&アフリカ&教育&Others

 

国連人権理事会 年次総会 2015年9月21日 ジュネーブ

 

【日本政府代表からの反論】
日本政府代表として反論の権利を行使する。
市民外交センターを代表してスピーチした沖縄県知事の発言に反論する。

日本の政府にとって、国家の安全保障は、国民の平和な生活を維持する上で最も重要な課題である。安全保障を巡る状況が急激に深刻化している現在においては、特にそうである。

日本政府としては、米軍駐留による負担を軽減することは最優先課題である。米国政府との協力によって、いくつかの負担軽減策を取ってきた。例えば、今年3月、米軍の施設に使われていた土地51ヘクタールを返還した。また、日本政府は、沖縄の経済振興をするために、沖縄をアジアのハブとして位置づける努力もしている。また、日本政府は、沖縄県との間でハイレベル協議を設置し、この件について話し合ってきている。

米国海兵隊飛行場の普天間からの移設は、米軍の存在(抑止力)を継続的に保証する一方、それに関わるリスクを排除するため、唯一の解決策である。普天間基地は人口集中地にあるからである。

そして、この普天間基地からの移設計画は、歴代沖縄知事によって、1999年、2000年、2013年にエンドース(承認)されてきたものである。また、辺野古での基地建設のための許可は、仲井眞・前沖縄県知事から法的に合致する形で与えられたものである。日本政府は、今後も関連法・制度のもとに、この移設を適切に進めていく。

なお、移設にあたっては、自然・生活への環境インパクトを鑑み、環境インパクトアセスメントもしている。

日本政府は、今後も沖縄への十分な説明を継続していく所存である。

(日本政府側の鍛冶美佐子大使)


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アベノミクスは ダメダメミクスでした<2507>

2015-09-23 12:40:17 | 社会問題 日々雑感

日刊ゲンダイより転載しました。http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/164279

アベノミクス“第2ステージ”で日本経済は完全に破壊される

総裁選の公約ビラに〈アベノミクス いよいよ「第2ステージ」へ〉と掲げ、アベノミクスを自画自賛している安倍首相。しかし、これ以上、弊害だらけのアベノミクスをつづけたら、日本経済は本当に破壊されてしまう。

 すでに株式市場にも異変が起きている。株価が乱高下しているだけじゃない。個人投資家が市場から離れ始めているのだ。8月の第1週、個人投資家が占める売買シェアは21.9%だった。ところが、9月の第1週は15.9%まで下がっている。個人投資家が「アベノミクスは崩壊する」と警戒している証拠だろう。そもそも、この2年間、GDPはゼロ成長なのだからアベノミクスが失敗に終わったことはハッキリしている。経済評論家の斎藤満氏がこう言う。

「アベノミクスが失敗に終わった最大の原因は、トリクルダウンが空振りに終わったことです。この2年間で企業の収益は3割以上拡大していますが、実質賃金はまったく上昇していない。労働分配率は5%も下がり、正規労働者の割合も2年前の65%から62%に低下している。これでは個人消費は伸びない。GDPの6割を占める個人消費が冷え込んだままでは、景気がよくなるはずがありません」

 弱者ほど貧しくなるのが、アベノミクスだ。「下流老人」が流行語となり、国民の62.4%が「生活が苦しい」と答えている。恐ろしいのは、11月以降、日本経済はさらに悪化する恐れが強いことだ。

「4~6月期につづいて、7~9月のGDPもマイナスに落ち込むとみられています。GDPは11月に発表される。その時、改めて日本経済の低迷が意識されるでしょう。経営者も消費者も、守りに入り、もう一段、景気が落ち込む恐れがあります」(斎藤満氏=前出)

 投資の神様と呼ばれるアメリカのジム・ロジャーズは、雑誌のインタビューで「10年、20年経って日本人の皆さんは気づくでしょう。『安倍総理が日本を滅ぼした』と」と警告している。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 一部の人だけが潤うような、嘘経済の押し上げは、もうバレバレになっていますが、いまだに、アベノミクスを信じている人がいるみたいです。テレビのニュースなど、チラッとみるだけで、真剣に聞かない人に多いように思います。投資専門のニュースはむろん本当のことなど、言いませんから。

テレビは人間を馬鹿にする作用があると言いますから。なるほどですね。

最近は若者のテレビ離れが盛んなようですが、そうかといって何か別の事に熱中しているわけではないようです。

することがないから、PCを触っているだけ、という人もいるのです。なんだか、本当に時間がもったいないと、思います。

中身の濃い話は、疲れているときは、本当に受け付けられないのです。疲れすぎているのが、そもそも支配者のやり口なんでしょうね。奴隷制度は、今も続いているのは、本当ですね。

そういう会社が日本中にできているのです。大企業もそうです。正社員でせっかく入っているのだから、やめるわけにもいかない。滅私奉公状態から抜けることすらできないです。

社会全体が今の状況を作っているのですから、若者が疲弊しているのは、事実あるでしょう。それでも、私はニートや、働いていない若者たちに、もっと声をあげてほしいとおもっています。彼らこそ、時間はたっぷりあるのですから。

自分の生き方を社会を変えようと思ってくれることを、願っています。

 




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第2次世界大戦 沖縄戦で自決したと言われる牛島満大尉 <2506>

2015-09-23 11:35:20 | 歴史

 ウィキペディアより転載しました。https://ja.wikipedia.org/wiki/牛島満

牛島 満(うしじま みつる、1887年(明治20年)7月31日 - 1945年(昭和20年)6月23日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大将(中将から、戦死により即日大将に親任される)。鹿児島県鹿児島市出身。

沖縄戦において、第32軍を指揮し自決した。温厚な性格で知られ教育畑を歴任したが、指揮官としても沖縄戦以前に歩兵第36旅団長として武漢市南京市攻略戦に参加し、武功を挙げた。

 

Mitsuru Ushijima.jpg

  • (前略)
  • 陸士校長の在任中に校内で火災が発生するという事件が起こり、幸い火は懸命の消火活動で幹部室だけで食い止め、生徒宿舎に被害は無かった。火事の報を聞いた牛島は「私が出向いたからといって、火が消えるわけでは無いだろう」と特に慌てる風でもなく、翌朝普段通りに出勤し、現場を見回った際には怒るわけでもなく「1人も怪我をしなくてよかった。しかし、一角だけ綺麗に焼けたもんだ」と笑い、何事も無かったかのように校長室に入っていき、生徒隊長や幹部らを驚かした。失火の責任者として中隊長と当番士官は左遷されたが、この件を聞いた東條英機首相(陸相兼務)は、牛島に対して責任者を処罰するよう要求し、最前線部隊に転出という懲罰人事にまで言及した。これに対して牛島は「校長の私が責任をとる。ましてや中隊長を刑罰的に最前線に送るなど絶対反対」と拒否回答を東條に送りつけている。
  • 牛島に接したことのある沖縄県民の間では、彼の温厚な人柄を懐かしむ声は多い。司令部壕掘りを手伝っていた人物の回想では、「穏やかな人で、敬礼すると『学生さん、ご苦労』と言っていた。靴がすり切れたので、はだしで作業をしていたら、『靴はどうした』と聞いて、早速新しい靴を持ってきた」という。また、32軍幹部の馬の世話をしていた獣医部の回想では、ある日指定時間に遅れて牛島の馬を連れてきた際、怒鳴られるのを覚悟したが、牛島は「私の方が早く来すぎたから」と語り、怒るどころかにこやかに答えたという。[7]
  • 牛島満の慰霊碑が、鹿児島市加治屋町の甲突川河川敷に建立されている。周囲には桜が植樹されており、鹿児島市民には花見の名所として人気がある。
  • 孫に当たる牛島貞満は東京で小学校の教師をし統合教育に尽力するかたわら、毎年、沖縄県内の小学校に出向くほか各地の小学校で平和授業をしている。穏やかで優しい人だったという祖父が「最後まで敢闘」するように伝え、住民の被害を増やしたことを示し、「人が人でなくなるのが戦争です。」と、そして「軍隊は住民を守らない。沖縄戦から学んだことです。」と子供たちに伝える[8]

~~~~~~~~~~~~~~

◆ どんなに部下に愛されていた人でも、あの沖縄戦で多くの住民が無駄になくなったことは、確かです。なくなったのは、切腹と、言われていますが、服毒自殺説もあるようです。真相は闇の中ですが、孫が同じ教師として、子供たちに話す言葉の重みを感じますね。

自分の家族がしてきたことを、このように、指名として言葉にしているのだと思います。

悲しいですね。戦争が好きなのは、支配者たちだけです。民衆を民草と呼び、囲碁の駒と同じに扱われていたのです。優秀な教育者としての資質があったのなら、教育にたずさわることこそ、一番の国の為になっていたのではないでしょうか?

このように、人生の多くを戦闘の中で生きて行かざるを得なかった、多くの日本人の魂は、あの靖国神社で、どういう扱いをされているのでしょう?

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の陰謀より転載しました。http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p002.html#page14A

■ 沖縄鹿児島 

そもそも沖縄守備軍司令官牛島満だが、この男は「鹿児島」出身だ。鹿児島の人間はほとんどこの事を知らない。少なくとも学校教育では語られない。沖縄で鹿児島が受け入れられないのは、薩摩藩時代の「サトウキビ貿易」による沖縄の搾取だと言われている。これも嘘だ。それどころか、司令官に何故鹿児島の男を選んだのか。それは、陸軍の司令部の跡を訪ねるとよく分かる。陸軍の司令部は、「首里城の地下壕」だった。首里城の地形を見ればよく分かるが、そこに地下壕を掘らねばならない理由もはなく、首里城の城壁は近代戦争での効果的な防護にはならなかった。 

日本政府には明治以来大きな課題があった。今でもそうだが、「美しい国日本」だ。その点で日本の最大の邪魔者は、周辺の王朝の存在だった。いや、存在ではなく、歴史的存在だ。大和朝廷よりも優れた王朝であってはならないのだ。だから、全ての遺産は破壊する必要があった。 

沖縄を戦場に選んだのは米国ではなく日本政府だったのだ。なぜ、沖縄に主力部隊を置いたのか。台湾奄美大島徳之島でもよかったはずだ。 

米国は文化施設は戦闘地域から除外する。日本は逆だ。破壊したい文化施設に立てこもり、敵に完全に破壊させる。沖縄では海軍司令部跡は観光地になっているが、陸軍司令部跡は首里城の地下でありながら、人目に触れないように「ふた」がしてある。何故ここを司令部に選んだのか説明出来ないからだ。 

これと同様、沖縄戦では多くの沖縄人に死んで欲しかったのだ。しかし、ここにも日本人の「いじめの体質」がよく伺える。「いじめ」に自分の手は汚さない。「弱い者」に「弱い者」をいじめさせる。この時の「弱い者」は隣県の鹿児島人だった。西南戦争以来、鹿児島の人間は政府内で疎んじられていた。おかげで、東京から干された鹿児島に同じく干された沖縄をいじめる役が回ってきたのだ。 

山口(長州藩)出身の安倍には笑いが止まらないだろう。 

砲弾の嵐で首里城はこっぱみじんに吹き飛んだ。ここからが、暴力団・暴走族・オウム真理教などと警察のトリックの「やらせ」が行われる。自ら首里城の破壊を画策しておきながら、後に親切を装って、日本政府が首里城を再建する。 

沖縄の首里城を破壊したのは「米軍」だ。アメリカを憎め。再建したのは、日本政府だ。「美しい国日本」。 

集団自決をさせたのは、「鹿児島人」だ。鹿児島を憎め。沖縄復興は日本政府に感謝せよ。 

(中略)

■ 沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。 (2009年9月8日追記) 

沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。実際、6月23日の牛島中将の自決も、8月15日玉音放送も戦場の人間にとって、また兵士にとって、単なる儀式でしかなかった。大事なことは戦闘が終わって、安心して生きていけるかどうかだった。 

結局、日本の記念日は、政府のために作られたもので、何も実態を反映しない。こうして歴史は塗り替えらる。 

~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 今までなぜ沖縄がこんな目にあうのか、不可解に思っていたことが、この文章を読んで私は、納得できました。明らかに沖縄への何かがあると、思わざるをえないです。

支配者は、後から日本列島に渡ってきた民族です。元からいたのは、縄文人と言われています。その縄文人のDNAを色濃くもっているのが、アイヌと沖縄です。日本人のルーツはこの二つの民が祖先なのです。それを排除しようとしてきたのは、明らかに万世一大です。

今も、執拗に田布施システムがやっていますね。

私達の民のルーツを排除することは、日本人を排除することに、つながるのです。

なんとしても、止めなければならないのです。


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自衛隊 モンゴルにて中国軍と仲良く共同訓練 どういうこと?<2505>

2015-09-23 11:01:54 | 社会問題 日々雑感

◆ツイッターより転載しました。

 

 

 

『週刊プレイボーイ』2015年8月10日号に、今年6月にモンゴルで行われたPKO多国間共同訓練で、自衛隊と中国軍などが共同訓練を行った際の写真が掲載されていた。この共同訓練は民間報道機関が入る前に実施され、米国防総省が撮影・公開した。

 
 
◆ 国会も茶番なら、アメリカのオバマも茶番!まあ、どうでもいいですよ~♪
 
これで、デモの熱を冷まそうとしているのかもしれませんね。違憲は違憲で変わりないのに。

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カダフィ大佐は 難民の流失を予測していた <2504>

2015-09-23 10:27:01 | 社会問題 日々雑感

twitterより転載しました。

 

 さんがリツイート

2011年4月30日、   が死亡する少し前に発したメッセージ (今を考えると、予言に近いものでした)       

 

埋め込み画像への固定リンク

 

◆ ヨーロッパへの難民が出ることを、予見していたのが、リビアのカダフィ大佐でした。

夢のような国策のリビアの真実は西側のメディアは、決して伝えなかったことです。

今は当然、イル身の支配になっていると思います。

カダフィ大佐のこの言葉をヨーロッパの民衆はどう思うでしょうか?

そして、改めてイル身の勢力に早く気付くこと、目覚めることが大切だと思いました。

 


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