不思議な本だったと言ってみて、少し違う。次に、恐ろしい本だったと言ってみて、やはり少し違う。その中間に位置する本だろうかと考えて、再び、沼に沈むような感覚に襲われる。
普通に考えれば、書名は副題の「〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生」だけでよかっただろう。なぜなら本書の表向きの価値は、「森一久」の評伝的な部分にあるからだ。その意味ではむしろ、書名の「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」は、無理に人の関心を煽っている印象がある。だが、ここでまた戸惑うのだ。この書名は正しいのだろうと。つまり、「湯川秀樹は事前に原爆投下を知っていたのか?」 もちろん、それが荒唐無稽に聞こえることはわかるし、それゆえにある種の困惑が伴う。
本書は冒頭で、新聞記者でもある著者・藤原章生と森一久との最後の出会いが描かれている。そこで森は思いがけぬ嗚咽を藤原に見せる。唐突な切り出しだが、本書を一読して再びこの冒頭のシーンに戻るとき、なんとも言えない、なんだろう、胸にこみ上げてくる嫌な感じがする。そこが本書の本質に関連しており、その本質は、私たちの社会と原子力の向き合い方のある原点が関連している。言葉にしにくいが。
そこをとりあえず素通りして行くなら、本書は、書名の、ややスキャンダラスな問いかけを使って読者の気を引きながら、実際の叙述の大半は、森一久という人間の生涯に触れていくことになる。そもそも森一久とは何者か?
読売新聞で科学専門の論説委員をしていた中村政雄が、本書で上手にその一面を描いている。
「森いっきゅうはね、原子力村のドンだよ」
森さんの本名は「かずひさ」だが、親しい人たちはほぼみな「いっきゅうさん」と呼んでいた。
「彼も僕も酒を飲まないので、プライベートなことや心情を話すことはまずなかったけどね。とにかく頭が良くて、左から右まで人脈が広くてね。おyく勉強する人だから尊敬し、親しくさせてもらっていた」
「ドン……ですか?」
「うん、ドンだね。日本の原子力村を動かしてきた人だよ。まあ、本人には権力も財力もないし、名誉欲なんてものとはまったく無縁な人だったけどね。彼の城、原子力産業会議なんていうのは、森さんがいなけりゃ何の意味存在感もないところ。ただ、森さんは人脈がすごいから、省庁も何か決めるときは『森さんに一応断っとけ』『森さんに聞いてみよう』といった存在になっていたんだね」
「あの人はまあ、黒田官幣みたいな軍師、策士だね。金も権力もないから、例えば東電を動かそうとする場合、自分で乗り込んでいってがんがん言うなんてことはしない。原産は東電なんかの協力金でもっているところだから、そんな偉そうなことはできないからねえ。どうするかっていうと、役所や新聞記者、メーカーの社長とかいろいろな人脈を使って、外堀から動かしていくんだ。あらゆる人を『これはこうしなくちゃだめだ』って説得して、その気にさせて、東電を包囲していくわけだね」
その森一久という人は、現代人の薄っぺらな知性に適したウィキペディア的にはどう描かれているかというと、その項目が存在しない。正確に言えば項目だけしか存在しない(
参照)。なぜなのか?
フィクサーのように影に隠れる人だったのか。そうでもない、公式に簡易に説明もできる(
参照)。
もり・かずひさ 京都大卒。故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ。中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材。1956年の日本原子力産業会議設立時に職員となり、専務理事を経て96年副会長。広島市中区出身。74歳。
過不足ないかに見える紹介文である。だが、ここから原子力村のドンであることは読み取れない。
どういうことなのか? 本書に戻る。
電力会社などが出資する原産に権限はないが、推進派から反対派までの多岐にわたる人脈、半世紀の経験が森さんの影響力を強め、「ドン」と呼ばれるまでになった。しかし、生涯、黒衣に徹した人だったため、原子力史に名前が出てくることはほとんどない。
重要なのは、森一久が「原子力史に名前が出てくることはほとんどない」ということで、そういう人が、原子力村のドンだった。それはどういうことなのか? そこがこの本のまず第一番目の価値になる。
簡素な彼の経歴をもう一度見てみよう。森一久とは何者か? 「中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材」ということで、つまりジャーナリストなのである。ジャーナリストがなぜ、そのドンのような影響力を持ち得たか。本人の能力もだが、原点は「故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ」からであり、若い日には彼の活躍には湯川博士の事実上の支援があったからだ。森がそもそもジャーナリストとなったのも湯川博士の勧めもあった。このあたりは本書に詳しい。
それにしても「原子力村のドン」とは、どういう存在だったかのか。福一事故後の現代からそこを顧みたとき、彼はどのような存在に見えるのか? 本書を読まなくても、原子力村のドンなら、原子力開発の推進者であったと理解され、そこで条件反射的に否定に構えてしまう人もいるだろう。が、その前に森は
高木仁三郎(
参照)とも懇意にしていたことを留意すべきだろう。
そうして見ていくと、「森一久とは何者か?」という問いの深みが感じられてくるはずだ。そしてさらに経歴を見直すと、「広島市中区出身」ともある。先に本書の冒頭での森の嗚咽に触れたが、晩年の森が、広島原爆で不明となった母親を探す想起のためであった。
ではなぜ、原子力爆弾を憎んでいた人間が、原子力村のドンになってしまったのか? そしてドンの立場から、また晩年、そこから離れていくとき、彼はどのような懊悩を抱えていたか。そのあたりは本書の後半に詳しい。そして中盤は、そもそも「ドン」なるものを生み出してしまう、日本権力の奇っ怪さをかいま見る面白さもある。後藤文夫も興味深い。
ここで再び、最初の疑問に戻る。書名の問いかけである。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」ということだが、どうなのか。そもそもこれはどういう問いなのか?
こういう逸話が語られている――1945年5月、京大工学部冶金学教室に入学したばかりの水田泰次が、冶金学の西村秀雄教授から、特殊爆弾が広島に投下されるので危険だから家族を疎開させなさい、と言われた。その場に湯川博士も黙ったままだが同席していた。そして水田は西村教授の示唆で家族を広島から離したため、原爆の被害に遭わないで済んだ。
この逸話を70歳過ぎた森一久が知り、困惑する。西村教授と同席していた湯川博士は当然その話を聞いているのに、なぜ、広島に家族がいる自分(森)に広島原爆の事前投下を教えてくれなかったのか? 湯川博士はこのとき何を考えていたのか?
その逸話が晩年の森を苛ませる。湯川博士も広島原爆投下を知っていて、広島に家族がいる森に知らせなかったとしたら、その理由もだが、その後の良心の負い目から、ジャーナリストになった森を贔屓してくれたのではなかったか?
問いは、実は錯綜している。
冶金学の西村秀雄教授に広島原爆投下の情報は本当に入っていたのか? 水田の話では、西村教授に米国の学会から秘密裡に情報が届けられたということだった。だが、それはその時点では憶測や偶然だったのではないか。西村教授がそうした情報に触れるわけがないとする取材も本書には含まれている。
また湯川博士だが、その話を聞いても、憶測に過ぎないと聞き流しただけなのではないか。それでも、事後に森に対して良心の呵責を感じた可能性はあるかもしれない。
あるいは……私は本書を読んだ後、ぼんやりと思ったのだが、情報は実は、湯川博士に先に入っていた可能性はなかっただろうか。
この陰謀論のような問題の、そもそも成立条件だが、まず、1945年5月の時点で、広島原爆投下が米国で計画されていなければならない。もとの情報がないならこうした話題は雲散霧消するべきだ。だがそこは本書を読んでもわからない。
5月の時点で広島投下が決まっていたら、それは日本に極秘ルートで伝えられた可能性はあるだろうか?
本書には書かれていないが私は少しこう考えていた。広島原爆の模擬弾である多数のパンプキン爆弾の存在とその投下点である。投下点の候補は、京都、広島、長崎、新潟の四点と見られていた。京都は有効でなく、新潟は山本五十六への復讐という象徴的な意味であろうから、実際には広島・長崎は、多数のパンプキン爆弾の製造を考えると妥当あるように思われる。この際のポイントはまさに、パンプキン爆弾を多数製造する「冶金学」の技術になるだろうから、そのルートでの西村教授への暗示は存在した可能性はありうるのではないか。
また当初の問題に戻る。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」と。本書のネタバレのようになるが、本書は悪意ででも意匠でもないだろうが、結果的に慎重にこの問いの答えを避けている。
仮に、読者の判断に任されていると言ってよいなら、私はどう答えるだろうか。本書の読後(あるいは毎日新聞連載後)、いろいろ考えたのだが、西村教授へのなんらかの通知はあっただろうし、湯川博士はそれを妥当と見ていたのではないかと思うようになった。すると湯川の脳裏には、広島原爆は想起されていただろうとも思う。ただし、そもそもファインマンを含め、マンハッタン計画に参加した科学者はあれほどひどい兵器になると想定していなかったふうもある。
さて、そもそも本書はなぜ書かれたのか。本書の内容は、2014年から連載されている毎日新聞(朝刊2面)大型企画「戦後70年」『原子の森、深く』をベースにしたものある。その意味では本書の大半はネット上でも読むことはできる(
参照)。
しかし加筆され整理された書籍として読むと、また印象が異なるものである。こう言うと何だが、森一久は70歳以降、JCC事故もだが、ある種、正気のなかで狂気に接していたのではないだろうか。こういう言い方は奇妙だが、集団的な狂気が緩慢に行き渡っている空気のなかでは、正気であることが狂気に近いものを駆り立てしまうことがある。それをどう受け止めてよいのか。また、湯川秀樹が抱えていたかもしれない、ある種のニヒリズムがあるなら、それをどう受け止めたらよいのか。
本書の読み方を超える部分ではあるが、そこは重く日本の市民にのしかかるものがあるだろう。