アイリス あいりす 

社会問題 日々雑感 家庭料理 健康管理

新潟県知事選 民進党新潟県5区総支部長立候補者を県民進党が拒否

2016-09-19 14:28:13 | 原発 放射能汚染

http://健康法.jp/archives/22077 より転載しました

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【民進党が  の市民候補を潰す?】
新潟県の市民と共産、生活、社民3党が共同で
民進党の県第5区総支部長(次期衆院選新潟5区の候補者)米山隆一氏を県知事選候補に決定!民進党県連に立候補を認めるよう正式に要請したが、同県連はこれを拒否!
 えっ?

 

【蓮舫さん!出番です!】
米山氏は、市民の要請を受けて  に立候補する決意。その場合、民進党は同氏を処分?
原子力ムラと戦い、民進党からも攻撃されるのでは、どんな覚悟があっても気持ちは揺らぐでしょう。
連合は森民夫氏を支持してるけど、
今こそ、蓮舫さん、出番です!


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釜揚げしらすの山かけ丼

2016-09-19 14:11:26 | 家庭料理

マグロの変わりにしらすを使います。

お手軽でとても美味しいです。

 

【材料】

釜揚げシラス

すだち (半分を茶こしをあてて、シラスにまんべんなく振り掛けます。)

長いも (山芋でも可)洗ってそのままおろします。皮が苦手な方は、剥いてください。

青ネギ

シソ

わさび

 

【作り方】

丼にご飯をいれ、釜揚げシラスを敷き詰め、おろした長いもをのせます。

青ネギ、シソ、わさびをのせて、どうぞ。シラスに塩があるので、しょうゆは少な目に。

 

あとは、漬物、味噌汁があれば、我が家は充分ですね。


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阿修羅 空耳の丘より 「黄金の百合作戦」

2016-09-19 10:16:42 | 天皇まんざーい

http://www.asyura2.com/0411/bd38/msg/768.html より転載

 

黄金の百合作戦(レッ・ボルテール:山下の黄金の「伝説」)


今年の1月に入って、「言論の自由を目指すレッ・ボルテール」スペイン語版(電子版)には、第2次大戦前後の日本についての記事が3つ続けて掲載されました。これは昨年フランス語版レッゾー・ヴォルテールに載せられた記事のスペイン語訳なのですが、近年の日本の軍国主義復活の動きに反応しているようです。また左翼的ヨーロッパの目から見た「近代日本観」(の一部ですが)を知る上でも興味深いと思います。

まず笹川良一、次に児玉誉士夫の特集があり、1月27日にはマッカーサーと並んだ昭和天皇の写真を掲げた『黄金の百合作戦(原文:Operación Lis de Oro)』という題の記事が登場しました。本当ならば先の2つの記事も翻訳してご紹介したいところなのですが、それぞれかなりの長文でなかなか翻訳の時間がとれず、まずこの記事からご紹介し時間があればおって先の2つの和訳にも手をつけよう、と思っています。

以下の訳文では、特に第2次大戦前の状況の説明で英米、中国(清)、ロシアなどとの関係を無視している、などの一方的な見方も目立ち、事実関係について疑問に思う点も無いわけではありませんが、まずここでは原文に忠実に翻訳してみます。一つの推理としては非情に面白い面を持っていると思います。また日本の皇室に対する仮借の無い糾弾ぶりもこの文章の特徴です。

<iframe src="http://cache.send.microad.jp/js/cookie_loader.html" width="1" height="1"></iframe><iframe src="http://cache.send.microad.jp/js/cookie_enabled_get.html" width="1" height="1"></iframe>

【参照】
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/rinen/totten/ow_text.php?A=1&B=517
M資金について(ビル・トッテン) (♫残念ながら、削除されています)
http://www.ryukyushimpo.co.jp/kinkou/kin24/k030928.html
M資金(金口木舌)(♫残念ながら、削除されています)

【関連本の紹介】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0767904974/249-4187780-1256311
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1859845428/249-4187780-1256311

 

 

日本の犯罪者たちの宝
『黄金の百合作戦』

DENIS BONEAU*

[大日本帝国軍が東南アジア【この文章の中では東アジアから東南アジアまでの範囲をすべて「東南アジア」と呼んでいる。:訳者】を侵略・略奪した1930年代以降、天皇裕仁は「黄金の百合作戦」を立ち上げた。その目的は戦争の略奪品を確保し隠匿することである。第2次大戦の終了時に、マッカーサー(米国)将軍の任務はその宝を手に入れて共産主義との戦いに資金提供するさまざまな基金を設立させることであった。「山下の黄金」は長いあいだ単なる伝説と思われていたが、これは、どのようにして日本の自由民主党が、その幹部たちの極端な腐敗にも関わらず、半世紀ものあいだ日本の「民主主義」を独占的に支配することができたのか、を我々に理解させることができる。これは、日本の戦犯たち、そのマフィアとの共犯関係、その政治権力、そして共産主義との戦いという文脈の中での彼らの悪事に対する米国の支援、というテーマについての三部シリーズの最終編である。これらの「民主主義」の擁護者たちの歴史である。]

パリ(フランス)  2005年1月27日


1895年に王妃閔妃が、伝説的な頭山満に率いられた国粋団体である玄洋社の殺人グループによって、生きながら焼き殺された。この作戦は朝鮮政府を不安定化させることを狙ったもので、頭山のヤクザたちと共謀した日本の諜報機関による征服戦略の一部分をなすものである。
『事故』を装った王妃暗殺は朝鮮に対する段階的な侵略を正当化させた。1905年にこの国は日本の保護領に変わった。複数の国粋主義団体が略奪作戦を開始し同時に窃盗団の首領たちが主要な地位を占めた。帝国政府の援助を受けて、頭山の右腕である黒龍会の首領内田良平が、朝鮮の裕福な家族をゆする作業にあたる戦闘員を組織した。
 1910年に朝鮮は完全に従属させられた。軍の責任者である山縣将軍は寺内を雇って黒龍会によって作られた秘密警察の活動を発展させた。憲兵隊が頭山と内田の手下たちの協力を得て各地域での略奪を戦術的に組織化していった。公式には、日本は一つの『共栄圏』の創設を通して、東南アジアを西欧の植民地主義から保護すると称した。
 実際には大日本帝国はこの国の組織的な略奪、黄金と美術品(価値の高い陶磁器)の窃盗を監督した。文化的な遺産(仏教寺院)を破壊し朝鮮のアイデンティティを消し去る明らかな意図を持って、である。
 同様のシステムが、岸信介の手とヤクザ組織の元で、満州を作り上げた。この属州によって日本は中国北部の商業港との海上交通をコントロールすることができた。傀儡政府は大陸浪人【原文では”tairiki ronin”となっているが明らかに音訳のミスと思われる:訳者】、役人たち、戦闘団の長、麻薬密売人たちの支配の下に置かれた。やる気満々のヤクザたちは略奪のための実質的な私兵組織を作り上げた。天皇の名の下に、あるいはアヘンとその加工物の販売網をコントロールするために、緑団【原文”Banda Verde”で「緑色の集団」と訳せるのだが中国人によるマフィア的組織と思われる。実際の名称をご存知の方はお教え願いたい。:訳者】の中国人の首領たちと手を組んだ。
 いずれここから笹川良一(1)と児玉誉士夫(2)が、戦後に自由民主党の絶対権力を作る財源に供した莫大な財産をひねり出すことになる。効率の良い手段を使って犯罪を行うこれらの集団のトップには岸信介とその一党がおり、また東条英機(秘密警察の長であり将来の戦時政府の首相)、星野直樹(アヘン独占販売の長)、松岡洋介(満鉄の総裁)そして鮎川義介(日産の統括者)【本文では”Aikawa Gisuke”となっているが音訳のミスと思われる:訳者】なども加わり、天皇の承認の元で略奪作戦の計画を立てた。
 彼らは満州重工業会社を創設したが、それは工業の発展を促し軍隊とヤクザが地元民から様々な手段(身代金の要求、ゆすり、銀行強盗など)でむしり取った戦利品を集約した。大日本帝国の皇族たちの指揮の下に行われたこれらの略奪が「黄金の百合作戦」である。

 その侵略熱は西側指導者をいらつかせた。彼らは日本が彼らの植民地と利権に干渉してくるのを恐れた。1936年に朝鮮半島での完全な略奪の中で、日本の戦略は二つの選択肢の間でためらった。その一つは、ソビエト連邦との国境防衛地帯を作るために、あくまでも天然資源の豊かなシベリアの支配権を手に入れようとするものである。
 この『反共』戦略は一部の西側の大国を満足させるというメリットを持っていただろう。この目的のために駐ロンドン大使である吉田は、クリヴェデン(Cliveden)グループの協力を得て、英国との同盟関係を固めようとした。米国では、ハーヴァード・フーヴァーやナチの飛行士チャールズ・リンドバーグ、マッカーサー将軍の取り巻きたちなどの大勢の超保守派が、この帝国の良き理解者であった。
 裕仁の弟である秩父宮は1936年に可能性のある英国と日本の同盟を準備するためにロンドンへ向かった。反共戦線という見通しはひょっとすると英国外交を口説き落としたのかもしれない。しかしアジアでの日本の軍備拡張はヨーロッパの大国の植民地を脅かしていた。すぐに秩父宮はあらゆる交渉の手段を失った。
 中国では軍隊が全面的に統制不能に陥っていた。1937年に大勢の役人たちが中国での盧溝橋事件で戦闘を起こした。この事件は非公式の天皇の援助を受けた日本軍によるこの国への侵略に直結したものであった。秩父宮はすでに無効となった日英の同盟の考えを断念し、アドルフ・ヒトラー総統(3)と会談するためにニュルンベルグへ向かった。
 米国大統領フランクリン・D・ローズヴェルトが日本の侵略『熱』に終止符を打ちたいと願う宣言をする間、軍事侵攻は一人の皇族の命令による前例の無い虐殺を犯そうとしていた。実際に『穏健派』首相近衛文麿【原文ではel príncipe Konoeつまり近衛殿下となっており皇族であることを表現している:訳者】は朝香宮を南京での軍の司令官に据えた。【朝香宮は上海派遣軍司令官として南京に侵攻した。:訳者】
 この最後の者【朝香宮を指す:訳者】はその軍をこの都市で捕虜を作らないようにさせた。数日の間に兵士たちはその命令を文字通り実行した。何万人もの中国人が、多くの西欧人の見ている前で非情な状況の中で殺害された。兵士たちは人間を銃剣の訓練のためにマネキン人形のように利用し、役人たちを首切りの実践のために使った。
 婦人や少女たちは家族の目の前で集団暴行の犠牲者となった。その間に秩父宮と竹田宮は略奪の成果を帝国の手に渡らせる作業に没頭していた。専門家たちは銀行の書類の分析をし、一方で秘密警察は南京の金と富に関する情報を持っていると思われるあらゆる人間を拷問にかけた。(4)
 軍が略奪の成果を不要に浪費しないことを確実にするために、裕仁は黄金の百合と呼ばれる一つの組織を作り出した。それは、ゆすり・たかりのエキスパート(会計士、財務の専門家など)、ヤクザの首領たち、帝国の皇族たちの下にある産業の重鎮たち、天皇の意に沿うわずかの人間たちの集まりであった。秩父宮がすべての仕掛けを統括していた。(5)
 1941年にフィリップ・ペタン内閣は日本がインドシナ半島北部を占領することを認めた。近衛文麿は『交渉による平和』を望んだが裕仁の説得に失敗し、辞意を表明した。宣戦布告の決意をし、天皇は東条将軍を首相に指名した。彼は満州で組織的な略奪を行った岸の一党【原文ではclanつまり悪党集団:訳者】の手下であった。
 パールハーヴァーの『だまし討ち』(6)は、東南アジアにおける日本の好戦性を解き放つシグナルであった。日本はタイ、スマトラ、ビルマに侵攻し、グアムとホンコンをその手にした。さらにマッカーサー将軍をフィリピンの領地から追い出した。新たに付け加えられた領地は憲兵隊によって組織的に略奪された。秩父宮はシンガポールに黄金の百合の総合本部を置いた。専門家たちが目録をつくるためにそこにすべての分捕り品が集められた。
 フィリピンでは欧米の銀行が黄金の百合のエキスパートたちの第一目標であったが、彼らはフィリピンの財宝を奪い取って、筆頭株主が裕仁その人である横浜正金銀行【原文は英語Yokohama Specie Bank:訳者】、台湾銀行、そして他の国有銀行の財産にしたのである。その黄金の一部は戦争の経費に充てられた。スイス、ポルトガル、アルゼンチン、そしてチリの銀行が洗浄に使われた。
 憲兵隊と黄金の百合の実行者たちが奪った富はシンガポールの集中させられ、最終目的地である日本に輸送されるためにマニラに運ばれた。

[黄金の百合からブラックホールの資金へ]

ミッドウエイの戦いの後、東南アジアにおける軍事的な力関係は米国に有利に傾いた。日本は海上輸送の支配権を失った。裕仁と帝国の第一人者たちは帝国の敗北を予想し始めた。
 それ以来、公式には富士山麓で結核療養中であることになっていた秩父宮に率いられてきた黄金の百合作戦は、マニラで足止めを食らっている戦争の分捕り品を救うことに必死になった。秩父宮はまず病院船を使って金を輸送し、その後その金を日本の山地に作られた地下壕に溜め込んだ。
 1943年には、米国が効果的な海上封鎖体制を確立したため、そのような方法は取れなくなった。財宝はマニラの波止場で山のようになりだした。秩父宮はそこで地下壕建設のための特殊な技師の集団を作り、分捕り品を地下に隠す作業を始めた。マニラではかつてスペインの町であったイントラムロスの地下が使用され、巨大な収容能力を持つ場所を提供できた。
 品物を慎重に移送できる一つの通路が波止場とイントラムロスの間を直接に結びつけた。秩父宮は歴史的な場所や教会、大学など、爆撃がほとんど無いあらゆる場所をつなぐように選んでいった。
 マニラの北で竹田宮が洞窟を使って地下壕の網の建設を監督した。専門家たちが恐ろしいほど効果的な大量のワナの兵器を仕掛けた。爆発物、毒ガスのカプセル、水や砂を使ったワナ。南京虐殺の実行者の息子であるもう一人の皇族の朝香宮孚彦【原文ではTakahitoとなっているが「たかひこ」の誤り:訳者】親王と、シンガポールのヒーローであり差し迫った米軍の攻撃に立ち向かうためにフィリピンに派遣された山下将軍が、この地下での作戦に加わった。技師たちと奴隷たちは組織的に生きながら地下に埋められた。
 マッカーサーがフィリピンを再征服し始めたとき、皇族たちは急いで未だ地下に入れることができなかった財宝を隠そうとした。黄金を積んだ船が船員を乗せたまま沈没させられた。日本の敗戦はマニラ市民の虐殺と占領を終わらせたが、その後に皇族たちは潜水艦で逃亡した。
 1945年から米国の諜報機関が黄金の百合の存在に気付いた。諜報員であるジョン・バリンジャー(John Ballinger)は、漁民に変装して黄金をいっぱいに入れた箱が病院船に積み込まれるのを観察することができた。マッカーサーは彼のライバルである山下を逮捕し、彼の腹心をこの日本の将軍のお抱え運転手である小島老人に対する尋問官とした。
 そのセベリノ・ガルシア・サンタ・ロマナは山下の行動に関する膨大な情報を手に入れ、隠匿場所の正確な数をつきとめることができた。『サンティ』【サンタ・ロマナの別称と思われる:訳者】はこうして『山下の財宝』の守り手となった。彼は、OSSの元局員であり最近までウイロウビィ(Willoughby)将軍(8)の特務機関G-2と協力していた謎の男エドワード・ランドセイル(Edward Landsale)(7)が作戦の指揮をとるまでは、ずっとマッカーサーの命令の下にとどまった。
 トルーマン大統領にこの件が任されて以来、掘り出された分捕り品はブラック・ホールと呼ばれる対共産主義の戦いの資金として使用されることになった。あるロウズベルトの顧問に認知されたこの計画は、ドイツ、イタリア、日本によって盗まれた黄金を親米政権の財源として使い、次に、『危険なアカ』の脅威にさらされる多くの『民主国家』の深奥でこの資金により選挙を操作することから成り立っていた。
 ロバート・アンダーソンの助けを受けてあるスペシャリストが資金を洗浄した。サンティが探し出した黄金は42カ国の170の口座に納められた。CIAの銀行口座ネットは、東南アジアから盗まれた富を隠し、金の値段を米国の経済的利益にとって都合の良いあるレベルで維持することを可能にした。(9)

財産は日本に戻ってくる

 米国当局によって押収された分捕り品は当初3つの異なった財源を潤した。四谷資金は、マッカーサーの秘密の右腕であるG-2の長官チャールズ・ウイロウビィの活動を支えた。彼はフランコ将軍とファシスト警察の手法の賛美者である。第2の資金は、日本におけるニュルンベルグ裁判に匹敵する東京裁判の判事ジョセフ・ケーナンの名前が付けられたのだが、非常に明確な機能を持っていた。共産主義に対するマッカーサーの戦いの同盟者へと変身した帝国のメンバーを免責するために証人たちを買収することだった。
 東京裁判は、スケープゴートを絞首刑に処することで終わった、全くのペテンである。南京の虐殺の首謀者である朝香宮は、松井将軍が加わってもいない犯罪のために絞首刑台に送られた一方で、起訴すらされなかったのだ。
 マッカーサーの偉大なライバルである山下も、マニラ市民の虐殺の罪を問われて同様の運命をたどった。東条将軍は戦争の第一責任者の罪を負わされて天皇裕仁の代わりに責任を取らされた。最も戦略的な資金は、疑いも無くM資金である。それは日本で共産主義者や社会主義者が権力を握ることを妨げる戦いのために運用された。戦後、つかの間の社会主義政権は、M資金投下のおかげで米国好みの吉田茂によって、失墜させられたようである。この資金は敗戦日本の公式な歴史に出資するためにも利用された。
 児玉誉士夫が「私は敗北した」という文章を出版したのはこれである。この本は、CIAを通してM資金をつぎ込まれたものであるが、笹川良一や岸信介などの将来の日本の大物、つまりマッカーサーによって称揚された国粋主義者たちを免責するのに役立った。
 1951年に講和条約が締結された。その第14条で、日本はその犠牲者に対して補償するための必要な手段を整える必要のないことが規定された。ブラックホールへと転換された黄金の百合は秘密のままにしておかねばならなかった。
 1952年以来、CIAと日本の特務機関に率いられた一つの組織がM資金を担当した。この資金は、満州での略奪の責任者であり東条の戦争内閣の閣僚であった岸信介の首相選出を許した。アイゼンハワー政府はこの極端な反共主義者である戦犯を好んだ。
 M資金は、田中角栄、竹下登、中曽根康弘、宮沢喜一などの多くの首相に財源を提供した。田中は、ニクソンがM資金の引出権を彼に約束したのだが、これを選挙資金と汚い工作のために頻繁に運用した。
 黄金の百合の一部は日本でこのように投資され、自由民主党の母胎から誰が将来の首相になるのかを決める者たちによって浪費させられた。

マルコス一味、黄金の百合の新たな守護者

 フィリピンではサンティとマッカーサーの諜報員たちのコントロールから多くの秘匿物が逃れていった。マルコスはワシントンの保護を受けた騒乱者であったが、『山下の黄金』のおかげで1965年の選挙に勝った。60年代からフェルディナンドとイメルダのマルコス夫妻は、伝説的な黄金の百合の守護者であるサンティと接触をとった。サンティが極めて多数の計算書を持っていることに気付き、そのいくつかはおそらくCIAに忘れられていると感じ、その支配をもくろんだ。1974年にサンティが死んだとき、マルコスは極秘のうちに黄金の百合の新たな守護者になり米国や日本の要員たちと協力するようになった。
 隠匿場所をつきとめるためにこの独裁者は、竹田宮に使えていたフィリピン人の農民であるベン・バルモレスを利用した。マルコスはこうして大量の金を集めることができたが、捜索作業は困難を極めた。最も簡単な方法は、秘匿物の場所を知っている日本人と手を結ぶことだった。マルコスは戦犯でムッソリーニの賛美者である笹川良一を呼んだ。彼は日本の敗戦の後に制限された日本の新たな支配層のサークルの一部をなしていた。笹川は理想的な協力者であった。
 ルバング島に埋蔵された金を慎重に運び出し、おそらくフィリピン・日本相互援助協会【原文はAsociación de Ayuda Mutua Filipino-japonesaで正確な日本語での名所は不明:訳者】を通してその富の洗浄が行われた。当初は、マスコスと笹川の反共活動を援助していたワシントンは、見てみない振りをしていた。(10)
 しかしマルコスは自らの翼で飛ぼうとして二人の仲間を集めた。一人はその天賦の才能で軍艦那智の残骸の場所を突き止めた透視能力者であり、もう一人は冶金学の専門家であった。その後ロバート・カーチス(Rbert Curtis)が『金を聖なるものにする』、つまりその略奪品を人々の注意を引くことなく世界の市場で使えるようにする手法を得るために雇われた。
 彼らの施設に資金投入するために、カーチスは反共政策専門の極右団体ジョン・バーチ協会(John Birch Society)の手を借りた。この団体のメンバーの中にはローレンス・バンカー(Lawrence Bunker)大佐もいた。この男はマッカーサーの元部下であり、黄金の百合の存在に通じていた。
 レーガン大統領が黄金の庇護者に戻ろうと計画したとき、彼はマルコスにその隠匿物の一部を分けるように要請した。しかしこの独裁者の貪欲ぶりが彼にとっての不幸だった。ポール・ウォルフォウィッツ(Paul Wolfowitz)(国務副長官の当時)の命令によってフェルディナンドとイメルダのマルコス夫妻は米国の秘密諜報部員に連れ去られ、ハワイの流刑地に送られた。(11)マルコスの隠匿物はすでに米国に輸送されていたのだ。
 いまだに多くの人々が、黄金の百合の略奪品、50年間以上に及ぶ日本の東南アジアでの組織的略奪の結果を手に入れたいと願望し続けている。スターリングとペギィ・シーグレイブ(Sterling , Peggy Seagrave)によると、2001年3月以来ブッシュ政権(ポール・ウォルフォウィッツが国防長官である)はマルコスの隠匿物の一部を手に入れ新たな発掘を監督するためにフィリピンに部隊を派遣した。『山下の黄金』への支配権を維持することは、黄金の百合の存在が完全に暴露されることをその利益を受ける者たちが認めるにしては、いまだにあまりにも重要すぎる事柄である。
 ブラックホール資金の資料へのアクセスは、CIAの厳重な管理下に置かれていることがわかる。帝国軍の犠牲者たちとその子孫は、全く正当なやりかたで、勇気を出してその補償を要求しているのだが、今日に至ってもまだ、嘲笑の対象である。公式的には『山下の黄金』は伝説なのである。


著者:Denis Boneau フランスのジャーナリスト。フランス語版レッゾー・ヴォルテールのメンバー。

【注釈】
(1)レッ・ボルテール2005年1月21日:『笹川、尊敬を受ける戦犯』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article3295.html
(2)児玉誉士夫は中国で麻薬輸送のコントロールにあたる命を受けた。このために、緑団との同盟を確立し、少しずつアヘン販売の第一人者に変わっていった。上海で児玉機関を創設したが、それは麻薬を金に変え黄金の百合の物品を運ぶための実に凄いマシンであった。2005年1月22日:『児玉誉士夫、CIAのヤクザ』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article3510.html
(3)The Yamato Dynasty: The Secret History of Japan's Imperial Family:Sterling Seagrave, Peggy Seagrave著
(4)南京では何百万トンもの金が手に入っている。憲兵隊たちは組織的に家具や鏡と同様に金と宝石を支配し、一方で黄金の百合のエキスパートたちは銀行の経営者たちを捜している。
(5)【フランス語であり、訳せない】
(6)最近公開された文書資料は、米国がこの攻撃を予想しており1年前から準備していたことを示している。2004年3月17日レッゾー・ヴォルテール『Remember Pearl Harbor!』(フランス語)
http://www.reseauvoltaire.net/article12909.html
(7)エドワード・ランドセイル将軍は心理戦争の手段で米国軍の生き字引のように見なされていた。
(8)ウイロウビィ将軍のG-2は、ヨーロッパにおけるジェイムス・ジーザス・アングレトン(James Jesus Angleton)のX-2のアジア版にあたる。どちらの諜報組織も、共産主義に対する戦いのステイ・ビハインド網を構成する、敵のスパイの勧誘と再利用のために使われた。2001年7月20日『ステイ・ビハインド:不安定化と干渉のための米国の網』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article5.html
(9)ブレトン・ウッズ協定は、第2次世界大戦終了時に結ばれたのだが、それがドルと金の交換性に基づいての世界経済の再編を基軸にしたものであることを思い起こす必要がある。
(10)2005年1月20日『世界勝共連合、犯罪の国際主義』(スペイン語)
http://www.redvoltaire.net/article3397.html
(11)ガストン・シガー(Gaston Sigur)、ポール・ウォルフォウィッツ、そしてリチャード・アーミテイジはこの作戦を指揮し、マルコス夫妻がフィリピン軍の前に引き出されることになった。

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また投稿出来ない日が続きました。

2016-09-19 09:44:37 | 社会問題 日々雑感

♫ ここ2,3日は投稿しようとすると、そのサイトは利用できませんと表示されて、投稿ができませんでした。

どうやら、記事の内容、そして私の言葉が気に入らないのか、特定の記事を投稿すると、このような状態になります。機械の故障ではないのです。

ですから、テレパシーで頼んで、(笑) 時間を置いて、投稿しました。

 

地球人類の奴隷解放はもうすぐ!!!

私達はまけない!!!

宇宙人のともよ、ありがとう!!!

コメント (1)
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Gold Warriors (金の戦士)

2016-09-19 09:35:35 | 天皇まんざーい

http://yasumiyama.jugem.jp/?cid=12 より転載しました

 ■Gold Warriors(ゴールドウォリアーズ)

 

ゴールデンリリー、M資金、戦時中の実態、本当は怖い皇シツ
http://d.hatena.ne.jp/hourou-33/20081108/1226088703

イルミナティの暗躍?ばかりに気を取られていると、
肝心なテンノウの悪事が隠されてしまう。
そこで最近目にした「天皇の金塊」の本の種本であろうという
シーグレイプ著Gold Warriorsの文章を紹介する。
2006年に阿修羅で既出だったが気付かなかった。

http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/571.html
http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/572.html

 

阿修羅とは別に「マヨのぼやき」で翻訳してくださっている。
衝撃の内容だ。
過激な表現も含まれます。
転記しますが、個人名は一部伏せます。

 

プロローグ

第二次大戦の終結する月(八月)、フィリピンでは、
何人かの高位な皇族の皇子達が、将来のための準備をしている間、
山下将軍は、ルソン 島の険しい山の中で、戦争引き伸ばし作戦に従事していた。
彼らは、後日回収されることになる、略奪した金の延べ棒や、盗んだ財宝を
洞窟やトンネルの中に、 あわただしく隠していた。


日本で一番のやくざが、アジアの裏社会や闇経済を奪っている間に、
日本陸軍に同行している専門チームは、
国庫、銀行、工場、個人宅、質屋、絵画店から組織的に略奪し、一般人の身ぐるみをはいだ。

この点、日本はナチよりもはるかに徹底していた。
まるで巨大なバキュームカーが東南アジアを横切ったようなものだ。
略奪品のほとんどは、朝鮮経由で日本に送られた。
残りは船を使ったが、一九四三年(昭・十八)
米潜水艦が日本周辺を完全に制圧するようになるとフィリピンよりこちらへは運べなかった。

隠匿された財宝にとって決定的なことは、日本の軍事力が失われると、
財宝も最終的に失われるということだ。
植民地のどこで戦争が終結しようが、日本は常にフィリピンを維持しようとした。
皇子達に監督されて、一七五箇所の皇室地下金庫が島中に作られた。

一九四五年(昭・二〇)六月初旬、
アメリカ戦車隊がバンバングから二〇マイル以内に接近していたころ、
一七五箇所の地下貯蔵庫の技術者代表は、
八番トンネルで知られる地下二二〇フィートの坑道でお別れ会を催した。
そこには壁から壁へ上から下ま で、ぎっしりと金の棒が並べられていた。

夜もふけ、大量の酒を飲み、軍歌を皆で歌いながら、
長生きを祈りながら次々と万歳をした。
深夜になって、ヤ×シタ将軍と皇子はそこを抜け出し、
トンネルの入り口はダイナマイトで爆破し、技術者達は埋められた。
彼らは生き埋めにされたのだ。

形式的に言うなら殺された訳ではない彼らは、金の延べ棒に囲まれ徐々に窒息していった。
地下貯蔵庫は秘密を保たれることになった。
数日後、皇子は潜水艦で日本へ脱出し、三ヵ月後、ヤマ×タ将軍もアメリカ部隊に投降した。

半世紀の間、この恐ろしい生き埋め事件は知られなかった。
隠匿された財宝は、「ヤマ×タ将軍の金塊伝説」として無視された。

しかし、生き埋めの目撃者は、我々を八番トンネルへ案内し、個人的な話も得られた。
フィ リピンの若者ベン・バルモアは、
戦争中、フィリピンにある皇室財宝基地で基地建設や在庫調べ、封印などに従事していた
日本のさる特別な皇子の従者であった。
高学歴で、たまに涙もろい皇子はダイナマイトが爆発する直前ぎりぎりで
ベンを八号トンネルから連れ出し、彼の命を助けた。

我々は十七歳半ばの貧乏だが健康的なベンに取材し、
彼は、一九四三(昭・十八)~四五年に、
その皇子の部隊で見たこと、経験したことを、何ヶ月にも渡って我々に語った。
最終的にその皇子と他に関与していた他の皇子を特定できる重要なヒントを我々に与えてくれた。

アジアでの略奪を監督していたのはヒロ×トの優雅で洗練された弟、秩父宮雍人であった。
彼の組織はテン×ウによる詩の題名のひとつ、
「黄金と百合」にちなんでGolden Lily(黄金のユリ作戦) と名づけられた。
他の(下級)皇子は征服した領土に広がったGolden Lily の別の基地で司令官となっていた。

情報筋は、戦時中のベンのご主人は、竹田宮恒徳親王であると確認した。
彼はヒロヒ×の一番上の従兄弟であり、明治テン×ウの孫にあたる。
この裏づけをとるために、英国図書館から手に入れた一九三〇年代の不鮮明な多くの写真を使い、
ベンに目隠しテストを行った。
それらは、パールハーバー前日ご ろと見られる軍服姿の皇子達の写真である。

写真の名前ははずし、普通の兵士も混ぜておいたのに、
ベンは竹×宮、そしてヒロ×トの兄弟であるチチ×ノミヤ、三笠宮崇仁、
そ して南京虐殺において日本軍の指揮をとった年長者、朝香宮鳩彦を指さした。

ベンは彼らが在庫を調べ財宝基地に収納する間、
ともに過ごし食事を運びお茶やタバコ をもっていったと話した。
ベン・バルモアはフィリピンから離れたことのない田舎の百姓であり、
小学校以上の学歴はないから、
彼が即座に皇子を確認したことは説得力があった。

竹田宮の写真を見せたときベンはどきっとして、
日本の民謡の「さくら さくら」を口ずさみだした。
竹×宮がいつも口ずさんでいたと話した。
竹 ×宮の特定を発見したことは、大きな難問の失われている一片をみせてくれた。

我々がテン×ウ家の物語Yamato Dynastyを書いているころ、
一九四 五年(昭・二〇)八月、アメリカ情報局は、
フィリピンにある日本軍の財宝地下貯蔵庫の数ヶ所を知り、
秘密のうちに数十億ドルの金、プラチナ工芸品、宝石類 を回収したと聞かされた。

もしこの知らせが本当なら、米国政府が半世紀以上にも渡って隠し続けている、
驚くべき国家機密の存在が明らかになる。
だから、そ れらを新たに調査する価値があると考えた事は、
重大な危険を伴うことになるだろう。

ここに、我々が知ったことがいくつかある。

日本降伏の公式告示を受けた後の一九四五年(昭・二〇)九月二日、
山×将軍とその部下達は、キアンガン地帯の要塞から出てきて、
MPジャック・ケン・ウォルシィー大佐に率いられる米軍将校等に武器を渡し、
マニラ郊外ニュービリバッド刑務所に入れられた。

マニラ市での岩×幹×提督の船員と海軍による恐ろしい犯罪行為のため
(山×が町を無傷のままにして離れる命令を出した後だ!)
山×将軍は戦犯に問われた。

彼の裁判の間、戦時略奪の話はいっさいなかった。
しかし、そこには隠された密約(agenda 協議事項、覚書)があった。
山×の弁護側弁護士に知られずに山×に肉体的な拷問をすることは不可能だったので、
代わりに部下が拷問を受けた。

運転手小島××は特に過酷な拷問がなされた。
山×が一九四四年(昭・十九)十月フィリピン防衛を引き継ぐため満州から到着して以来、
小島はどこへでも一緒にでかけた。
小島の拷問を担当したのはフィリピン系アメリカ人、
セビリアーノ・ガルシア・ディアズ・サンタ・ロマーナ、
情報局の役人で、名前も個性も多い男 だ。

友人は彼を「サンティ」とよんだ。
彼が小島に自白させたい事は、山×をどこへ乗せていったのか、
延べ棒や財宝がどこに隠されているかだった。

サンティを指揮していたのは、のちにアメリカで氷の戦士として知られることになる
エドワード・G・ランスデール長官だったとわかった。
ランスデールは三十七才のとりえのない男であり、
当時は、サンフランシスコでOSSのためのプロパガンダを書いて過ごす
ただの広告代理店の作家だった。

そこに、彼の人生においてとてつもないチャンスがめぐってきた。
トルーマンがOSSの閉鎖を命じたのだ。
OSS のウィリアム・ドノバン長官は、アメリカの知的財産と個人的情報網を保護するため
全職員を政府、もしくは軍の部署へ移動させた。

ランスデール長官は、フィ リピンの米軍G―2へ配転する
チャンスを与えられた五十人の職員の一人だった。
そこで彼はサンティが山×の運転手の拷問をすることを聞き、
その尋問に同席 し、観察者、参加者となった。

その年の十月、小島はついに屈服した。
そしてランスデールとサンティーをマニラ北方山岳地帯の、
簡単に開く事ができた二ヶ所を含む
一ダース以上のゴールデンリリー地下貯蔵庫へ案内した。
内 部にあったものには誰もが驚いた。

サンティとその部隊が貯蔵庫の残りを開けている間にランスデールは東京へ行き、
マッカーサー将軍に要点を伝えた。
そして、それはトルーマンに知らせるためワシントンヘもたらされた。
内閣での討議の後、トルーマンは回収を進める決定をした。
ただしそれは国家機密として保ったままでだ。

金、プラチナ、樽に入った宝石などの財宝はヨーロッパで枢軸国の略奪品と一緒にされ、
共産主義と戦うために世界中に広がる秘密政治活動資金として創設された。
この黒い金はトルーマン政権に隠れた作戦用に、
事実上無制限、かつ領収証なしで基金を扱う権利を与えた。

これは又、ワシントンによって連合国の国庫をうるおし、
政治家の汚職のため、また外国の選挙を操作するために使う財産基盤の準備金となった。
一九四〇年代、ソビエト連邦が世界中の過激な共産主義者と社会主義者の活動を支え、
資本主義世界の生存が窮地におかれていたことがこの方針を正当化させていた。

読者はこの情報により、我々がそうであったようにびっくりするだろう。
何 人かは、トルーマンの下した戦略の決定を深刻に悩むだろう、
そして、他の人は熱く支持してくれるだろう。
この本の狙いは、その決定を調査することでも、良 いか悪いかを判断することでもない。

それはその時点では賢明な決定だったのだろう。
(長い目でみると悲惨な結果になったのだが。)

我々はただ小手調べの記事を書いただけで、政治的には中立でありたいと思っている。
この本の唯一の目的は、秘密のヴェールをあばき、調査を進展させ、
多くの、そして悩ましいしい、予期せぬ成り行きを調べることだ。

それは、トルーマン一人の決定だったわけではない。
世界的な政治活動資金の基礎を、戦時略奪品でまかなうということは、
実際のところルーズベルト政権の戦争 大臣、ヘンリー・M・スティムソンが創設したものだ。

戦争中にスティムソンは、
枢軸国の略奪品と、戦後の枢軸国がどの様に扱われるべきかを詳しく考える顧 問団を持っていた。
形勢が枢軸国に不利になってきて、財宝を手に入れるのは時間の問題だった。
この戦争のご褒美はナチスにより侵略された国々と、民間の犠牲者からの金の略奪だった。
もともとの所有者の痕跡を消すため、ナチスはそれらを溶かし金塊に鋳造したのち、
鉤十字とドイツ銀行の黒鷲の刻印を押した。

金の足跡がたどれないのには別の理由もある。
も との所有者は死んでしまい、前の政府は消滅しているのだ。
東欧はソ連の支配に屈してしまい、略奪された金の返還は不可能だった。

特筆すべきスティムソンの 補佐役は、
補佐官ジョン・J・マッコイ、ロバート・ロベット、
そして相談役としてロバート・B・アンダーソンらで、
すべて役所や銀行で傑出した抜け目のな い男たちだ。
マッコイは、後に世界銀行のトップに、ロバートは国防長官、アンダーソンは財務長官になった。

彼らの解決法は非公式なBlack Eagle Trust (黒い鷲基金)を設立することだった。
この考え方をアメリカの同盟国が、秘密裏に議論したのは
一九四四年(昭・十九)七月が最初で、
四十四ヶ国がニューハンプシャーのブレトンウッズに集まり、
戦後の世界経済の計画を練った。

(こ れは一九四五年のサンティの回収を知っている
マニラを拠点としていたCIA職員や前のCIA副長官レイ・クレインを含む
多くの高い地位の情報により我々が 手に入れた文書の中で確かめられた。
クレインは、最近になっても、シテイバンクの地下金庫にまだある
日本の戦時略奪金塊を支配しようと関わり続けてい る。)

トルーマン大統領とワシントンのマッコイ、ロバート、スティムソンへの説明を終えると、
ランスデール長官は、一九四五年(昭・二〇)十一 月、
ロバートB・アンダーソンと共に東京へもどった。

そこでマッカーサーはアンダーソン、ランスデールに同行し、極秘にマニラへ飛び、
すでにサンティが開 放した地下貯蔵庫めぐりへと出発した。
聞くところによるとその中で二mの高さにまで金の延べ棒が積まれているところを散策したらしい。

彼らが見たものから、
日本が全アジアから数十億ドルの略奪を
長年にわたって行ってきたことは明白である。
アンダーソンとマッカーサーが見たのは日本には届かなかった金だけだ。
戦争のために破産していたなんてとんでもない。
日本はとても豊かだった。

レイ・クラインや他の者によると一九四五年から四七年の間に、
金の延べ棒はサンティとランスデールによって
四二カ国の銀行の百七十六口座へ慎重に運びだされたらしい。

秘密にしておくことが重要だった。
もしも盗まれた莫大な金塊の回収が公になれば、
何千もの人々が、多くはうそだろうが、文句を言いに来るだろうし、
政府は所有権を解明しようとして身動きがとれなくなるだろう。

ト ルーマンは又、そんな大量の闇金があると知れると
一オンス三十五ドルの固定相場が崩壊すると聞かされた。
あまりにも多くの国が、金や米国ドルとリンクしているので、
金融災害のせいで世界中の貨幣価値は急落するだろう。

この議論は「黒い鷲作戦」によって利益を得る立場の人間が過大に表現していたかもしれない。
しかし、誰もどうなるかという確信はなかった。
もし、金の秘密が保たれれば、価格は一オンス三十五ドルが維持でき、
ドルは強いままで、金ペッグ制の通貨は安定するだろう。

その間に、闇の金が準備資産として配給されれば、
連合国の優良銀行を支え、各国政府も強固になるだろう。
用心のため、各銀行 の金塊置き場は注意深く管理された。
金として使用することは厳しい制限下に置かれた。
(イヤーマーキングとよばれた)
これで、ワシントンは事あるごとに、 
各政府や中央銀行そして優良銀行に圧力をかけられるようになった。

あまりにも長く国と指導者を協力させ、
冷戦の中アメリカと同盟させた状態に放置していたため、
眠っている金の延べ棒は、不正政治資金として利益供与の目的で使えるようになった。

公文書は一九四五年から四七年の間にとても大量の金とプラチナが世界最大級の銀行、
即ち黒い鷲基金のでかい集積場となる
ユニオンバンク・スイスや他のスイス銀行に預けられたことを表わしている。
ス イスは戦争中に中立を保ち、略奪もされず損害もなく、
資産も減らさなかったため、重要な役割を演じていた。

スイス銀行職員幹部によって書かれた文章は、
こ の財産を基にとても大きな融資が、戦争復興のどさくさで
英政府、エジプト、中華民国、又他の国々へ実行されたと明らかにした。

長い時間が経つうち に国家機密の保護が、不快な乱用する立場をつくりだしてしまった。
国家の機密を保護するものは、政府の役人や協力者の個人的分野まで保護してしまう。

あと の章でこれらの地下資金が莫大な賄賂として表面化したとか、
イタリア、ギリシャ、日本そしてそこらじゅうで、
選挙の買収に使われたたくさんの書類例をおみせする。

もうかる信託財産が、世界中の影響力のある人々のために準備された。
ゴールド証書が勧誘のために与えられた。
賢い人の手の中にあれば可能性は無限である。
数十年の期間が過ぎ、いくつかの世界的大手銀行は
地下貯蔵庫の黒い金で遊ぶことに病みつきになった。

さて、金を保持するためなら、彼らは何であろうとするであろう。
たとえ口座の持ち主あるいは自分の後継者から搾取することになろうともだ。
スイス銀行のホロコーストで得た金に、それがおこった。
ゴールデンリリーを地下貯蔵庫から回収し、
ブラックイーグル基金を準備したのを思い返しても、
それはどちらでも良いことだ。

愛国的な理由であったし高潔なものだ。
しかし、冷戦中にあまりにも多くの闇金が情報操作に使われたことは、
そんなにどちらでもよいことではない。
そして国家機密を再検討することは無理になってしまった。
その基金で儲けているやつを別としても、その不正資金を誰が指揮したのだろう。

他にも乱用はたくさんあった。
財宝の存在を隠し、かつアメリカの一九四〇年代に
アジア中から共産主義の流れに対抗する確固たる地位を保つため、
ワシントンは外交上で大きなうそをついた。

特に日本がほとんどの金を盗んだことに関しては、うそをついた。
日本の支配者エリート達は共産主義者に非常におびえていた。
伝 統的な筋金入りの保守派であったアメリカは、
日本にアジアでの反共産主義の砦になってほしかった。
だから、東京に隠匿された財産は決して知られてはならな かった。
東京のほとんどの熱狂的反共産主義者は、戦犯で起訴されつつあった。
そこでアメリカは民主的な改革と新しい憲法を導入しつつ、
まったく民主的でな い男達の支配下に、
日本を逆行させ莫大な闇金を注入して彼らの権力をささえた。

一九四五年、戦争が終わり、ワシントン政府は、日本は決して略奪行為をしなかった、
国は荒地となり、国庫は破産していると主張しはじめた。
そこに多くの大きなうその出発点がありそれが恐怖の機密になったのだ。

ゴー ルデンリリーで集められた財宝とワシントンが回収したものが
秘密にされなければならなかったので、
日本とアメリカの国民はずいぶんだまされることになった。

一九五一年(昭・二六)そのうそでねじまげられた平和条約が決まり、
それによって数千人の捕虜と強制労働を強いられた市民は
その被害に対し何の補償も 受け取れなくなった。
戦争補償の要求から日本を守るため、
ジョン・フォスター・ダレスは三人の日本人と条約の交渉のためにひそかに会っている。
その中のひとりが宮沢喜一で、後に首相になり大蔵大臣を何回も勤めている。

条 約の第十四項によると、
「戦時中に負傷したり被害を被った連合列強に対して補償金を払うべきだということは認識される。
しかしながら現状の日本にはその原 資が不足していることもまた同様に認められる。」、
第十四項の声明は、日本は破産したと主張し補足している。

「連合国列強と各国家は日本の行動で発生した すべての賠償請求を放棄する。」
という条約に署名したことで連合各国は日本の略奪をどこかに消し、
日本人の餌食となった人は幸運を失うことに合意した。

条約を支持する見返りとして
疲弊した連合国の中央銀行を元気にするために、
ワシントンがサンタ・ロマーナによって回収された闇金を秘密に船で送った証拠を提供しよう。

黒い鷲信託は政治活動資金であったから、
いくらかは悪い手のものに落ちたものもあるが、
聖書の精神とはかけ離れながら、
次々と広がり、かつてない大きさで残ったままだ。

信頼できるアメリカ、日本の情報筋によると、
一九六〇年に邪悪なニクソン大統領は大統領選へのキックバックを約束する見返りに、
日本の自民党の指導者へ、最 大級の基金のひとつM資金を供与した。

これはこれ自体非常に気がかりなことだ。
しかし、三百五十億ドルとか今では五百億ドルをこえるといわれるM資金は、 
それ以来自民党の実力者に支配され選挙の買収や一党独裁を保つため、
色々な重要な改革を阻止するために使われた。

他にも秘密資金を使った同類の悪用は、世界中で見出された。
秘密を守ることが力となり、権力は堕落する。
秘密の権力が、秘密のうちに堕落する。

日本専門のシャルマース・ジョンソンはうまいことを言う。
「冷戦は終わった。
合衆国は冷戦を続ける必要性を信じていたんだろうが、
冷戦自体をもはやそのための費用と思いもよらない結果についての無知を
正当化するために使われることはできなかった。
今の課題は日本が社会主義か中道主義に転換するかどうかではなく、
アメリカに頼りきって堕落し、長い間、驚くほど弱体だった日本政府が、
どうやって進化するのかなのだ。」

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♫この本の翻訳本が日本ではないということですね。一部のみですが、翻訳してくださっている記事を読みますと、もうこの内容が世界中で読まれてしまっていることが、わかります。阿修羅の記事も2006年に掲載です。10年も前にこの内容が世界中にあったということです。ぜひ、阿修羅の記事も読んで見てください。

日本は情報については鎖国状態にあると思います。

ゴールデンリリーの話しは、かつてこの内容だったかどうかわかりませんが、少なくとも私も、どこかで、穴を埋めるときに、中に兵士を置き去りにした。それも天皇家の人がかかわっていたことも、読んでいます。

噂のような、この内容ですが、このゴールデンリリーの凄い金塊をアメリカ政府が使っていたこと。これで日本とアメリカのつながりが、わかってきますね。

戦争とは、泥棒、殺人を兵器を使って堂々とすることです。

しかも命令道理に動く兵士は五万といるわけです。

人類はみな、調教された兵士となって、支配者の思惑道理に金塊の強奪を達成したのです。

歴史ドラマで、「なぜ日本は戦争を始めたのか?」とやっても、腑に落ちない説明だったのが、よくわかりますね。

支配者が深く関わっていたから、このような内容をこれ以上は放映できないのです。

そして、今はこの阿修羅の記事が書かれたときよりも、ずっとずっと厳しくなっています。

 

 

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