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アイリス あいりす 

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停戦後 またしてもアメリカの誤爆という嘘のシリア・テリゾール爆撃 

2016-09-20 12:02:46 | 社会問題 日々雑感

2016年09月19日
 http://jp.sputniknews.com/middle_east/20160919/2791616.html
 より転載

シリア北東部デリゾールでの9月17日のシリア軍に対する攻撃にデンマーク空軍のF-16戦闘機2機が参加した

デンマーク軍のホームページで伝えられた。

発表によると、「F-16戦闘機2機が他の国々の空軍との共同作戦でこれらの攻撃に参加した」という。もし攻撃ミスが確認された場合には、デンマーク側からの謝罪があることが述べられている。 米国のケリー国務長官は、シリアにロシアと米国の調整センターをつくることについて、極めて重要だとの考えを表した。国務長官は、同センターの創設によってシリアで空爆を行う際のミスを避けることが可能となると指摘した。

デリゾール周辺のシリア軍に対する国際「対ダーイシュ(IS)連合」の17日の攻撃により軍人62人が死亡、約100人が負傷した。

続きを読む: http://jp.sputniknews.com/middle_east/20160918/2788196.html

 

2016年09月18日 

連合の航空機は土曜、4度空爆を行った。米国防総省によると、彼らはダーイシュ拠点を空爆していると確信していたが、ロシア軍が誤爆を報じると、作戦を停止した。空爆直後、イスラム主義者らは攻勢に転じた。

ヴィタリー・チュルキン・ロシア国連大使は、米国は政府軍攻撃にとっては奇妙な時間を選んだ、彼らが撃ち損じたとは信じにくい、と述べた。 ロシア議会上院国防・安全保障委員会第一副委員長フランツ・クリンツェヴィチ氏は、米国率いる国際有志連合がシリア政府軍に対し行った攻撃は、ジュネーヴにおける露米合意を脅かす、と述べた。 ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官はさらに強硬な声明を出し、政府軍空爆によりホワイトハウスがダーイシュを擁護していることが示された、と述べた。

続きを読む: http://jp.sputniknews.com/middle_east/20160918/2788196.html

~~~~~~~~~~

♫ ロシアのラブロフ外相の言っていたとおり、停戦合意に保証なしでした。

明らかに誤爆ではなく、わざとでした。

アメリカ軍はこれでも、正義を振りかざすのでしょうか?有志連合はいったい、どうなっているんでしょう?

ケリー長官にもうんざり。アメリカ軍に対して、世界中の眼が注がれているのに、あきれますね。

コメント (1)
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加藤紘一氏惜しまれて逝く

2016-09-20 11:04:10 | 社会問題 日々雑感

 http://hbol.jp/92734 より転載しました

どうしても会わなくてはいけなかった男――シリーズ【草の根保守の蠢動 特別編】

政治・経済

夜中に電話で叩き起こされる。

「加藤先生の件、残念ながらもう無理です。残念ですが、菅野さん、もうきっぱりとあきらめてください」

 この種の電話をもらうのはこれで2回目だ。日本会議を追いかける本連載がスタートしたのは昨年2月。その間、大量の資料を漁り、たくさんの人にインタビューを重ねてきた。その中でどうしても会いたかった、いや、会わなければいけない人物が2人いた。

 村上正邦と加藤紘一 ――この二人を避けて、日本会議は語れない。

 村上正邦には会えた。長時間にわたるインタビューの一部を基にしたものが、本連載の番外編第5回だ。しかし、あれは村上さんから聞けた貴重な証言のごく一部でしかない。まだ文字化していない重要証言がいくつもある。しかし筆者はそれをどうしても文字化できなかった。その証言の内容があまりにも深すぎるのも理由としてはある。だが、何よりも、「村上さんから聞けたこの話は、村上さんとは全く正反対の立場から日本会議と対峙していた、加藤紘一の話と対比させないといけない。あの時代の空気はそうしなければわからない」という思いが強かったのだ。

加藤紘一へのアプローチ


 それからというもの、あらゆる手を尽くして加藤紘一へのアプローチを続けた。しかし、自社さ連立政権樹立後、野中広務とともに自民党政権を支え続けた超重要人物にもかかわらず、加藤紘一の動向は一切つかめなかった。彼の地盤が娘の加藤鮎子に受け継がれ、彼自身は政界とのつながりを断っているのは無論承知していた。とはいえ「宏池会のプリンス」と呼ばれ、宮沢内閣崩壊後の自民党を支え続けた重要人物の動向が一切わからないのはなんとも不思議だった。そもそも彼の秘書だった人物ももはや四散している。なんとも不思議な光景だし、これほど、「自由民主党・保守本流の壊滅」を物語るものはないと思った。

 だが、そんな感慨にふけっている暇はない。そもそもの目的は自民党の歴史を書くことでも、政界のゴシップを拾い集めることでもない。あくまでも日本会議が永田町でどのように活動するのかを浮き彫りにすることだ。そのためにはどうしても加藤紘一と会う必要がある。彼から証言を引き出し、村上さんの証言と対比させ、村山内閣から小泉内閣に至るまでのあの時代、日本会議は何をしてたのか、「一群の人々」は自由民主党にどのようにアプローチしたのかを浮き彫りにしなければならない。

 しかし、依然、加藤紘一の動向はようとしてつかめない。自分でやれることはやりつくした。残る手段は、他人の手を煩わせることしかない。心苦しいものの、仰ぎ見るような存在の某大先輩に、加藤の動向を探ってもらった。

「菅野さん。残念なお知らせです。加藤さんはもう、人に会えません。重篤なのです……」

 加藤紘一は倒れていた。彼が脳溢血を起こしたことは報道により承知はしていた。しかし報道の内容は概ね「軽い脳溢血」と伝えるのみだ。そこまで重篤とは知らなかった。

 この第一報をつかんだのが昨年9月。諦めきれなかった私は、また人を頼ってさらに加藤の動向を探ろうとした。「彼の至近に侍る」と言われる人ともコネクションができた。それから約半年、その人物は定期的に加藤の容体や彼から見た加藤紘一のエピソードを語ってくれたが、連絡は途絶えがちになった。そんな矢先の先週某日、夜中にかかってきたのが冒頭の電話だ。電話の内容は、冷酷だった。もう諦めるしかない。

 ここまで加藤紘一に拘るには訳がある。

加藤氏の話を聞かねばならぬ理由


 本連載では、偉大なる先達・魚住昭による『証言・村上正邦』を何度も引用した。魚住による丹念な仕事は、村上正邦が政治家としての歩んできたキャリアと、村上正邦のなんとも言えぬ敬愛すべき人柄を浮き彫りにしている。そして魚住は、そうした村上のキャリアの裏に「一群の人々」が常に付き従っていたことを明るみにした。

 中でも本連載が注目したのが、魚住によって初めて明らかにされた、「戦後50年決議」作成の舞台裏だ。あの時、村上正邦は、椛島有三など「一群の人々」の突き上げをくらい、加藤紘一・野中広務率いる自民党執行部と調整を続けた。つまり加藤紘一もまた、あの時、「一群の人々」と対峙した人物なのだ。

 それだけではない。加藤紘一は誰よりも早く、そして誰よりも明確に、「日本会議」の危険性を、「日本会議」という四文字を使って直接、名指しで、世に訴えた人であった。

日本会議に誰よりも早く「気付いた」男


 山形県鶴岡市にある加藤紘一の実家が放火された「加藤紘一邸放火事件」が起こったのは2006年の終戦記念日のこと。放火後、割腹自殺を図った犯人は、現場でうずくまっているところを逮捕された。犯人は右翼団体「大日本同胞社」に所属する老活動家だった。警察による取り調べの結果、犯人は、加藤が小泉首相の靖国神社参拝に反対の声を上げることに抗議するため加藤の実家に放火したことが明るみになった。

 この年の11月、加藤は一冊の本を上梓している。『テロルの真犯人』と題されたこの本で加藤は、彼の実家を焼きつくしたあの放火事件の背景に迫っている。犯人の個人的な生い立ちや、犯行当時の状況だけにとどまらず、「あの老活動家をテロルに走らせたものは何か?」をあらゆる方面から理解しようと、この本の中で加藤はもがいている。加藤の思考と検証は、必然的に「時代の空気」にまで及ぶ。そして加藤は、「日本会議こそ、この空気感を醸成してる大きな要素ではないか」ということに気づく。

「時代の空気」と題された同書第6章で加藤は、「日本会議と『ゴーマニズム宣言』」というまさにど真ん中のタイトルをつけた一節さえ設けている。その小節で加藤が行った作業は、小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』に現れた言説が、日本会議の主張とそっくりであること、そして、安倍晋三の『美しい国』にも同じ記述があることを指摘する。

 この作業は、筆者が本連載と書籍版である『日本会議の研究』で行った作業と全く同じだ。加藤もまた、資料を集め、比較し、突き合わすことで、日本会議と「一群の人々」の存在を告発していたのだ。そして加藤のこの作業は、他の誰よりも早い。魚住の『証言・村上正邦』が出版されたのは2007年10月。加藤の前掲書より一年後のこと。元となった月刊誌『世界』の連載とて、2006年11月からのスタート。あの魚住の偉大な仕事でさえ、加藤の告発より後なのだ。さらに加藤は、第一次安倍政権の誕生に際し朝日新聞のインタビューに答え、2007年3月29日、日本会議を名指しにし、強い懸念さえ表明している。加藤は全てを知っていた。そして、加藤こそ、誰よりも早く、日本会議の存在に警鐘を鳴らした人物なのだ。

 日本会議についてメディアが取り上げるとき、「これまであまり触れてこられなかった日本会議」という言い回しが多用される。だが、加藤の事例のように、これまでも日本会議の存在と危険性を触れ続けてきた人々はいるのだ。

警鐘を鳴らしてきた先達


 70年代から新右翼界隈の優れたレポートを発表し続けてきた、猪野健治。

 主に教科書問題を追いかけ続ける、俵義文。

 圧倒的な史料を用いて戦後の右翼を追いかけ続けた、堀幸雄。

 戦争責任追及と差別問題への取り組みから、日本の言論空間の異常さに警鐘を鳴らす、上杉聡。

 そして、政治家個人を分析することによって「戦後」をとらえなおそうとした、魚住昭。

 これらの偉大なる先達たちは、それぞれ全く違う分野で、自分の見つけたそれぞれの「不思議なケモノ道」を探り続けていた。彼らの仕事はみな極めて細密で、他の追随を許さない。そしてその徹底した仕事ぶりから、彼らはそれぞれ、自分が見つけたケモノ道をさらに奥深く突き進んでいく。これ以上もうケモノ道を遡ることができない……となった時、彼らが一様に気づいた存在こそ「日本会議」の存在だ。彼らが追いかけていたケモノ道は、みな「日本会議」――「一群の人々」の巣穴――につながっていたのだ。

 加藤紘一は逆だった。

山の頂きで気付いた足元の「何か」


 加藤紘一は自社さ連立政権を支え続ける権力側の人間として、山の頂に立っていた。時折、山の頂に立つ加藤紘一の足元にかじりつく、「何か」がいる。この「何か」は、加藤や野中広務、河野洋平や古賀誠……と、山の頂にいる当時の自民党有力者たちを次々と引きずり下ろしてきた。

 山の頂で権力を支えている加藤は、山の裾野の景色が良く見えた。この「何か」がどこからやってくるのか?と裾野を見渡した時、加藤はこの不思議な「何か」が、「日本会議」――「一群の人々」の「巣穴」――からやってくることに気づいたのだ。

 魚住、俵、上杉、堀、猪野などの先達たちは、山の下から。

 加藤紘一は、山の上から。

 それぞれ同じ巣穴を見つけた。

 そして、立場も興味もキャリアも思想も全く違うこれらの人々は、この巣穴に棲む「何か」に警鐘を鳴らしたのだ。

 その警鐘はむなしく響くだけだった。

 魚住の偉大な仕事は、「週刊誌ネタでしかない」と一蹴され、俵の膨大な仕事は、「どうせ共産党でしょ」と相手にされず、上杉の実直な仕事は「政治運動の一環でしかない」と取り上げられず、堀の広範囲な仕事は、「学者じゃないから意味がない」と忘却され、猪野の洗練された仕事は「アングラネタだ」と嘲笑された。

 そして、加藤の叫びさえも、「オワコン政治家の虚しい戯言」と一顧だにされなかった。僕の仕事は、こうした偉大な先輩たちが残した、「叫び声」を拾い集めただけに過ぎない。
 そして今、誰よりも早く誰よりも克明に、あの「何か」の危険性に気づいた加藤紘一が、今、死のうとしている。

 「加藤さん、僕にはあなたの鳴らす警鐘が聞こえましたよ。しっかり聞こえましたよ。」と、報告したかった。

 加藤さん、僕の仕事が遅くてすみませんでした。もっと早くやるべきだった。本当にごめんなさい。

<文/菅野完

※菅野完氏の連載、「草の根保守の蠢動」が待望の書籍化。連載時原稿に加筆し、『日本会議の研究』として扶桑社新書より発売中

~~~~~~~~~~~~

♫ このようにして、「憲法9条があったから、日本が平和だった」と言っていた政治家が亡くなりました。

日本会議の存在を最初にあかしたのも、加藤紘一氏でした。彼の残した功績は非常に大きなものでした。

そして、記事にあるように、まだ書くことが出来ないでいる、おぞましい内容まで。

これらが、明かされる日も、きっとくると思います。


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小野田少尉の真実

2016-09-20 10:46:45 | 天皇まんざーい

http://yasumiyama.jugem.jp/?eid=129 より転載しました

小野田少尉の真実

 
 
 小野田少尉の真実 より抜粋
http://mayo.blogzine.jp/blog/2007/11/post_743d.html

いま「小野田少尉」の告白本を読んでいるが、これが実に興味深い。

というのは彼は22歳、昭和十九年の末に
参謀本部から秘密の指令を受け静岡からルバングへ赴任した。
彼の受けた指令の詳しい内容は今でも秘密だが
要は、
戦争が終わっても玉砕はするな、
ゲリラ活動をして敵軍の邪魔をしろ
ということだ。

そして、任務を解くには参謀本部の直属の上司からの命令が必要だった。
(通常の命令系統とはちがう。)、

だから、兄、母、同級生が呼びかけても投降できなかった。
(小野田さんは実の兄貴が歌っているのを聞いている。) 

上司たちは戦後名前を変え、あるいは所属を隠して生きていた。
家族ですら中野学校の出身である事を知らないという。

小野田さん、それから今でもフィリピンで戦っている戦士たちは、
当時の上司が名乗り出て任務終了を伝達しなければならなかったのだ。
自分たちは責任を逃れ、見捨てられた兵士たちは気の毒なものだ。

問題は、その任務だ。

ルバング島はマニラ湾の真ん前の島で、確かに戦略的に重要なところだ。
しかし、ルソン島自体が占領されてしまえばもう何の意味もない。
小野田さんは中野学校で秘密情報部の人間だが、
彼にはそこに残る意味があったわけだ。

つまり、隠されている隠匿物資の監視だ。

参謀本部は戦争終結を見込んで、
終戦になっても誰も財宝に近づけないように小野田さんを派遣したのだろう。
その任務を解く事が出来る人間は限られていた。
フィリピンにはまだ日本兵がいるはずで、彼等はいまだに任務についているのだ。
彼等に近づけば必ず銃を撃つだろう。

小野田さんに指令を出したのは竹田宮だった

それは竹田宮の従者だったフィリピン人のベン・バルモアが証言している。
彼はルバング島で小野田を見ていると言う。
そして、竹田宮はベンを連れてルバング島で略奪財宝の隠匿を指示していた

終戦後、財宝を探しに来る者達から財宝を守るために派遣されていた特殊工作員が
小野田たちだった
(当時、その島には三人の日本兵が派遣された。)
だから、彼が発見されたあと、日本は任務解除に谷口義美元大佐を派遣した。

その一団の中にこっそり竹田宮が入っている、
それはベンがテレビ映像で確認している。
つまり、竹田が解除命令を出さなければならなかった。

秘密を握っている小野田は帰国後即座にブラジルへ送られ、
ルバング島の発掘が終了するまで護衛に守られていた。
(監視されていたと言うべきか。)

ルバング島の発掘は笹川良一だ。
彼はマルコスと契約してルバング・リゾート開発をした。
どのぐらいの回収をしたのかは不明だが、マルコスはそれを知らなかったと言う。
笹川はそれを船舶振興会でロンダリングして自分たちの基金に入れた。

これが小野田少尉に関わるすべての真実だ。
戦後六十年たっても何も国民は知らない。

でも、戦争終了を知っていたにも拘らず、
長い間忠実に任務についていた小野田さんの人生とはなんだったんだろう
 
~~~~~~~~~~~~~~
♫ やはり相当な秘密が隠されていました。
小野田少尉は帰国後グアムから帰国した横井正一氏とは別格でした。一ヶ月ものあいだ、東京にいました。
その間、何を調べ、何を確認したのでしょうか?
小野田さんは秘密については一言も漏らすことは、ありませんでした。それが兵士として、訓練されたとはいえ、想像を絶するものであると、私は思います。
マインドコントロールが、小野田さんに長く作用していたのですから。
 
このようにして、日本兵士は律儀な為に利用されてしまったのです。小野田さんに罪はないでしょう。
 
そして、フィリピン政府は、フィリピン人が小野田さんたちによって、何人も殺されていたにもかかわらず、無罪放免としたことです。金塊を手にしていたからですね。
 
マッカーサーがアメリカが、日本の戦犯を刑務所から出した理由も、金塊をアメリカが手にしていたからでした。
 
不思議なことは、何もありませんね。
 
現在も袖の下は、オバマ政権においてもあったと、ウィキリークスが暴露していますから。
 
政治の世界では汚職は当たり前、わかっても知らない顔して通せる人と、捕まってしまう人
がいるのは、不可解な事実です。

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アイリスのサツマイモご飯

2016-09-20 09:36:41 | 家庭料理

♫ 秋ですね。さつま芋の美味しい季節です。

美味しくって、おかわりがでます。

 

【材料】

御米 2合

さつま芋 1本 (150gぐらい) 食べやすい大きさに切る

切り昆布 少々(短く切っておく)

塩 少々

焼酎、または日本酒 小さじ2ぐらい

 

【作り方】

お釜に洗った米、水は分量2合です。

さつま芋、切昆布、塩、酒を入れて、15分ほどおいてから、スイッチをいれてください。

できあがったら、好みで、ゴマをふりかけると、いいです。

 

切昆布をいれると。本当に美味しいさつま芋ご飯ができます。

大きな昆布に切り込みをいれて、炊き上がったら除くやり方は、お上品ですが、

家庭料理ですから、一緒に昆布を頂きますと、さらに美味しいです。

もしも、切昆布がなく、おぼろ昆布なら、あるかたは、おぼろ昆布を小さく切って、混ぜてたくと、いいです。

 

 


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抹茶の効果効能って素晴らしいです

2016-09-20 08:48:50 | 健康管理

♫抹茶の効果効能を調べていましたら、下記のサイトを見つけました。

北米に住む方が抹茶の輸入をしているようです。レシピが載っています。

おいしそうで、ニホンとは又一味違うレシピで、うれしくなりました。

そして効果効能についても。この内容にはびっくりしました。

日本のサイトには、これほど記載されているのは、見たことありません。すぐれた栄養素があります。日本人なのに、知らないことって、多いです。情報がないからですね。

そういえば、飯山一郎氏が鹿児島のお茶を販売していましたけれど、これも抹茶ですよね。粗挽き茶としていましたが、お湯でといて、飲むと書かれていました。

説明、効能書きができないのかもしれません。訴えられたらおしまいです。

飛行機に乗ると、周りの白人が皆日本茶を希望しているのが、不思議だったのが、わかりました。

http://www.domatcha.jp/recipes/

♫さらに調べると糖尿病によかったというサイトもありました。

 http://www.alphalabel.net/health/diabetes_clear.html

写真は中村藤吉氏のものです。http://blog.goo.ne.jp/photo/353454jから、拝借しました。京都だそうです。さすがに、抹茶の色々があり美味しそうで行きたくなりますね。


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