アイリス あいりす 

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曽野綾子の夫三浦朱門が認知症で豹変!

2016-09-28 11:23:32 | 社会問題 日々雑感

 http://lite-ra.com/2016/09/post-2585.html より一部転載

曽野綾子夫の認知症で豹変!「老人を長生きさせるな」と小説を書いたのに

(中略)

本サイトでは、この長谷川のような自己責任論を振りかざしてきた代表的論客として作家の曽野綾子の名を挙げ、“高齢者や自己責任の病気で保険を使う人間のせいで、この国はそのうち医療費で破綻する”との主張で人々の不安と怒りを煽ってきたことを先日紹介した。

 だが、当の曽野自身が、いま、高齢者の問題に直面しているのだという。曽野は「週刊現代」(講談社)9月24日・10月1日号に「「夫・三浦朱門」を自宅で介護することになって」という独占手記を発表。翌週号から「自宅で、夫を介護する」という連載をスタートさせたのだ。

 曽野はまず、自身が現在〈多くの日本人が直面している典型的なケースを生きている〉とし、昨年から夫の三浦に機能障害が表れはじめ、初期の認知症であることを公表。同年秋には検査入院をしたそうだが、曽野は〈日々刻々と夫の精神活動が衰えるのを感じ〉夫を連れて自宅に戻ったといい、夫の〈喜びようは、信じられないくらいだった〉ことから〈覚悟を決めた〉という。

〈夫にはできれば死ぬまで自宅で普通の暮らしをしてもらう。そのために私が介護人になる、ということだった〉

 曽野の独占手記を読むと、自宅にケアマネージャーが訪れるなどしていることが窺えるが、そのように夫の介護を決意したいま、曽野は以前に発表した“ある小説”について、こう振り返るのだ。

〈この危険で破壊的な小説の内容は、当時あくまで空想上のことであった。むしろ現在だったら、私はこの作品を書けなかっただろう〉

その小説とは、曽野が「小説新潮」(新潮社)2014年1月号に発表した「二〇五〇年」という短編のこと。「いまなら書けない」というこの小説、じつは高齢者の自己責任を煎じ詰めた内容なのだ。

物語の舞台は2050年。人口減から日本は荒廃し、ついでにマンガやコスプレなどのサブカル文化やネット依存によって若者たちの精神も荒れ果て、その結果、高齢者は〈物言わない生きた死体同様〉の存在として扱われるようになる。

 そして、寝たきりの老人が生きることには「なぜ、そんなに生かすのだ」「眠り続けているだけの老人を生かす費用は一体誰が出したのだ」と否定的意見が出るこの社会では、高齢者のジェノサイドが当然のように起こる。〈老人を抹殺することには、一種の社会的必然ができている。或いはそれは暗黙の社会的正義だと感じる層さえ出るようになった〉のだ。

 しかし、75歳の男性主人公は、それを当然のことだと受け止めている。

〈「一人の人の命は地球よりも重い」というような言葉が流行し、疑いもなく受け入れられたのは、二十世紀後半のことだろうが、当時の人の心は実に甘いものだったのだ。私は曲がりなりにも二十世紀というものを知っているから言えるのだが、理想論を口にした連中はすべて詐欺師に近い。医者も同じだ。彼らは人の命を延ばすことには成功したが、それに腹を立てた人々も増えたのだ〉
〈今世紀の初め、私はまだ若かったのだが、人々は今ほど立派ではなかった。すべて現世の不備は政治のせいであり、すべての病気は医師が治すもので、治せないのは保健省の怠慢か、医師の無能のせいだと考えている人もいた。地震や津波で被害を受けた人全員に国家が損害賠償を支払うなどということはもともと出来えないことだったのだが、それを要求する人もいた。
 今人々は少し、人間を取り戻している。運命を受け入れるようになったのだ〉

無論、このディストピア小説は、高齢者福祉の思想が停止した世界をアンチテーゼとして書いたものなどではない。曽野は一貫して高齢者を金食い虫として批判してきたが、この小説でもそれを主張しているのだ。

 現に、2014年5月に発売された近藤誠医師との共著『野垂れ死にの覚悟』(KKベストセラーズ)のなかで曽野は、この「二〇五〇年」という短編についてふれ、こう語っていた。

「これから一番大切なのは、いやな話ですけど『年寄りをどう始末するか』っていう問題ですね。どうしたら穏やかに、比較的幸福に、不当な長生きをしないようにするか。もう始めなきゃいけないことですけど、国も医学界も何もやっていらっしゃいません。国だけじゃなくて、長寿に奔走したドクターたちにも責任がありますよ(笑)」

 金がかかる不当な長生きをさせてはいけない。老人を抹殺することは〈人間を取り戻している〉証拠だ──。そんな恐ろしい考えを正当化する小説を、曽野は何のためらいもなく発表していたのだ。

しかし、いざ自分の夫に健康上の不安が見え、介護が必要となると、「いまなら書けない」と言い出す。作家なのにその程度の想像力ももちあわせていなかったのか、と驚くしかないだろう。

 だが、今回の告白で過去の作品を「書けない」と振り返る一方で、夫の介護をスタートさせていた今年1月にも、曽野はやはり「何が何でも生きようとする利己的な年寄りが増えた」などと高齢者が生きるための正当な権利を主張すること自体を猛批判している(産経新聞1月24日付)。

 以前、本サイトでは、曽野が日本のハロウィーンを“タダで子どもたちにお菓子をもらわせようとする卑しい魂胆の見える親たち”などと批判しながら、自分の息子がマンガのただ読みをしたことを「相当なもの」と賞賛していたことを紹介した。介護の問題といい、他人のことは利己的だと攻撃するが、じつのところ利己的なのは曽野自身ではないか。

 もちろん、御年85歳である曽野自身も後期高齢者であり、彼女が90歳の夫の介護を行うのは老老介護だ。そのような状況では、保険を利用して治療を受けながら、公的な介護支援サービスを利用し、さまざまな人の手を借りながら要介護者と介護者が孤立しない状態をつくることが望まれる。いくら曽野がそうした社会保障のあり方を批判し、自己責任でどうにかしろとがなり立ててきたといっても、それを受ける権利が曽野にはあるし、適切な保護を受けてほしいと思う。

 しかし、ならば自分の夫を愛おしく思い自宅で介護したいと願い、サービスを受けているように、ほかの誰かも同じような思いから社会保障を受けているのだという想像力をもつべきではないか。今後、「何が何でも生きようとする利己的な年寄りが増えた」などと口にするようであれば、それは自身の夫にはね返ってくるということを自覚するべきだろう。
水井多賀子

~~~~~~~~~~~

♫ 認知症の夫を抱えて大変でしょう。でもヘルパーを沢山雇えるほと、裕福なんですよね。

寝たきり老人になる可能性だってあります。そして自分も立派な高齢者ではありませんか?無駄に生きてはいけない、と強い口調で述べたのも、かなりな年齢の時ですよ。けして、若気の至りではないですから。

彼女がキリスト教だと知った時は、口があんぐりしたのは、ずっと昔のことでしたけれど。

笹川一家とかなりなつながりがあり、日本財団の会長までしたのです。

自分は成り上がりではないと、彼女は思っていたのかもしれませんが。

ある作家も言うように、明治維新のテロから成り立つ一族、親戚ではないでしょうか?

これから、彼女はどのようにして残りの人生を送るのかしら?

貴方の放った矢が戻るのは、必然的ですよ。それほどひどい矢でしたから。

そして、現在横浜の病院での怪事件は、この曽野の発言と似ていると、言わざるをえないです。



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子供の頃の不思議なこと

2016-09-28 11:19:22 | 日記

♫ 子供の頃、はっきりと覚えていることですが、

台風が来ると、我が家では雨戸をしめ、更に板をはすかいにして、釘をうちつけて

雨戸が風邪で飛ばされないようにする仕事を、父は早起きしてやっていました。

ある台風の時、雨はやんでも突風がひどく、昼間なのに部屋の中は暗いままでした。

私は、外にでて、子供部屋の南側にしゃがみ込んでいました。太陽も見えなくて、風はそうとうひどいものでしたが、なぜか家に入ろうとは思わなかったです。その風を受けて、ある懐かしさと、私の身体に、不思議な気力があることに、気づきました。

風邪に立ち向かう自分を見ていたように、覚えています。

たったそれだけですが、とても不思議な気持ちでした。

今にして思えば、あの時の気力は今の状況に似ているのかもしれません。

そしてそれは、体育会系のやる気と言うものとは、かけ離れていて、静かなる気力とでも

いいましょうか。

遠い昔の自分を思い出すのは、子育ても終わって時間的な余裕もあるからでしょうけれど、振り返ることが多いというのは、人生の折り返し地点を過ぎているからでしょうね。

若いとき、私は友人たちほど、昔を振り返ることは、ありませんでした。

思い出話に花を咲かせるというのは、60歳を過ぎてからです。

子供の頃のこの不思議な感覚について友人に話すと、私は「変わった子だったのね。」と言われます。

普通ではないようです。

子供はそのように、深く物を考えないと言われました。本当でしょうか?

人によるのかもしれないと、他の友人に聞いてもやはり同じ答えが返ってきます。笑

 

 


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食べて応援 夕張市の特産品 長いもはこれからの季節

2016-09-28 10:45:03 | 社会問題 日々雑感

♫ 夕張市の破産は、もう忘れていました。若者は夕張市に希望が持てないそうです。

市長も手取り15万です。

私にも、何かお手伝いできることはないかと、考えてこの広告を見てもらおうと思いました。

メロンは終わったようです。

観光案内をみると、珍しい「エアライフル射撃場」もありましたよ。

宣伝が下手なんじゃあないでしょうか?

夕張市の観光を、映画のロケ先だったりと、着眼点が古すぎると思います。

夕張市民がわかっていない、良い所があるのではないでしょうか?

http://www.city.yubari.lg.jp/contents/sightseeing/products/index.htmlより転載

夕張長いも

 

特有の風味と他には類を見ない、高い糖分と栄養価は大好評の逸品です。 

発送時期:11月~12月


花豆の缶詰

花豆を原料にふっくらとまろやかに仕上げました。甘さをおさえた味は、お料理の付け合わせやお酒のおともに最適です。

一缶:230g


問い合わせ先

夕張市滝ノ上132番地

夕張市農協銘産センター

電話:0123-58-3171



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