仁田峠第一展望所から見下ろした大火砕流の跡
土石流氾濫対策の導流堤が完成した水無川流域
大野木場砂防みらい館から
平成新山、定点、北上木場農業研修所跡から海岸まで一望できる
旧大野木場小学校被災遺構
1991年9月15日の大火砕流に伴う火砕サージによって焼失。
砂防学習拠点のひとつとして保存されているので見学可能。
平成新山ネイチャーセンター
土石流被災家屋保存公園
あれから30年経つんですね。
当時県外在住だったのでテレビ越しの情報しか持ち合わせていなかったのですが、
おととしにやっと現地を訪問してきました。
全く知らない世代のためにあえて言ってみますが、
43名という最大の犠牲者を出した6月3日の大火砕流についてです。
これは地元住民が逃げ遅れて亡くなったのではないんですよね。
市はちゃんとエリアを定めて避難勧告を出し、
最大時には1万人以上もの住民を避難させていたと記録されています。
結果的に、いわゆる一般の方の犠牲者は数名と極めてミニマムに抑えられました。
その当時としては驚異的な行政力じゃないかと。
43名についても失わずに済んだ命だと思うのですが、
長くなりますんで詳しくはググってみてくださいね。
当時現地取材に入った元記者の手記とかいろいろ情報ありますので。