歌手の小田和正は、
実に多くの女性に愛されている。
熱烈に愛されていると言ってもいいだろう。
ヒット大地は、それを見て、
内心、せせら笑っている。
はっきり言おう。
小田和正の音楽性などは、
ヒヨコのダンスのようなものだ。
幼児性に溢れ、
真に大人の女が聞く類のものではない!
メロディは単調だし、
歌詞も、小学生レベルだ。
ついでに言えば、
さだまさしもひどい!
こちらは、熱病に浮かされたように、
男女愛や母性愛を賛美する。
ご苦労様!・・・と言いたい!
女たちよ、知っておけ!
男女の愛の半分以上は、性欲に基づくものだ!
男にとって、女は性器さえあれば、
半分以上は、それで満足なのだ。
男は、どんな女とも、セックスはできるのだ!
もちろん、ヒット大地とて、
本当に愛した女性はいた。
その場合、セックスはあまり考えなかった。
プラトニックでも、十分に満足だった。
たまさか、そういう純粋な愛もあるが、
基本的に、男女の愛は、
セックス中心だ。
ついでに言えば、男女愛は、
経済力などの打算に基づいている。
これも忘れはいけない大切なことだ。
また母性愛も怪しい。
少なくとも半分は自己愛だ。
子供を通して、自分がかわいいだけなのだ。
その証拠に、他の女が生んだ子供は、
どうでもいい!
・・・それどころか、
「ウチの子」のライバルと思っている。
もし本当に子供がかわいいなら、
他人の子供も、愛するべきではないか!
ただし母の愛の中にも、無償の愛の部分はある。
間違いなくある。
(正直言うと、母性愛の6割くらいは、それかもしれない)
それがないと、母親業はやってられないだろう。
乳児期の最初は、夜も3時間おきに授乳できないだろう。
そういうことは、ヒット大地も、すごくわかる。
誰よりもわかる。
ヒット大地の母親は、ある日言った。
「ヒットよ、私はあなたの子供のころを、すごく愛した。
しかし、正直に言うと、時には、憎らしくもあった」
そう!
これが母の愛の限界だ。
これが人間愛の限界だ。
ヒット大地が、神を愛する理由がここにある。
神は、本当の意味で、人間を愛してくれるのだ!
だからこそ、ヒット大地は、母性愛の限界をきちんと理解し、
(母の愛を無償の愛と決め付けた作詞家の川内康範はアホちゃう?)
・・・と思っている。
(ただし川内康範のお母様を知らないので、
これ以上の、コメントは止める)
ヒット大地の好きな男性シンガーソングライターは、
井上陽水や浜田省吾だ。
彼らは女性を自然体で見ているような気がする。
その他、女性に「無理に気に入られよう」としてないし、
井上陽水は、女性以外の歌も、たくさん歌っている。
二人の音楽性は高い。
ついでに言っておくが、
ショパンを好きな女が多い。
ベートーベンの好きな男が多い。
しかし、彼らよりも、
モーツァルトの方が、5~10倍も、音楽的には、優れている。
これだけは絶対に、忘れるな!
ところで・・・
女性に関して、ヒット大地と似た考えの男がいる。
タモリだ。
タモリも、小田和正とさだまさしが、大嫌いだ。
一度、小田和正が、
『笑っていいとも』のテレフォン・ショッキングに出た時、
タモリは、何も話さなかった。
タモリは、結果的に、母親に「捨てられた」。
ヒット大地も、結果的に、母親に「捨てられた」。
だからこそ、二人とも、
「女の愛の半分は、性欲から成り立っていること」を、知っている。
小田和正とさだまさしの欺瞞性や偽善性がわかっているのだろう。
ヒット大地は、女の限界を知っている。
男女の愛の限界を知っている。
それがゆえに、ヒット大地は、
女性を、「真の意味で、守っていきたい」と思っている。
男は、女性を守ることよりも、
「いかに自立させるか」を、第一に考えるべきなのだ。
そして男女平等は、絶対に、必要なことなのだ。