ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

ようやっと気持ちがおちついてきた(20210407)

2021年04月07日 | その日暮らし

 昨夜から、ようやっと気持ちが落ち着いてきました。あることの整理を一昨日の夜にやり、前を向くことができました。自分ひとりでは解決不可能な問題なので、まだ時間が掛りますが、頭の中が澄んでくれば、色々と考えることができるはず。

 昨日午後、既報の通り豊原を巡りました。ゲットウは心が揺さぶられるほど美しかった。また周囲の景観はもはや大きく変貌してしまいましたが、海はまだ満身創痍になりながら、生きているようです。国家権力の行いも、つきつめれば人間の所業。人間の所業を私たち人間が許してはなりません。一時の利益のための「開発」=自然破壊=戦争の装置の製作の果てに生まれることはなんでしょうか。ここで立ち止まり、考えなければなりません。

 まして私たち「日本人」(やまとんちゅ)は、琉球・沖縄に対する歴史的責任があります。無関心のママ過ごしていたら、ますます見えなくなります。この深い闇を解き明かすことなしに、私たち(「日本人」)は琉球・沖縄と向き合うことはできません。

 昨日も、キャンプ・シュワブが見え、その左に辺野古の集落が見え、さらにシュワブの演習場の森が見えていた。もともとあった辺野古岳や久志岳も軍事演習場の一部に組込まれ、醜態を晒しています。ここはオキナワ。私はこれまで、これは自然写真だ、これは報道写真だと区別してきましたが、そうした区別の中で見逃していたことがあるようです。全体としてオキナワを見、その先を見なければなりません。

 この問題意識は去る2月のブルービーチ通いで気づかされたことでした。しかし特に囲い込まれたスペースだけの問題ではありません。フェンスやオレンジラインで囲われるだけではなく、心の中まで囲われている。沖縄では想像してみなければ、このデッドラインを踏む超えることができません。

 色々な問題が錯綜していますが、私は一つ一つを紐解きながら、これからも現場で撮影していきます。



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