色々と書こうと、それぞれの資料を出していると、何列もの山ができてしまい、収拾がつかなくなる。書き上がる前に新たなテーマが出てきて、困ったものだ。自分の頭の回転が遅いのは今更如何ともしがたいが。同時に何冊かの本を読もうとして、整理がつかなくなり、混乱することも度々ある。
Ⅰ:アンタの大将
アンタの大将は国会の開会を10月かねと薄ら笑い。上官の命令は朕の命令だといいたいのか? この国はいつから独裁国家に成り果てていたんだろう。私たちが油断していたらみんないいようにやられてしまう。民主主義の仕組みがあるとか、民主的な憲法があると言っても、大将は屁のかっぱ。
このままいったら相当ヤバイよ。大将にとって、「関係ねぇ」のはどうも沖縄や福島の世論だけでないようだ。「私たちは、そんな大将を支持しない」と大声を張り上げなければ、止まらない。
これは日本の「国民性」なのだろうが、判断・決断力がなさ過ぎる。各級議員ならばそれぞれのレベルで自分はこう考えると言うことができなければ、ダメだ。かって朱に交われば赤くなると真っ赤っかになった「大日本帝国・臣民」。自決と自滅に一直線で走り込んだ。敗戦後の責任追及もろくにしなかった。戦後75年の今が情けない。
Ⅱ:小文字の責任追及
だから先ず大文字の責任を問うまい。自分事の責任から考えよう。進学・就職、結婚、色々あろうが、自分で考えてきたのか。偶然に身を任せてきたのか、私はこれで行くと決めてきたのか。結果的に100%思い通りに行くものではないが、考え、尽力してきたのか。うまくいかなかったとすれば、そこで考えるのが大切だ。どうして?
私は、昔しばしば登山をやっていた。一人で登るのだが、悪天候になれば、知らない人と急遽パーティを組んだこともあった。誰とも組めるかと言えば組めない。パーティを組むと言うことはリーダーに誰がなるかが前提となる。了解、行きましょうとならなければ、怖くて組めぬ。ついてくるならば、私の判断に従ってと言えなければならない。登山の鉄則は生きるために登る/下るのであって、自滅はありえない。このために最善の判断を下し乍ら行くのだ。
登山は諸個人の結束だから、責任は相互にあり、一方的なものではない。嫌なら離れれば良いのだ。もちろん、難儀しているときに勝手にしろとは言わないし言えない。
Ⅲ:沖縄では
これが会社組織とか国家的な組織となるとたやすくない。どうもこうした団体の前提は生きるための盟約ではないようだ。犠牲を強いられたり、丸ごとお上の言うとおりがまかり通ってきた日本の悪しき伝統。今こうしたファッショ的な「団結」が押しつけられようとしており、危険水域に没しそうだ。
ひとり一人が判断・決断力を養いながら、判断・決断力の無い長を追い出さなければならない。だからこそ、過去の失敗から学ばなければならない。天皇の戦争責任を問うばかりか、身近にいた部隊長などを問う相互教育が必要だ。しかしすでにその世代の人たちは亡くなっており、問題を問うこともできにくい。もう手遅れなのか?
沖縄では第32軍司令部の壕を残す気運が出てきた。この際、建物や遺産を残すばかりか、そこで何が起きていたのか、如何なる命令の下で何が起きていたのか、如何なる命令の結果、ここから逃亡し、南部に脱出したのか、逃げおおせない人を殺したのか、こうした経緯をまとめなければならぬ。責任を問えば問うほど身近な人が浮上するだろう。しかし大日本帝国の軍隊がそこにいなければ、あそこまでならなかったことを考えれば、ここを無視できぬ。
あの牛島司令長官の孫は私の旧知の仲だ。もうひと働きもふた働きもしてもらおう。大切なことはあの時代の、あのような国家に引き戻してはならないということだ。
こうした作業に保守も革新もない、沖縄だからやらなければならないことだろう。ここを曖昧にした沖縄の復興・経済振興はありえない。