実は、今日の沖縄タイムス1面は、「メッシュ機墜落二人死亡」(既報)の影で脇に追いやられた記事が重要だったのだ。「迫る首相に大田氏沈黙」、2面にも「移設受け入れ狙う」とあり、95年9月4日以降の沖縄県VS橋本龍太郎政権との角逐が記されている。当時の政策調整監だった又吉辰雄氏(82)がキーマンだ。
要は如何に政権は、執拗に基地建設を迫るのかが、記録されている。むろんまだまだ意味不明な点が残されているが、この記事を書いた福元大輔編集委員に拍手。何故かと言えば、当時のつばぜり合いは、案外表面にでてきておらず、政権側の沖縄へのリップサービスが大きかったからだ。私は「嘘つけ」と思っていたことも多かったのだ。そこをドカンと切り込んでいるのが今日の記事。「沖縄に基地 政府姿勢不変」とあるが、これこそが自民党政権の変わらぬ本質だ。
詳細は、明日改めて書きたいが、ここでは触れられていない「SACO合意」のバックグラウンドに米日安保再定義が刻印されているのだ。そこまで踏み込んだインタビューと批評を私は希望している。
ということで私は、一連の関連文書を読み直してみた。また自民党政権が崩れ、連立政権ができたり、小選挙区制や消費税の導入などが入り、政財界の構造に変化が起きる。最近、政治と軍事の連結構造に興味を持っている私だが、ここを追究していきたい。あれから25年以上の歳月が経っているが、古くて新しいこの構造を看破できずに、私たちは前を見ることができない。
また、新自由主義の導入は、1987年の国鉄分割=民営化から大きく動いてきたが、この帰着点が露わになりながら、逆転現象も起きている今日この頃だ。自・公・維新・国民民主という新自由主義大やごうの動きが顕在化してきている現在、極めて危険な時代へと坂を転げ落ちている日本。やべえ、やべえ!
新自由主義は、命の営みを切り刻み、儲かることだけが「正しい」時代を生み出してきたのだ。戦争が身近に迫っていることはある意味当然なのだ。敵はロシアばかりではないのだ。中央政府の中に、米国の中に潜んでいるのだ。私たちは人間だ。まっとうな感覚を堅持し、活かせる社会を創り出していこう。