2019年10月31日未明の首里城炎上・消失に私も言葉を失った。私はこれまで物が大破・消失した現場(火災を含む)を何度かみているが、これだけですごいことなのに、いろいろなことで訳ありの首里城だ。また何者かが現場の中にいなければ撮れない動画が流されていたり、不吉な情報も流れてる。今朝の報道によれば、所蔵421点もの美術工芸品が消失したとある。31日時点で予想されたこととは言え、取り返しの付かない事態になっている。
今朝の新聞に消火活動を指揮した消防署長のインタビューが出ていた。目の前で焼け落ちていく姿を見て悔しかっただろう。彼は隊員に向かって、「下がれ!」と命じざるをえなかったのだ。悔しさは消火活動に当たった消防官全員の思いであろう。耐火・耐熱の服を着ている彼らでも近づけない現場。
今、私が懸念していることがある。1992年に復興された首里城は日本政府が再建したようなものである。無論、沖縄の人々の長きに亘る努力が叡智の結集がなければできなかったが、何事にもお金がつきまとう。政府は「再建を決意」と言いながら、だったらこの国に従えと迫ってくるのは必至である。74年前の沖縄戦を誰がもたらしたのか、首里城を大日本帝国軍隊第32軍の総司令部にしたのは誰なのかを考え、今に至る歴史を考えれば、沖縄はここで熟考・熟議しなければならないはずだ。沖縄がこの困難の中で、政府の甘言に乗せられたらダメだと言うことだ。
そんなことを思いながら私は、この2,3日を過ごしてきた。幾つか書いておかなければと思っていたことも書けずにいた。しかしだからこそ混乱の中で流されないために、敢えて時間は掛かるが予定通り、幾つかのことを書く。ご承知起き下さい。火災のことも書きます。
復興チャリティの活動もあちこちで始まった。私も近々に現場を見て報告する。