自民党の裏金問題から、政治資金規正法『改正』案を巡って、中央政界が裏で表で動きが激しくなっている。都知事選を巡っても、国政の影が覆い、情報が混沌としている。そんなことは、沖縄には良くも悪くも関係ないだろう。どう転んでも悪くなることはあっても、良くなることはないだろうから、そんなことで、私は一喜一憂している暇はない。私は安保という問題を正面に据えて考えたい。
明後日から、6月を迎える。これは何処でも一緒だね。ただし沖縄の6月は重いのだ。あの沖縄戦で「最終決戦」が戦わされた日時と重なるからだ。沖縄戦から79年を迎えている。私は、沖縄戦・アジア太平洋戦争と日米安保を重ね合わせて、考えるしかないと考えている。沖縄は占領され、大日本帝国と切り離され、軍事占領から安保が押しつけられてきた。1950年から53年の朝鮮戦争が節目となり、天下泰平の如く遇された「戦後日本」との落差が激しく拡大されていった。さらに、沖縄返還を前後する時期に「日本」の米軍基地は、「関東計画」と称して削減されたのだ。そして米軍基地は沖縄に押しつけられていった。
私達「やまとんちゅ」は、こうした歴史に無自覚なまま、「戦後平和」の一時期を謳歌していたのだろう。そして今、再び戦争が叫ばれる時代を迎えてしまった。やはり「日本」側の警戒心は薄いままに。今度は沖縄じたいが「沖縄本島」と「先島」に分離されてしまっている。「南西諸島」などと呼称されているが、所詮は、この国の勝手だろう。「ひとくくりにする思想」は、中央政治の支配戦略なしに、ありえない。それぞれの島に住民が生きていてこその島であり、くくられてどうするのだ?!
ということで、私は「軍隊は住民を守らない」、「命どぅ宝」を改めて考えたい。可能な限り、旅に出て、考えたい。まずは明日から3日間。次に沖縄県議選の追いかけ、そして幾つかの島に行く。
考えてみれば、米軍であれ自衛隊であれ、軍隊は軍隊だ。SDF(自衛軍)といおうが、敵と戦うことが第一義になってきた自衛軍(大きく国境・領海を越えて)は、不気味だ。実力はともかく、米軍と大差ないほど不気味だ。地上戦を強いられた沖縄では、「軍隊は住民を守らない」との教訓が出されてきたが、空襲しか経験しなかった大日本帝国では、そうした教訓は育まれなかった。絶対的な天皇制が「象徴天皇制」にかわれども、戦後日本では完勝したのだ。「長いものに巻かれておれ」と。
私の力量では、素早く新しいモノを生み出せないだろうが、ひとつひとつを検討し、組み立てながら新たな地平を生み出したい。8月の写真展(「基地の島 琉球諸島・沖縄島のリアルとこの国の深層」)を、こうしたまとめの第一歩にしていくつもりだ。ご注目願えればありがたい。