ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

米国の核抑止の下で(20220730)

2022年07月30日 | 歴史から学ぶこと

 安倍政権となってから、やたらと「米国の核の傘」(核抑止論)が強調されてきた。「相合い傘」ならば、麗しいが、この「核の傘」ってなんだろう。言葉の綾なのだが、傘を差し出す米国、傘にありがとうという日本国。この傘は、1945年8月6日、9日に爆発したヒロシマ・ナガサキの原爆だ。かわいいわけない!!! 

 米国は沖縄に1300発の核爆弾を貯蔵していたようだ。1972年5月14日まで。無差別殺人(ジェノサイド)の被害にあった日本が嬉しそうに「核の傘」を歓迎しているのはどうしてか? ロシアがウクライナに侵略し、核爆弾の使用をほのめかしていた。そんなことをさせてはいけないのだが、私たちはもっとシビアにみておかないとなるまい。

 この国は、2018年の防衛計画大綱にこう明記している。「(前略)平和国家としての歩みを決してかえることはない。(中略)核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止が不可欠であり、我が国は、その信頼性の維持・強化のために米国と緊密に協力していく」と言っているのだ。「拡大抑止」とはなんだろう? 核攻撃には核攻撃で撃滅するということか。いいや、圧倒的な核攻撃能力を整え、敵からの核攻撃を食らう余地をなくすことだろう。日本国はそこに緊密に協力していくというのだ。奢りしかない。

 ではいつからこう言ってきたのだろうか?  1976年の「防衛白書」にこうある。「我が国に対する核の脅威に対しては、米国の核抑止力に依存している。この抑止力の信頼性は、米国政府首脳の度重なる公約もあるが、基本的には日米関係の緊密性、米国にとっての重要性に基づいている。(中略)日本政府は、非核3原則の方針を堅持している。核兵器を日本にもちこまずとも、世界全般に展開している米国の核戦略の存在によって、必要な核抑止機能を維持し得ているものとみることができよう」とあるのだ。

 平和国家を歌いあげながら、これほどの核礼賛。1976年のことだ。今から46年前。しかしこうした方針は1952年4月28日から打ち出されていたのだ。日本の「独立」と同時に結んだ安保条約の裏側にこれがあったのだ。米国の核戦略に従いますという。沖縄を日本から切り離したから、米国は沖縄に核を置いた。日本政府は暗黙に認めた。これで「非核3原則」(もたず・つくらず・もちこませず)と矛盾しない?

 根が深い。こうした背景があるから、日本政府は米国に原爆投下は国際法違反だと追及してこなかった(一度だけやっている)。反核運動の原点は1954年のビキニ事件からだ。ヒロシマ・ナガサキは核攻撃のテストケースだった。人体実験の側面が強かった。1954年3月1日のビキニ事件も巨大な核実験。こうした太平洋の島々での核実験で多くの悲劇が生まれている。島の人々の被害は甚大だった。

 こうした事実を黙殺してきたから、米日政府は「核抑止論」を主張できるのだ。私たちは事実の裏側まで凝視することが重要だ。

 



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