goo blog サービス終了のお知らせ 

ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【補足】今日4月19日は嘉手納に行ってきました。そして…(20240419)

2024年04月19日 | 沖縄暮らし

2024年4月19日(金)晴れ

 私は嘉手納基地を撮りに行ってきました。また米軍(陸軍特殊部隊)が嘉手納基地にパラシュート降下訓練をやるというので、撮ってきました。13:30-15:30。要するに、この2時間は飛行場として使えないわけで、それ以前と、以後は多数の航空機が飛ぶだろうと考えました。帰路をバス120番(主に国道58号沿い)で戻ってきました。途中、海が広がり、観光客も少なくないようでした。もっとも陸側はキャンプ・ハンセンなどの軍事演習場が広がっており、観光客は海側を中心にみているのでしょう。

 これは「基地と観光」を撮れるんじゃないだろうかと考えながら、戻ってきた次第。基地と観光を分離できている間は、この2重の構造を活かすことは可能でしょう。しかし戦時になってしまえば、戦争をやる国家(軍隊)にとって、観光客や住民はお邪魔。スムースに彼ら、彼女らを排除したい。だが沖縄島では「避難」ではなく、室内に留まれという。これが「国民保護」であり、「避難計画」です。誰がこうした計画を決めるかと言えば、政権の総務省と、配下に置かれる自治体です。軍部が基本を押しつけてくるでしょう。しかし米軍の指揮下で日本の国家(軍隊)が戦争指示をだしてくる。何でだよと言われても、戦後国家は、こうなってきた。特に安倍政権下でグンとこうなってきた。その証拠が2022年の「安保3文書」です。そして今回の岸田首相の米国訪問が、よりはっきりと「攻・攻同盟」を約束した。「専守防衛」路線があきらかにハズされ、「守るも攻めるも黒金の」とばかりに「米国様」と叫んでいる。日本国憲法は、掃いて捨てられている。

 ヤバすぎます。何がヤバいかと言えば、「米国様」という、米国依存であり、だからこそ、原発再稼働、原発時代に舵を切り、食料やエネルギーの外国依存を深め、安泰だと胸を張っている。「バカ」じゃないか! どうせ、選挙をやれば、自民党多数派が勝つ。支持率が下がろうとも代替政権などありえないと自信たっぷりだ。自公が崩れても維新や国民民主党がおり、立憲民主党も取り込めるさと強気な自民党多数派。

 「バカな国民が多数派」だからと侮っている政権なのだ。多くのマスコミも同様だ。矛盾を矛盾だと追及しないから、風が吹いているだけなのだ。しかし私は、正直に告白しておこう。私自身を、その「バカな国民」だと見据えてこなかった。確たる根拠も据えずにそう考えてこなかった。私は「主権者」として生きてきたのか? 選挙には殆ど行ってきたが、何かが足りなかったようだ。生きていく政治責任を考え抜く覚悟。生きるという多面性を貼り合わせる意識・思考力。「なんとかなるさ」という依存症。ダメならば仕方がないという諦め感。即、こうだとまとめられないが、どうにかなるさという安直な気持ちを否めない。  

 考えてもみてください。もしも原発が第2の第3の福島第一原発のようになったらどうなるか。もしも琉球諸島が戦場になったら、どうなってしまうか。戦火に置かれるか否かだけではない。これは沖縄のみならず、国内の食料がなくなるし、エネルギーが枯渇します。日本で人を殺すには武器弾薬は不要です。餓死という手がある。極端に聞えるかも知れませんが、食料の自給率は50%は大きく下回っている。

 そんな時代に舞い戻ってしまったようです。繰り返される歴史は茶番です。さてどうしよう。年よりは死んじまえ、障がい者は死んじまえ、「弱者」は死んじまえという言論に対して、「ちょっとお待ち」という意識を持たない限り、考え抜かない限り「弱肉強食」の世界が大きな口を開いているようだ。ヤバすぎる。

 話は変わる。沖縄島の4月19日は、2004年4月19日から20周年を迎えた。今の浜テントができたのが、20年前のことだ。基地建設の作業ヤードを造ろうと入ってきた那覇防衛施設局(当時)と作業員と対峙し、基地建設まかり成らんと人々は踏ん張った。私は2004年7月に初めて「辺野古テント村」に行ったのだった。しかしこの20年の風化は目を覆うばかりだ。沖合案から沿岸案に変わったから、意義づけは変わらざるを得なかった。だが、そのとき、充分な論議がされたのだろうか。そして2021年夏、私達はこの場を離れた。総じて何が足りなかったのだろうか?

 今ではご存じの通り、ゲート前と海上行動が2本柱だが、大浦湾側が始まってきた中で、これもまた変化していくだろう。総じて如何にしていくのか考え直さないとならないだろう。それもただ単に基地建設の可否を考えるのではなく、戦場にさせない、しない事をべースにしない限り、無意味となろう。4月19日を、ここを考え直す第一歩としていきたいと今私は、改めて考えている。

 私は生きる基軸をどこに据えていくのか、面倒だが、一本では無理なようだ。前者も後者も。後者についてはそれぞれの問いがあるはずだ。それぞれの拘りを明らかにして、繋げていこう。人は非力ではあっても、無力じゃない。繋がり方を考えたい。

 最後に私に強烈な示唆を与えてくださったEさん、Yさんに感謝します。ひとり一人は弱くても、至らなくても、繋がれれば、なんとかなるだろう。否、なんとかしていきたい。  

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。