ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

今朝は雨、悩むことを忘れたらアウトだな。(20220117)

2022年01月17日 | その日暮らし

 2022年1月17日(月)今朝は小雨が降っています。1月17日は、あの阪神・淡路大震災が起きた日です。あれから27年が経つのですね。5時過ぎのことでした。情報が入らず、現場の状況はなかなか分からなかった。当時の私(東京在住)はテレビもありましたが、詳細不明が続いたと記憶しています。

 昨日朝早く起きたら、トンガの火山が大爆発を起して、津波注意報・警報が出ているとか。驚きました。咄嗟に、自宅は30cm程度の津波では問題ないだろうが、大浦湾側のテントはどうだろうかと思いました。東海岸の大浦湾は、1960年のチリ地震による津波で被害が出ています。津波と言えば、あの東北大震災(2011年3月11日)の津波の映像や写真は、私の脳裏に脅威となって残っています。半年後に現場の一端に出かけ、爪痕をまざまざと現認してきました。何事もぼんやりとした認識では、ピリッと動けません。

 話は変わりますが、名護市長選が始まりました。政策がどうのの前に、市長とは何だろうかと思います。日本国憲法下で初めて地方自治法が成立しましたが、沖縄は1972年5月15日まで蚊帳の外に置かれてきました。あれから50年が経ちますが、今どうなのか? そういう難しい話の前に、市長たるもの市政の組織人(トップ)でもありますが、政治家としての能力が大きく問われます。

 政治家としての能力・勘は、当然本人の経験に多くを負っています。このとき、大きな分岐点は、一部の利権屋とつるむのか、市民に開かれた視点・接点を最大限確保していくのかの違いでしょう。沖縄の場合は、他県と違い、先に示した歴史が違います。また、「基地の島」を固定・強化したい、日本政府によって、様々な防衛(軍事)予算が配分されている(あるいは配分されない)ことが大きな足かせとなっています。ですから如何なる立場の市長でも、こうした仕組みを無視できないのです。

 話はガラッと変わりますが、人間には熱い寒いの感覚も人それぞれです。風邪を引かないためには、自分の能力を最大限発揮できるためには、この着脱を如何にスムースにやれるかは、思いのほか重要事です。ただ、これは個人の判断でできます。特別の指示系統の下に置かれていない限り、着脱は個人の自由なのです。

 他方で、私たちの生活は、様々なところで、他人の公式・非公式の協力・支えによってなりたっています。逆に、思わぬところから、他人から負荷をかけられたり、ヘイトなど妨害されることも多々あります。殺傷されることすら。

 社会人であり、政治家である市長は、こうした人間社会の機微に敏感であって欲しいと思います。まして様々な人間関係に取り囲まれるわけで、大変でしょう。しかし、組織人としての判断に際しても、個人としての判断を想起でき、フィードバックできる気遣いを求めたいところです。

 「温かい政治」なんて言ったって、中央政治が冷たいのですから、簡単にいかない。保育料を無償化し、給食費を無償化しても、家庭の負担を軽減できますが、軍事費の補助金を当てにしている以上、この国の軍事化に協力してしまうのです。逆らえません。

 考え始めたら、きりがありませんが、悩むことを忘れたら、アウトだと言うことでしょう。名護市民はこうして1998年選挙から悩まされてきたんですね。「日本人」の私も悩みを交錯させ、重ねてきたつもりですが、まだまだ理解できないことだらけです。

 



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