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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

【拡散宜しくお願いいたします】【訂正】「家に兵隊 日常変容」に息が止る(20240322)

2024年03月22日 | 沖縄暮らし

おはようございます。2024年3月22日(金)晴れ

 昨日午後、買い物に出て、名護湾に見慣れぬ船を認めたものの、肉眼では判別できなかった。夕方、カメラを持ってでるつもりだったが、忘れていた。失敗。私は、大型レンズをぶら下げて歩くのは、極力回避したい。目立ちすぎるから。

 今朝起きて、沖縄タイムスを見て、「家に兵隊 日常変容」に息が止りそうになった。よく読めば、1944年3月22日に大日本帝国軍隊第32軍が沖縄に駐屯してきたときの話しだった。当時を記憶されている方が、当時の事態を思い起こしながら語っているのだ。それを記者が記事にしている。

 前提なしに目に耳に飛び込んでくれば、私はいつ、どこのことだと思う。辺野古・大浦湾に新基地建設が進み、勝連分屯地に対艦ミサイル部隊が新編され、石川東山に陸上自衛隊演習場を造るという時代の中だ。2010年代から与那国島に、宮古島、奄美大島、石垣島に新たな自衛隊基地が建設されている昨今だ。「島嶼防衛」というが、そもそもこの国が採ってきたはずの「専守防衛」を引き剥がす一連の作戦なのだ。

 勝連にできてしまった第7対艦ミサイル連隊(本部)は、石垣島、宮古島、奄美大島の対艦ミサイル中隊を傘下に置く。この第7対艦ミサイル連隊は大分県湯布院に置かれる第2特科団の傘下に置かれるのだ。琉球弧から九州を経て、東京の市ヶ谷までが、米国のペンタゴンに接続され、その指揮下に組み込まれていくだろう。

 対艦ミサイルは、対空ミサイルと異なり、防衛的なものではない。攻撃のための配備であり、島々の間を縫うことになる海上戦となり、攻守戦だ。島々の住民はそこのけそこのけと九州へ追いやられ、沖縄島の住民は、「室内退避」だと。「国民保護」とは戦争が一番の連中が決めたことだ。そうした時代が舞い戻ってきてしまったのだ。

 78年前の沖縄戦を考えることは、沖縄的には、この78年を隔てて、今に通じてしまう。心臓に良くなさ過ぎる。しかし過去の歴史として学んでも意味はなくなり、今を如何に生きるかを考えるために学び直す時代に私達は追い込まれている。三上智恵さんが「戦雲」なるノンフィクション作品を制作したが、正にこの映画もそこを意識しているだろう(沖縄では3月23日~桜坂劇場で上映される)。

 東山(あがりやま)に自衛隊が新設しようとしている演習場も琉球諸島を戦場として戦うためのものだ。たかが20ヘクタール。東西に300m、南北に800mだが、住民にとって閑静な住宅街の隣に造るなどもってのほかだとして反対の声が広がってきた。当然のことだろう。「年齢が重なるごとに心身が衰えていくが、身体が衰えていく要因には精神的ストレスがある。訓練場の整備計画は、辛く苦しかった戦中、戦後の記憶を土足で踏みにじるような行為であり、精神的な苦痛だ。即刻断念すべきだ」(うるま市老人連合会石川支部代表河野修さん)。

 防衛省は、この地が便利だからと言っているが、何故ここだとは説明し切れていない。那覇基地から近いだろうが、他にもここだとする論拠があるはずだ。キャンプ・ハンセン演習場に近いとか、勝連分屯地に近い、中城湾港に近いなど。不都合なことを隠しながら、「彼らの軍の論理」が通じなければ強引にと言うのは、軍隊の常套手段であり、本質だ。

 新聞(3月21日)に、住民の話としてこうした意見が出ていた。「今でも爆音はうるさいし、新たにできてもたいしたことはないだろうから、反対しない」(要旨)と。だがしかし爆音がうるさいのは、主に米軍機の飛行騒音だ。その爆音は事故が起きない限り、住民に向かうことはないだろう(充分なストレスになっているだろうが)。陸自の部隊はここ沖縄島を含む琉球弧を戦場とする作戦の演習をするのだ。ウルサイか否かというレベルと混同してはならないのだ。

 絶対反対しなければ、沖縄の人々は再び禍根を残していく。私達やまとんちゅは、ここで何をするか、考え行動するか抜きに、沖縄で遊ぶとか、住むなどと考えることは、ならん。ぎり、ぎりっの状態に立ち至っているのだ。

 そもそも防衛省は沖縄に演習場は足りていないと、全国各地の実例と比較して述べている(2.11の沖縄防衛局の住民説明会資料)。そりゃそうだろう。考えてもみよ。北海道は47都道府県でダントツの広さを有し、沖縄県は47都道府県の内44番目だ。北海道をカバーしている北部方面隊に、3個の即応機動連隊、8個の普通科連隊、4個の戦車連隊等が駐屯している。連隊の総数は15個連隊。沖縄には1個普通科(歩兵)連隊を2個連隊にして第15旅団を第15師団にする計画がある。面積割りで考えても連隊数は15個連隊と2個連隊。割合はどっちが多い。北海道と沖縄の面積比は約3%だが、同部隊数比は13%にもなる。現行の1個連隊でも6.6%。もう充分すぎるほど陸上自衛隊は沖縄で幅をきかしているということだ。

 【補注と訂正:道と県の面積は国土地理院の統計から引用しましたが、この北海道には択捉島、国後島が含まれ、沖縄県には、尖閣諸島が含まれています。この「領土」なるもには、歴史的なロシアとの対立があります。またそもそも「北海道」を含むアイヌモシリはアイヌ民族の地でありました。この論点を熟慮せずに統計的に単純に計算してしまったことを全面的に撤回します。関係各位にお詫び申し上げます。また尖閣諸島は中国との対立があり、同様に撤回します。

 北海道の例を挙げたのは、ただ北海道に自衛隊が多く駐屯していた・いるのは、対ロ防衛部隊としてでした。1991年のソ連崩壊後、対ロから対中に米日の軍事的な関心が移り、2010年3月、沖縄に第15旅団ができたのです。しかし当時言われていたことは、沖縄県の土地面積が狭く、北海道の部隊を沖縄に移すことはできないとの政府・防衛庁・防衛省(2007年改編)の判断がありました。つまり政府防衛省も、沖縄県に部隊を大幅に増やすことに無理がある事を重々承知していたのです。それを無理に増設していくことは、住民との摩擦を起こすことは必至です。

 国の資料に基づく安直な引用、計算を遺憾とし、今後検討を深めて参ります。(ヤマヒデ)】

 

 こうした計算は単純すぎるが、ここで重要なことは、有事となれば琉球弧にやってくるのは、水陸機動団であり、各地にいる即応機動連隊だ。彼らが万単位で来れば住民の生活圏の中に踏み込んでくることは必至だ。これは物理的な話しばかりではない。軍隊の命令が住民を左右することになる。ここに沖縄戦から私達が学ぶ意味は、大きいのだ。

 私達は、沖縄の島々を戦場にするような政治を切り替えなければ、沖縄で生きていくことは不可能になってしまう。今や「保革の枠を超えて」は、そのとおりである。「私達が生きていくために」を「合い言葉」とした新たな政治を模索していきたいと私は考えている。



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