ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

旅を終え、オリンピックが間近に迫る中で(20210710)

2021年07月10日 | その他の論考

 2021年6月26日から7月4日までの四国巡りの記事を昨日までに全部書いた。今回は高知県立美術館に「視点」を見に行くことから始まった。そこに陸自第14旅団の観察を追加したため、オリエントシールドによって、バッド・タイミングになってしまった。また最終準備段階で追加した笠岡カブトガニ博物館もコロナ禍のためと、私が潮の状態を未確認だったため、行っただけで終ってしまった。

 梅雨時だから天気が悪いことは、百も承知だった。この点に関しては、撮影時は殆ど降られず、幸いだったのだ。しかし絵となると、雨に降られなくても、「もっと光を!」になった。そのうえ、体調不良で、心身の気合いをおさえたので、打破できる方法を自ら絶つしかなかった。そんな中でも、オレンジのユリの花の中に佇むアマガエルや、アジサイの花に隠し絵の如く佇むカマキリなど、偶然に助けられた。写真という結果が出てしまうものは、ごまかしがきかない。

 権力を牛耳る政治家は、全て誤魔化せるようだ。それはそれは気楽な稼業ときたものだ。「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とは、植木等の歌・映画(1962年だそうだ)にあったが、これが大逆転しているのだ。中央集権が進み、独裁となり、議会制民主主義が踏み倒されているのに、大多数の人々に気づかれていないからだ。「権力者は気楽な稼業ときたもんだ」。

 戦後、日本の軍隊は解体されたかに見えたが、自衛隊に変身し、今、殺戮能力の獲得に余念がないのだ。ただし長年、「専守防衛」できたから、外征軍の能力をまだ半分しかもちえていない。軍隊は、兵員ばかりか、武器弾薬、その他生活物資がなければ、機能しない。これらをどうやって運ぶかが、問題となる。現代戦は、ハイテク戦だ。こうしたことが丸亀港で、ほのみえてきたのだった。

 そう考えれば、色々と課題を自覚させられた今回だった。失敗を活かしていくのが、民衆の諦めない心だ。「勝つ方法はあきらめないこと」。しかし呪文を唱えているだけでは勝てっこない。奴らが賭に出てきているならばなおさらだ。

 オリンピックがどうなるのか、最後の最後まで気が抜けない。テレビはもうオリンピック報道ばかりになっていたが、ほぼ無観客となり、東京都は連携観戦を中止に追い込まれた。奴らがあてこんでいた儲けが大幅にダウンしていけば、奴らのやる気は急速に萎む。何が「世界平和のためのオリンピック」だ。聞いて呆れかえる。バッハIOC会長が広島に行くそうだ。オリンピックが平和の祭典だからだと。原爆で殺された人達は、泣いているに違いない。ヒバクシャは泣いているだろう。世界平和の対極にふんぞりかえりながら、ヒロシマやナガサキを語るな。語らせてはならない。

 このオリンピックで頑張る選手は、ナショナリズムにひれ伏し、独裁に仕えるアスリートだといえるだろう。オリンピックの本質を覆い隠す「感動」を私は許さない。

 ちょっぴり、沖縄モードが戻ってきたようだ。



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