タケ・タケ・エヴリバディ!

当ブログは「竹と生きる・竹を生かす」をメインテーマに、管理人の田舎暮らしの様子をお届けします。

大関松三郎

2022年06月04日 | 読みました!見ました!

今からもう半世紀以上も前の話になります。小学校5年生の頃に担任の先生(男性)が大関松三郎の詩をボクらに読み聞かせてくれました。その先生はちょっと変わった先生で、社会科の時間に「インパール作戦」について何時間も話をしたり、国語の時間に若山牧水の短歌をボクらにたくさん暗誦させたり、今なら「学習指導要領から逸脱しているのでは?」なんていうクレームが、保護者から来そうな授業を行う先生でした。もちろん当時そんなことはありませんでしたけどね。

その時に先生が紹介してくれた大関松三郎と彼が書いた詩「山芋」のことを、何でボクが半世紀以上経った今でも記憶しているかというと、その詩がとてもボクの心に響いたということもありますが、作者である大関松三郎がその詩を書いたのは、ボクらと同じ小学生の時だということを先生に聞いて、単純に「すごいなぁ…」と思ったからです。しかも、ボクらと同じ長岡市の小学生だと知って、親近感や多少のライバル心をもったのかもしれません。

ですが、その後の半世紀のボクの人生の中で、大関松三郎という名が登場したのはおそらくなかったのではないかと思います。つい先日の新潟日報のこの記事を読むまでは。

新潟日報の長岡版のページに掲載されていたこの記事は、長岡市在住の元教師の菊池さんが、大関松三郎についての小説を自費出版したという内容でした。戦後まもなく大関松三郎が詩集「山芋」を発表されるに至ったのは、「生活綴り方教育」に取り組んだ松三郎の恩師・寒川道夫(さがわみちお)の存在があったことも、記事から知りました。

実は記事になった菊池さんとボクには共通の知人がおり、記事に書かれた菊池さんの著書「詩はよみがえる~松三郎とさがわ先生~」を借りて読むことができました。

はい。これがその本です。文字も大きく、とても読みやすい小説でした。少年・松三郎と青年教師・さがわ先生のさまざまなエピソードを通して、太平洋戦争の戦時下における庶民の生活、生活への不安、教育に対する弾圧などが描かれており、とても素人が(菊池さんは元小学校の校長先生です)書いたものとは思えない内容でした。おもしろかったです。

長岡市に生まれ二十歳前に戦争で尊い命をなくした少年詩人、大関松三郎の存在を記録として後世に残すという意味でも、大きな意味と価値のある書籍だと思いました。

最後にボクが小学生時代に出会った、松三郎の詩「山芋」を紹介したいと思います。この詩は本には掲載されていなくて、ネットで検索して見つけました。

しんくしてほった土の底から
大きな山芋をほじくりだす
でてくる でてくる
でっこい山芋
でこでこと太った指のあいだに
しっかりと 土をにぎって
どっしりと 重たい山芋
おお こうやって もってみると
どれもこれも みんな百姓の手だ
土だらけで まっくろけ
ふしくれだって ひげもくじゃ
ぶきようでも ちからのいっぱいこもった手
これは まちがいない百姓の手だ
つぁつぁの手 そっくりの山芋だ
おれの手も こんなになるのかなあ
 
コメント
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