これまで「毎月朔日(1日)は奉務の日」と自らに定めたり、非公式ながら旧暦で例祭を執り行ったりと心に浮かんだ大事なことをなるべく大切に取り組むように心掛けてきました。
しかし、本当のことをいうと神社の神主にとって本当に大事なことは日々の小さなお祭り、日供物祭にあるのだと常々思っていました。
正直に告白すると日供祭に真剣に取り組むようになったのは「コロナ禍」という言葉が聞こえ始めた頃から。
それまで自分の都合優先でなあなあだった日供祭を「コレじゃダメだ」と思い、改めて(厳密にはまだまだですが)、日供祭詞のほかコロナ禍早期終息祈願、昨今の気候変動に鑑みて風水害除祈願、またこれらに伴い所謂「一切衆生」の心身の安寧を祈念する為、六根清浄太祓を奏上するなどしてきました。
今、僕自身は精神的に(世の中はいろいろあるけれど)そこそこ安定していると感じるのはこうしたルーティンによるのかなあと思うところもあるし、変な話し、このような世情にあって神社のお参りも微増している実感があります。「神は人の敬うに依りて威を増し、人は神の徳に依りて運を添う(御成敗式目)」。言い古された言葉ではありますが、これは真理なのだなあ、と。
日々の「思い付き」、ばかにできないのかもしれません。
そこに至るまでの日々の小さな気づきの積み重ねに今後さらに注視していきたいと思います。