沖縄へ行こう!

家族4人で沖縄へ行こう!

大阪に帰ってきました④ 1年待ってた日

2008年08月30日 15時48分44秒 | Weblog
「今日は、何しにきたん?あんたはもう東京いったんやから、いちいちあいさつとかいいねん。
距離を置こうとおもってたんや」

という一撃をいただいたことがある。
去年の夏の話だ。

私にとっては、大恩師。ひと言お礼が言いたかったのと、ある報告があってきちんとアポを取った上で尋ねたが、その人にとってはとても大事な時期だったので、
忙しいのに時間を盗んだと言われた。申し訳ないことをした。確かに今まで、おんぶにだっこ状態で、甘えすぎていたのかもしれない。もう自立しなければいけなかった。

しかしそれ以上に、私には、大阪にいる人にとっては私はそういう存在だ。ということに気づいた。もう東京に行ってしまった人。

だから大阪の人を頼ってはいけない。

私は強い人間ではないので、頼れる人がいないと、やっぱりさみしくもあり、心細くもあり、自分の考えていることをどう思うか、率直に言ってくれる人がいてほしいと思っている。

その思いとの葛藤の一年でもあった。

大阪は、私の大事な土地だ。故郷と言いたくはない、今でもきちんとつながっている土地だと思いたい。

今日は、東京に来るまで4年間、教師のたまごだった時代、ほんとにお世話になった学校の先生たちと会うことになっている。

でもやっぱり、行事の打ち上げなのに、関係のない私がおじゃまさせてもらってるので、申し訳なくもあった。

でもでも、大阪弁のシャワーの中でしゃべること、つっこんでもらえること、
私という変わり者をよく理解してくれる人たちと楽しくしゃべることの
幸せ!!!

けど、わかっていた。自分の本音をちょっとでも口にしたら、ゼッタイ大泣きしてしまうこと。

そしてそういう機会がやっぱりあって、うぉーとトイレで泣いてしまった。
けどそれでよかった。私は、自分の感情を発散することが大事だったから、わりとそのあとけろっと収まった。(迷惑な話やけど)

私なりに、今自分の考えている、これまで考えてきた、大事な話を、かの有名なB氏に聞いていただきたかったけど、飲み会の席では席が遠く、その後も、あっけなく御堂筋線改札の向こうに消えてしまわれたので、やまんだが叫んでくれたけど、待ちに待っていたこの1日は、終わってしまった。

がくっ。

B氏は、私が初めて6年生を担任したときに、一緒に組んでくださった大師匠だが、
この人がいなければ今の私はない。

今までなんども壁にぶちあたったとき、B氏はこういってた、B氏ならこうするはず、と思いだし、旦那が壁にぶち当たっているときも、B氏はこういってたと伝授することすらあった。

仕事に関することのみならず、人生についても、色いろと教えていただいた。
この人の前では、私は素でしかいられないのだ。

私が今、考えているあること。私の人生においてとても重要なこと。
もしかしたらそれは、今まで支えてくれた人たちを裏切ることになるかもしれないこと。それでもやりたいこと。

メールで伝えた。

その返事は、翌日タカラヅカを見にいったとき、幕間の休憩のときに返ってきた。

内容をここに書くとゼッタイ怒られると思うので、自分の胸だけにしまっておくが、この一年分の色んな不安や心細さを、すべてぬぐい去ってくれたぐらい、
うれしいメールだった。

「これからも色々と連絡を。」

はい、そうさせていただきますので!!!!!

そして、ちょうど同じ頃、「心配しててん。」とメールをくださったE氏。
ほんと、全部どどどーーとしゃべってしまいたい気分になったけど、
今日もらったパワーを絶やさず、次会える日まで私はがんばります!!

大阪へ行ってきました③日本をかえよう。

2008年08月30日 14時50分05秒 | Weblog
私が、教師として採用される前に、3つの小学校で講師として働いていたことがある。

大阪と言えば通天閣。そのふもとにある小学校の先生たちに会うことになっている。

どちらの学校も、超・ハイレベル。

勉強というわけではない。

先生たちの、意識だ。

3人で会うことになったけど、このメンバーは、若かりし頃、高学年で一緒だった人たちだ。


私は、東京で、自分の居場所を見つけられずにいる。

東京の学校の慣習に、未だ慣れきれずにもいる。

そういう悶々とした思いを、「聞いて欲しい」という私のわがままはおおいにあった。

1こ、ぽろっとこぼした言葉を、10にして聞いてくれるのがこの人たちだと思う。その言葉の背景をきちんと読み取ってくれるというか。

例えば、ちっちゃい例だけど、東京の学校では、勤務時間内は、学校敷地内から外へ出てはいけないし、パンとかを食ってもいけないらしい。(最近気づいた)

大阪時代は、子どもを帰したら、やまんだ先生とかとローソン行って肉まん買ったり、タイガース帽をかぶったおっちゃんのところにたこ焼きを買いに行ったりしてた。のどが渇けば、学校の前にある自販機でジュースも買ってた。それで保護者に会っても、クレームが来たこともない。

「あんたら、またローソン行ってきたな。」と言われるが、それを起爆剤に遅くまでがんばるんじゃないか。

私のこの意見に対して、色んな見方があると思う。実際にそういう会社だってあるだろうし。

そんな話をしていたら、
「教師だって、人間やん。のどぐらい乾くし、腹もへるやん」
で、終わった。笑ってしまった。

そうそう。そうやねん。

大阪のどこの学校でも私は勤務時間内にぼりぼりおかしを食べていた。
だけどそういうので疲れをとりバランスをとり、お菓子を食いながら色んな先生と情報交換もし、切り替えて、その後、全力で子どものためにやっていた。
それでいいやん、と私は思う。

何もせずに、ずっとしゃべってる。何もせずに、ずっとお菓子をくってる。

そんな人いないよ。

お菓子のことは一例として。
みんな自分の頭で考えてやってたよ。それをきまりで縛られることが、たまらなく疎ましかった。すごく低いレベルでしばられているようで。

すべてにおいて。

結局、個人の意識じゃないのか?

とういうようなことを、悶々と思いながらも口に出せなかったことが
「受け入れてもらった」ことで、ストレスがしゅううっと減っていった気がする。
これでまた、きまり社会の中でも、がんばれる。

大丈夫、まちがってない。

けど、人のせい、こっちの環境のせいにばかりしている弱い私がいることも、事実。

「ヒクツになるな」

と言われた。

そう、ヒクツになってはいけない。見るべき方向は、前だけ。

そしてこの人たちは、学校を動かしていく立場にある人たちだ。

こうしていこう、こう変えていこう。
そんなことではいけない。

なんどもそういうことばを聞いた気がする。

そして最後の強烈なシメ。

「俺らがやっていこう。俺らは大阪を変えていく。そっちは、東京を変えていく。
それで、指導要領が変わる10年後には、日本かわってるって。」

「そやけど、やることは、目の前の小さい一個一個やで。」

理想はでかく。けど、やることはすごく地味で小さいことだ。それを積み重ねていくことだ。

この意識の高さ。この人たちこそが、私の大阪の誇り。

しゃべってて、めちゃめちゃ楽しかった。

大阪に帰ってきました②

2008年08月30日 14時00分27秒 | Weblog
8/11。

私は、おばあちゃんッコです。

茨木市の山の上のほうにおばあちゃん、つまり母の実家があるのですが、

半分はそっちで自然に囲まれて過ごしたような子ども時代。(ほんとは短い期間なんだけど、印象が強い)

いつでもいけると思っていたおばあちゃんのうちへも、

「誰かが来るとなるとおばあちゃんが気を使うので、いっちゃいけない」と言われた。

だけど、私はどうしてもおばあちゃんに会いたい!

だから勝手に行くことにした。

京都行きの電車に乗り、茨木で降りる。ここからバスで30~40分。
バスの乗客は、どことなく、田舎の畑を思い出す感じ。

途中、川に魚が泳いでいるのが見えた。キレイ!!

一人で大興奮。

バス停で降りて、まちきれずに走っておばあちゃんの家へ。

い・・いない・・・。

なんとさっき私のいた茨木へ出かけている。とお嫁さんがおっしゃるので、

お嫁さんには気を使わねばと思い、先に、おじいちゃんのお墓参りをすることにする。

売店でおせんべいと、お茶を買い、お供えにする。

アイスも買って、途中の公民館の前に一人座り、食べる。

日差しが明るい。

でも、日陰のここは、気持いい風。

セミが鳴いてる。

気持ちよくて、景色眺めて写メとったりとかして。

はっ。

これなんかに似てる、と思ったら、

沖縄に一人旅してる感じだった。

ああたのしーー・・。

満喫したので墓に行く。誰もいないので一心不乱に墓を磨き続ける。
線香もろうそくも忘れたけど、おちゃとせんべいを置いて、拝む。

おじいちゃん。来たよ。東京でがんばるね。

おばあちゃんが帰ってくるというバスの時刻になり、迎えに行く。

おばあちゃんが、おばあちゃん仲間と共に歩いてきた。

おーーーい。手を振ると怪訝な顔をしている。

「えりちゃん!」びっくりしてる。

ふふ、成功。

それからは、おばあちゃんと台所でおしゃべり。

夕方に、近くのレストランにごはんを食べにいったり。

楽しかった。親戚一同で集まるとこうはいかないので。

ひさしぶりにおばあちゃん独占だ。

またまた豪雨で、雷の中、帰る。

すごいいい一日だった。


大阪に帰ってきました① 充電させていただきます

2008年08月30日 13時38分20秒 | Weblog
ホームシックに悩まされた半年だった。

大阪に帰りたい。

ケンミンショーじゃ物足りない。

8/10、ようやくの帰省。

羽田行きのリムジンバスに乗り、空港へ。

最近は、チェックインも楽になった。

携帯にダウンロードした二次元バーコードのみで、直接保安検査場まで行けばいい。

ぴっ。

便利な世の中だ。

今回好評だったおみやげは、メイプルフロマージュ。ふわふわのスフレのような生地にほんのりメイプルの甘さ。空港で2つ購入。

こうして、懐かしい人の顔を思い浮かべながら、家にたどり着くまでにあれよあれよという間に、両手がおみやげでいっぱいになってゆく。

今日は、幼なじみのNちゃんに会う。

幼稚園が同じだったが、あちこちに引っ越し、最近また此花に戻ってきたということで、彼女のおうちに遊びに行く。

自分よりも、人のために苦労をおしまない彼女。

どんなに深刻なことをしゃべっていてもいつもどこかふざけている印象のある彼女が、
今回がくっと元気をなくしているのを見て、なんとかしてあげたいと思った。

今まで彼女が人を思いやってきたパワーが、幸運になって彼女のもとに戻ってほしいと思った。

今度は、元気な彼女に会えますように。


家に帰る頃、豪雨が。かさがない。

シャワーか??

お母さんが迎えに来てくれた。

今回の滞在は5日間。思い切り充電させていただきます。

バイタリティ

2008年08月30日 13時24分36秒 | Weblog
土曜日ですね。

ようやく家事が一段落。

そういやさっき、陣内智則が、藤原紀香夫人の、妻としての完璧っぷりを話していた。

家事はすべて完璧にこなし、夫が遊びに行く時にまで、着がえやくつした、お清めの塩にいたるまで準備をし、
夫、陣内の仕事は猫のうんこを取ることのみだとか。

すげえ。

「結婚しても、家事はこれまでどおり、やりません。でもお料理だけは、芸術なのでやります」とウェデングドレスで公言した神田うのを思い出した。

自分の内面に対しての意識の違いを感じた。

やっぱり藤原紀香、なんか好きです。



さてさて、

大阪・沖縄から帰ってすぐに仕事が始まり、ようやくひと息つけた土曜日。

今週の私のテーマは、「バイタリティ」

辞書で調べると、活力・生命力、生活力をさす。

今回も沖縄で出会った、バイタリティにあふれる人。

人生は短いのに。私には夢があるのに。

疲れてなんかいていいのか??(そもそもそんな疲れるようなことしてないのに)

この一週間、それを自分に言い聞かせている。

これが私の旅の醍醐味。すばらしい人に会う。自分に反映させる。自分の人生をよくしていく。

今年も旅日記を書きたいと思います。