沖縄へ行こう!

家族4人で沖縄へ行こう!

ギャバン、誕生です。

2011年05月29日 20時16分20秒 | Weblog
お産の日、Yさんがいてくれてよかったな~。

まず、Yさんが陣痛をつれてきた。

何日も不規則な痛みと、出血が続いていて、Yさん到着後、本格的な陣痛が始まった。

偶然か、必然だったのか、家族全員が揃った日だったので車で送ってもらえ、

病院へ。

きっちり10分おきにやってくる陣痛に1分間だけ耐えて。

大丈夫、まだ大丈夫。

子宮はすでに4センチほど開いていて、

明るくなるころには産まれるかも?ということだった。

この時は、長丁場のお産、と思っていた。

LDR室は、ホテルのよう。Yさんが、荷物などを整理し、身の回りのせわをやってくれた。

病院到着9時、12時頃まで、じょじょに強くなる陣痛を受け入れる。まだ、大丈夫。余裕ある。

日付が変わって、陣痛がだんだん、痛くなってきた。

でもでも。

「鼻からスイカ」は嘘。

鼻からスイカ出す方が絶対痛いって。

下半身にエンジンついて飛んでいきそう?

それもそんなことない。

おなかにつけられた分娩監視装置で、どれくらいの陣痛が来ているか、グラフでわかるようになっている。

助産師さんが、「これ以上は痛くならないから」と教えてくれる。

「赤ちゃんは、ママがしんどいのわかってるから、きつい陣痛のあとには緩いのがくるから。そのときにしっかり呼吸しよう」

足や腰をさすりながらいってくださった。

内診で、「ん?」予想以上に子宮が開いていることがわかって、

先生が来て、

ベッドが分娩台に変わり、

助産師さんが手術着みたいなのにはやきがえ。


私が予習したのは、

陣痛を進めるためにスクワットやバランスボールなどがきく、

赤ちゃんが降りてくるといきみたくなるので、

そのいきみを逃すのが大変。と。

「いきまないの??」といわれ驚く。もうその段階??????

いきんでみますーーー!!!!

さすがにこの頃になると、陣痛はたえまなくやってくる。さすがにしんどい。

でもまだ大丈夫、大丈夫、私、まだいける、まだいける、赤ちゃんかってがんばってる、

そう言い聞かす。

でもときどき、もう、あかんかも・・・・気持ちが折れそうになる。

Yさんが横で手をにぎっててくれる。

助産師さんがいったことをもう一度静かにくりかえしてくれる。

汗を拭いたり飲み物をくれたり。Yさんがおらんかったら、きっとあんなにはがんばれんかった。

しゅるりん。

赤ちゃんがみえた。

おぎゃああーーーーー

「男の子ですーー」

顔の横に持ってきてくれた。

すぐにカンガルーケア。胸の上に置いてくれる。

状況が把握できない私。

後でビデオを見てみても、一番きょとんとしてるのは私。

涙が出るとか、感動とか、そういうのではなく、

胸の上に置かれてるのが、自分の赤ちゃんだということを認識するのに精一杯だった私。

そういう抜け殻状態の私をねぎらってくれたYさん。

二人でがんばった。

いつの間にか先生や助産師さんはいなくなっていて、いつの間にか家族が到着していた。

あの時のこと思い出すと、断片的にしか記憶がないのだけど、

すごく神秘的だったな、と思う。

不思議なことがいっぱい起こったんだな・・と。

出産に対してネガティブなイメージを持ってる人は多いと思う。私もそうだったから。

でも、それはやっぱり情報の一人歩きという印象だった。もっと、もっといいものだった。

私の印象は、出産はとても楽しかった。

お母さん達は、立ち会えなくて何度も豊中市内から大阪市内にかえされて、

新御堂からみた朝焼けを、一生忘れられないと言っていた。とても天気のいい、気持ちのいい日だった。

そういう朝に産まれたギャバン。

みんなに祝福されて、みんなメロメロにしたギャバン。

みんなが笑っていて、とても幸せそうに見えた。

5月15日日曜、午前2時半、3177g、ギャバン、この世に誕生です。