特に長年の計画があったわけでもなく、
気づいたら家を建てることになっていた我が家・・
ものが多く、今の家にとても入りきらなくなってきて
押し入れを開ければものがなだれでてくる状況になり
賃貸なのでときどきハウスメーカーから電話がかかってきたり
住宅展示場にいったりしていたのはあった。
大きく動いたのは一条工務店の営業さんが家に来てくれたことだった。
最新の家づくりについての説明がとてもわかりやすくて
私でも、最後まで話についていけたし、営業さんのお人柄が、とてもよかった。
寒がりな私にとって、全館床暖房はとても魅力的だったし、
冬場になると冬眠することしか考えられず、
行動力もやる気もなにもかもなくなる私の
「人生変わるかも!」
と、
初めて家づくりへの夢ができたのです。毎日、カタログを眺めては、
あったかいであろうマイホームを想像しては、夢をふくらませていた。
この頃肺炎で入院もしていて、病床に、一条工務店の本を持ち込んで
毎日見てたっけ・・
ネックだったのはYさん。どうしても首を縦に振ってくれない。
営業さんに「うちの主人説得してください。」と裏工作するも、なかなか折れない。
ギャバンも巻き込んだ。「ギャバン、どこで建てたい?」「一条工務店!」
それでもYは折れません。
入居宅訪問にもたくさん行かせてもらいました。
お庭に芝生をはると素敵だとか、収納上手なお宅とかだと、
ほんとにいろいろ勉強になったのでした。
けど、性能はピカイチなんだけど、
ただ、外観内観の好みが、自分とはちょっと違うのかもということに気付いてしまった。
本当に、好みの問題だった。
高い買い物なので、やっぱり見た目も、大事だった。
そして、同時進行で、あちこちのハウスメーカーや、モデルハウス、完成見学会などにも行った。
寒い寒い時期。
その中でエーティーエム建設という会社に出会う。
社長さんのセミナーに行ったのだった。
すっごい、勉強になった。よくわかった。自然の力を取り込むことや
日本には大きな地震の頻度がどれくらいあって、丈夫な家というのはどういうことなのか?
将来にわたって、価値のある、見通しのもてる家ってなんなのか。こちらもまた、外観の好みが合わなかったので
ここで建てることにはならなかったけど、本社の前をとおるといつも、ありがとう、と思ってます。
一条さんと、エーティーエムさんの存在なしに、今のゴールはなかったかも。とても大きい存在だった。
で、なんでダイワハウスになったかというと 住宅展示場にいったとき
ほんっとに意見が合わないYさんと
初めて ここ、かっこいいね、となったこと。
億を超えるモデルルームでかっこいいってなっても、
実際たてれへんやん、と思ったけど
実際住むこと前提のおうちを見に行っても、
ドストライクだったのでした。
かっちょいい。
一条さんもエーティーエムさんもわりと女性的だったのに対して
男前な感じ。自分はそういうのが好きなんだということもわかりました。
セキスイハウスの営業さんに
ピンとくるものがあったらスクラップして貼っておくと好みが見えてくる、と教えてもらって
それを続けていたけど
自分の好みが、自分でもわかってくるようになりました。
いろんな人にいろんなことを教えてもらってきたんやね。
決め手となったのは、入居宅訪問。
「インテリアのお仕事かなんか、されてるんですか?」と聞いたほど、モデルルームみたいなおうち。
家具とかめちゃめちゃかっこよかったけど、
おうち自体にオプションはついてない標準装備だという。
ここでYさんとぴたっと意見が合って、ダイワハウスに通う日々が始まったのでした。
ギャバンは今でも、一条工務店、て言うけど。