昨日、やっとおばあちゃんに会うことができました。いったい何年何か月ぶり。
シャリバンを産んで、吹田の病院まで通っていた頃にはちょいちょ会いに行ってたので(病院から目と鼻の先 薬の待ち時間なんかに)
まだまだ元気だし、これからも簡単に会えるものだと思っていたよね。
私がガタっと体調を崩して入院したのと、コロナの第1波が同じ時期。2020年の1月か。
そこから、面会が一切できなくなり、もう2年がたっておばあちゃんも、96歳に。
けど久しぶりに会えたおばあちゃんは、ただ単に老衰したっていうのとは違う姿になっていた。
脳梗塞を乗り越え、誤嚥性肺炎を乗り越え、腎臓の感染症も乗り越え、そして、それまでいたホームで、高齢者施設のコロナ禍という、
すさまじかったんだろうなと思わせる生活ぶりが見て取れた。
きっと誰のせいでもない、こうするしかなかった、コロナ禍。
それであらゆる機能がガタ落ちしたのは一目瞭然。
余命1か月と言われて、そこを過ぎた。
それも、今の病院に転院できて、
「95歳なんか若いですよ、ここでは」
といってもらえて、積極的にリハビリをしてもらえることに。
ただ死ぬのを待つところにいるのと、生きるためにがんばれるところにいるのとは、天と地との差がある。
孫の私はそう感じました。
で、やっと病室について、エプロンと手袋をして、待ちきれずに、おばーーちゃーーーーん、おばあちゃーーーーーん、私私、きたでーーーー!!と
カーテン越しに声をかけていると、カチカチ言わせてた口をとめて、ん?という表情。
コミュニケーションはほぼとれないと聞いてたけど、
「おばあちゃん、やっと会えたなあ。」うん
「元気になってよかったなあ。」うん
「ようがんばったなあ」うん
「この病院やったら大丈夫やで」うん
「おばあちゃん、肌きれいやん」うん
「つるつるしてる」うん
「おばあちゃんスイカ、食べさしてくれたなあ」うん
「とうもろこも焼いてくれたなあ」うん
「あと白菜、ネギ、インゲンとか、クリも送ってくれたなあ」うん
「この手にぎりしめてるとこにタオルはさんどいててお母さんに頼まれてんけど。」いや
面会時間の30分間、こんな感じで話しかけ続け、最後の方はもう、返事し疲れた様子
「また来るで。ほなね。(じゃあね)」と言えて帰れたことが、よかった。
驚いたのは、眼力の強さだ。
おばあちゃんは本当に、強い。
生命力、すごい。
どうやったらおばあちゃんみたいになれるのか、とふと考えた時、
欲を持たず、いつもきれいにそうじをして、家族のためにもくもくと家事をして、自分はいらん、あなたどうぞ、
よく笑って、友達が多くて、人に迷惑をかけず、時間にはいつも余裕をもち、
自分の畑でとれた野菜をたっくさん食べ、おいしいものが好きで
ニコニコと笑っている。
どこかで聞いたようなフレーズになってしまったけど、
それこそ「置かれた場所で、やるべきことを淡々とできることの尊さ」「人生を大いに楽しむ」を教えてくれているように思った。
もっともっと昔、私が子どものとき、戦時中のことを聞いても「え?」「特には・・」みたいな反応やし、
あの野菜、どうやったらおいしくできるの?と聞いても「別に・・」みたいな感じやし
とうもろこしの焼き方をきいても、
「焼くの?網で?」うん
「で、しょうゆ塗りながらとか?」うん
教えるでもなく、ただただ、私がおばあちゃんにひきつけられるように見てたんだなあ・・と思う。
それで学んだことが多い。
ただただ、今日も目覚めたから生きる。できることをやる。
そのシンプルなことが、今、とても大事なのかな、と思ったのでした。
もうすでにごちゃごちゃ考えてるしな。