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スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

三浦・城ケ島

2015-10-08 | 横須賀・三浦


京急線の終点「三崎口」駅から、三崎方面へ行くバス数台に
次々と追い越されながら、テクテク歩いて きっかり1時間。




島の入口「城ケ島大橋」を渡ります。
橋の上から、まだ雪のない富士山を見ながら☆


以前にも 城ケ島をご紹介したことはありましたね。
http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/ffeb001af62534834f055f7746768b97
http://blog.goo.ne.jp/yemaozi-86/e/effeb5c109d0e400d9ebf25920689165

で、今回は 島の西側へ向かって歩いてみました。




海岸通りから道を1本入ると、時間がゆったりと
流れているような雰囲気の 静かな家並み。




と、右手に 木造平屋建ての白い建物がありました。

旧三崎小学校 城ケ島分校
(旧三崎尋常小学校 城ケ島分教場)

1931(昭和6)年 建造  市指定重要文化財
 教室(左側)と教師住宅(右側)の2棟が 鉤型に配置されています。
1971(昭和45)年 三崎小学校本校に統合されて廃校になりました。
現在は、県指定有形民俗文化財になっている漁撈用具471件を
保管・展示する「海の資料館」になっています。 (見学無料)

中に入ってみました。



当時の教室が残されています。


足踏オルガン                      木製学習机
          
木が多用されているせいでしょうか、何か温かみのある教室☆


隣の教室には、城ケ島漁撈用具コレクションの展示。


島の伝統漁法は、海士(男)による夏の「裸潜水漁」、冬の「覗突(みつき)漁」、
また小規模の「網漁(磯立漁・七目漁)」などで、アワビ・サザエ・イセエビ・
タコ・ヒラメ・カレイ・ナマコなどを 主に獲っていたそうです。

そうした漁に使う様々な用具が、なかなか興味深かったです!

覗突漁 鑑札

三浦郡役所が1909(明治42)年に発行した木札。

四本銛(モリ)

魚を突く漁具は、魚の大きさにより使い分けます。

突ん棒の銛


木製の箱めがね

三崎・城ケ島では桶屋が作ったので、丸型のものが多かったそうです。
板ガラスが使われるようになる1887(明治20)年以前は 箱めがねは
無く、海面に魚油や菜種油を垂らして海中・海底の様子をうかがったとか。

水中めがね

潜水漁に使われました。 気圧を調整するため、両端にゴム製の
空気袋が付いています。 昔は牛の胃袋が使われたそうです。

舫ちょう船
(「ちょう」=「舟」へんに「丁」の字)

6.45m ×1.99m
覗突漁・エビ網漁・裸潜水漁などで用いられた木製の手漕ぎ船。
「舫ちょう」は、小船に乗って箱めがねで海中を覗き行う漁のこと。



分校跡の向かい側に、石の鳥居と階段。


城ケ島 海南神社

元亀年間(19701972)頃 島民は「三崎海南神社」に参詣していましたが
海が荒れ渡航が困難なこともあるため、分霊を勧請し村社としたものとか。
祭神: 藤原資盈(すけみつ)公

境内からは、海を隔てて 三崎港が一望です。



西に向かって、もう少し先まで行ってみましょう☆

(続)




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