幕末期、ペリーの黒船来航以前にも 日本沿岸にはたびたび
異国の船舶が現われ、国内に緊張が高まっていました。
R134沿いにある「市立大津中学校」(陣屋跡)の
正門内に立っている説明板によると;
1842(天保13)年 幕府は江戸湾沿岸の警護を大名による守備で
固め、幕命を受けた川越藩主 松平大和守斉典(なりつね)によって
翌1843(天保14)年 「大津陣屋」が建設されました。
松平大和守斉典公像
(前橋・孝顕寺 所蔵)
(説明板より)
校門内に、石橋が保存されています。
旧陣屋内に掛けられていたもので、1978(昭和53)年にこの場所に
移設されました。「大津陣屋」を物語る遺構として唯一現存するものとか。
市内「大津コミュニティセンター」には、在りし日の「大津陣屋」の
大変精巧に復元された200分の1模型が展示されてあります。
「江戸湾海防本陣 大津御陣屋」 製作・山田 勉氏
説明によると;
陣屋の面積は当初は約9,800坪(約3.2ha)、嘉永年間(1848~54)に増築され10,510坪(約3.5ha)。
周辺道路は、東表御門前が幅18m、南・西・北側は幅2.7m。「東表御門」は櫓づくりで太鼓櫓を
設置。東南角に「御蔵門」・南に「裏御門」・北北東に「御作事御門」・西に「無常(不浄)門」など
外門は計9ヶ所。 陣屋内には御殿・稽古場・事務所・馬場・長屋20棟などが建ち並んでいました。
さらに1854(嘉永7)年に 幅2.7mの堀を造り、石垣・土塁・柵で高さ2.7mの防御壁を築きました。
1868(明治元)年 新政府により取り壊されるまでの26年間、川越藩・熊本藩・佐倉藩が
警護任務に当たり(最後は浦賀奉行所の管轄)、多い時は1,500人が詰めていたそうです。
陣屋跡近くのお寺に、任期中に亡くなった川越藩士のお墓が残されています。
「嶂谷山信誠(しんじょう)寺」
山門脇の 右から6基の墓石。
信誠寺の過去帳に記載があるとのこと。
その近くの路地にもありました。
左:「川越藩中 田中嘉兵衛建之」 右:「川越藩 内海金造以義建之」とあります。
このほか、市内走水の「大泉寺」・「円照寺」にもあるということです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます