頂いたウォーキング・マップを手に、周辺を歩いてみました。
道端や土手には、花がいっぱい!
畑の中の道を歩いて行くと、四つ辻にポツンと一軒家。
「さくら広場」
戦後間もなく建てられ、2005(平成17)年まで駄菓子屋として
親しまれていた建物です。むき出しの梁や黒光りする柱など
昭和の匂いが漂い、映画「三文役者」(新藤兼人監督・竹中
直人主演)の舞台に使われました。現在は、ウォーキングする
人のための休憩所、地域の憩いの場として使われています。
(ウォーキング・マップ記載の説明より)
映画の撮影スナップやサイン色紙などが展示されてありました。
建物前の道を進んでいくと、道の傍らに「村社宗像神社」の石碑。
そして、その少し先に石の鳥居が見えてきました。
「宗像神社」
948(天暦2)年 筑前の宗像神社を勧請し、創建されたと伝わります。
ご祭神は、田心(たごり)姫命・市杵島(いちきしま)姫命・湍津(たぎつ)姫命。
国家鎮護・道中安全・海上交通・漁業守護の神。
平安前期の歌人 大江千里が、この辺りから印旛沼を望み作歌したとか。
小顔でロン毛の狛犬さん(明治44年作)
そろそろ帰る時間が迫ってきました。 Uターンして駅へ
向かう途中、深い山林に包まれている集落を通ります。
観光化されていない、歴史を感じる風景がありました。
黒壁の豪壮な長屋門のお宅があったり・・
時がゆったり流れているような風景の中に、伝説のお寺。
「摩尼珠山 医王院 松虫寺」
寺伝によれば、
745年(天平17) 聖武天皇の第三皇女不破内親王(松虫姫)の病気平癒を
喜んだ天皇が、行基に命じて建立したと伝わる松虫姫伝説に因むお寺です。
33年毎にご開帳のご本尊七仏薬師は、木造薬師瑠璃光如来坐像と
左右に3体ずつの如来立像の七仏薬師で、いずれも榧(カヤ)の一木造り。
平安時代後期の作として、国の重要文化財に指定されているそうです。
薬師堂裏に「松虫皇女之御廟」
遺言により、此処に分骨埋葬されたと伝えられています。
寺から約200mほど離れた緑陰に、姫の乳母にまつわる
「杉自塚」
数十基の庚申塔群に守られるようにして残されています。
姫の乳母 杉自は村人の貧しい暮らしぶりを見て、文字・養蚕・裁縫
など奈良の文化を伝えて少しでも暮らしを助けようと努め、村人に
敬愛されたので、村人は此処に塚を建て長く記憶にとどめました。
(説明板より)
にわかには信じがたいような伝説の真偽云々はさておき、
そのまま時代劇の舞台にでもなりそうな風景を其処彼処に
残しながら、決して寂れた感じのしないこの地が、今後も
安易な観光目的で俗化されることなくあり続けて欲しい・・
と、勝手な願いを抱きながら、駅へと向かう‘猫’でした。
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