日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

日本の偉人の一人? 聖徳太子??

2024年02月22日 08時16分40秒 | Weblog
今朝も春の雨がやまない信州の寒い朝です。世間では
菜種梅雨か??なんて言われてますが、まだ梅の花も咲
かない信州では来週月曜日まで雨や雪が降る予報です
今日は2月22日で巷では猫の愛好家たちが222の
語呂合わせで、にゃんニャンにゃんの猫の日とか言わ
れて朝から新聞もテレビやラジオも猫さんたちが多く
取り上げられていますが・・私の暦の方では、太子の
日。を取り上げたい太子会  622(推古天皇30)年、聖徳
太子が斑鳩宮で薨去した。聖徳太子ゆかりの広隆寺や
法隆寺(3月22日)・四天王寺(4月22日)等では聖徳太子の
遺徳を偲ぶ法会が行われる。なお推古天皇30年2月22日
という忌日は『上宮聖徳法王帝説』に記述されている
日附であり、『日本書紀』では推古天皇29年2月5日と
なっているようです。 
聖徳太子といえば、日本中で誰一人知らない者はいな
いくらいです。聖徳太子こそ、我が国の代表的偉人で
あり、日本の文化と平和(国家安泰)を象徴する最大
の人物という人が多いですよね。
昔から日本国民の信仰の対象として尊崇されてきた
「太子信仰」なるものがあって、「和国の教主」で
あり、「救世観世音菩薩」の化身としても仰がている。
二十歳の時、推古天皇が即位すると皇太子になり天皇
の政治を補佐する摂政という地位につかれ、すべての
政治の実権を委ねられました。
お太子さまは『法華経』『勝鬘経』『維摩経』を講義
するなど仏教に通じ、冠位十二階や憲法十七条を制定
されたり、社会福祉事業として四箇院の制を実践され
ました。片岡山で飢人に衣食を与えられたという物語
によってもお太子さまの愛民精神がいかに深いもので
あったかは推察できます。この聖徳太子が五十歳で亡
くなるまでの間に、国内は静穏に帰し、海外との関係
も深まり、飛鳥文化が花と開いて新しい日本国の礎が
定まった時代でした。そして日本の紙幣に何度も登場
したことでも有名ですよね。

先日の信州蝋梅の咲き始め・・







コメント (6)
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