日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

ノーベル平和賞の授賞式の日

2024年12月10日 07時12分22秒 | Weblog
今朝の信州気温が氷点下7度、空は雲一つない空です
冷たい空気がピーンと張り詰める朝が更に夜明けが遅
くなってきました。今朝のblogは、今日の暦からです

世界人権デー
1948年(昭和23年)の今日、パリ・シャイヨー宮殿で
開かれた第3回国連総会で人権宣言が採択されたこと
にちなみ、1950年(昭和25年)の総会でこの日を「人
権デー」としたもの。

ノーベル賞受賞式
ノーベルの死去したこの日にスウェーデンのストック
ホルムでおこなわれます。2024年のノーベル賞で日本
が受賞したのは、日本原水爆被害者団体協議会(日本
被団協)によるノーベル平和賞です。ノルウェー・ノ
ーベル財団は、核兵器廃絶に向けた努力と、核兵器が
二度と使われてはならないことを日本被団協が証言し
てきたことを評価しての授賞としています。 
被爆者の立場から核兵器の廃絶などを訴え、ことしの
ノーベル平和賞を受賞する日本被団協の代表団は、日
本時間の9日午前3時半ごろノルウェーのオスロ空港に
到着しました。空港で取材に応じた代表委員の田中煕
巳さんは「私があいさつする立場になっているので非
常に緊張していますが、今の核情勢が非常に厳しくな
っており、今まで被爆者が訴えてきたことをさらに強
く訴えて、その訴えを若い人たちに引き継いでいきた
い」と話していました。
日本時間の10日午後9時から行われる授賞式には30人
が出席し、3人の代表委員が登壇してメダルや賞状を
受け取ったあと、田中煕巳さんが演説をするようです。
演説では13歳のときに長崎で被爆し、伯母や伯父など
5人の親族を亡くした自身の体験などをもとに、核兵
器の非人道性や被爆の実相を語ることにしています。
代表団は今月12日までオスロに滞在し、それぞれの
被爆者が各国メディアの取材に応じたり、地元の学校
で被爆体験を証言したりする予定で核の脅威が高まる
なか、核兵器の廃絶などを世界に訴えることにしてい
ます。代表委員の箕牧智之氏 田中重光氏はオスロ空港
で取材に応じ「オスロに来ることができて大変光栄に
思う。戦争、核兵器大嫌い、平和が一番。この3日間、
一生懸命予定をこなしたい」と話していました。
また、田中重光代表委員は「ノーベル平和賞を受賞し
たということは亡くなった先人たち、すべての被爆者
が受賞したことだと思っている。今は核兵器が世界に
1万2000発以上存在しており、2度と被爆者を作らな
いために頑張っていきたい」と話していました。

三億円事件の日
1968(昭和43)年、東京・府中市の東芝工場の従業員に
支給されるボーナスを積んだ乗用車が、白バイ警官に
扮した犯人に強奪される「三億円事件」が起きた。
多くの物証がありながら捜査は迷宮入りし、1975
(昭和50)年に時効を迎えた。この事件以降、多くの
会社が給料の支給を手渡しから口座振込に切替える
ようになった。

今年も残すところ20日余りで愈々せわしなくなってき
ましたが、まだまだ大掃除も今日から始めようとプラ
ンはしたもの・・この寒さはなんとなく軽快にお掃除
とはいきませんが、何とか頑張って大掃除を始めたい。












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