日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

今日は、鏡開き 蔵開き そして塩の日

2025年01月11日 07時13分47秒 | Weblog
今朝の信州塩尻は、気温が氷点下8度、東と西の山際
に雲が見える程度で天空は快晴模様です。正月明けの
信州は北部と西部は大雪に見舞われていますが、ここ
中部と南部、東部は程々の雪で助かっています。大雪
の地域の皆様には改めてお見舞い申し上げます。
今日1月11日の暦を見ますと・・・
鏡開き その年の年神さまに供えた鏡餅を小さく割り
お汁粉などにして食べる行事。元々は武家社会の行事
で、具足開き(鎧や兜に供えた餅を雑煮などにして食
べた)といった。そのため、鏡餅は刃物で切ると切腹
のようだと嫌われて、手や木槌で割り、開くようにな
ったことから、鏡割りでなく、鏡開きというようにな
ったとのことです。
蔵開き 商売をする家では新年初めて蔵を開き、商売
繁盛を祈る行事をこの日に行う。鏡開きのように鏡餅
を割って食べるようです。
塩の日 1569年(永禄11年)に上杉謙信が、宿敵武田信玄
に塩を送り、「敵に塩を送る」という言葉のもとにな
ったことから。新潟県糸魚川市と長野県松本市間を結
ぶ「塩の道・千国街道」によって塩が運ばれた。
1月11日は、武田領の松本に塩が届いた日とされ、隣り
街の松本市ではこの日(現在はその前後の土日)に
塩市が開かれている(名称は江戸初期の頃より「飴市」
に変わった)。今年も今日と明日松本市の中心市街地
で飴市が開催され沢山の催事やイベントで多くの人で
賑わいがあります。
私の住む塩尻市という名前の由来は、幾つか色々な考
えがありますが有名なものは、海から塩を運んでいた
「塩の道」が、ちょうど塩尻の場所で終わっていたこ
とから、塩が運ばれた最終地という意味の「尻」をつ
かって、「塩」の「尻」、「塩尻」となづけられたとい
われています。ただこの塩は上杉謙信が、武田信玄に
送った塩の「敵にを送った塩」ではなく、我が町の地
名はそれ以前からありましたので、日本海からの塩と
太平洋からの塩などの商人たちが途中で塩を売りなが
ら来た最終地・・との事のようです。

写真は正月に大分の子供孫と行った駒ヶ岳ロープウェイ
の写真の途中景色です。










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