毎朝通る四谷見附公園。
以前ご紹介した大きなプラタナスの木がある公園。
↑こちらをクリックしてご覧ください。
通りすがり、何気なく木の向かい側にある植え込みに目線を落とすと、
何やら書いてありました。
「人生は舞台である」
朝は急いでいるので、その一行だけを読んで仕事へ。
「あの後には何が書いてあったのだろう?」
仕事中も、昼休みも気になって、気になって、頭から離れず。
2日目の朝。
今日は全文読んでみよう・・・通りすがりにその先を読んでみました。
「主役は、この木のように
上手から登場し、下手へと消える」
でもやっぱり朝は急いでいるらしい。
気持ちはあるのに、足が先に行ってしまうのよねん。
「あぁぁ・・・」と若干のけ反り気味で、今日は3行目まで。
たった数行、全文読むのに何日かかるんだろう私は・・・
でも、何かいいことが書いてあることは十分わかりました。
う~ん、ますます読みたいその先を。
3日目、今日こそは全文読むぞと
「全体止まれぇ~、いっち、にっ」
と心の中で号令をかけ止まり、最後まで読んでみました。
その文章がこれ。
※写真をクリックしてご覧ください
舞台の「上手」「下手」は左右にあるものですが、
私は上下にしてみました。
木のてっぺんを「上手」、地面が「下手」。
冬の間殺風景だった木に、春には緑が顔を出し、
夏には青々とした緑が茂り、それはやがて艶やかな色へ紅葉し、
やがて跡形もなく、上手から下手へと散っていく。
それは「未熟」から「円熟」していく一人の役者の人生のよう
でもあり、人の一生のようでもあり。
円熟へと向かう過程、その去り際、散り際に人は
「強さ」「潔さ」「はかなさ」を感じ自分の人生と重ね喝采を送り、
それはやがて人々の 「記憶」 となる。
「活動」なしに、「道」はできない。
「道」なしに、「記憶」は生まれない。
人々の「記憶」は「活動」をさらに飛躍・発展させ、それはやがて
「文化」となる。
(新しいものをどんどん発展させていく若者文化はまさにこれですよね)
時が過ぎ、その命の営みを引き継いで、枝には新しい緑が顔を出す・・・
それは伝統・文化が受け継がれていく様にとてもよく似ていませんか?
その「時の巡り」から歴史は創られていくのかも。
この詩の意味を考えていたら、こんな言葉を思い出しました。
人の数だけ生きる道が 時代を作るため張り巡らされた
その全てに それぞれが意味を授かって生まれてきたんだ
何十億にも分かれた道 小さなこの星のどこかで今も
交わってるんだ 喜びも悲しみも ひとつに
私の大好きな歌詞。
一人一人の道が交わりながら日々生き活動していくからこそ
「時代」ができる。
この2つの作品の意味ってちょっと似ていると思いません?
有名な人の詩なのかな?
このプラタナスの木のために作った詩なのかな?
長いこと四谷に住み、毎朝前を通ってるけれど、この詩がここに
あることに全く気付きませんでした。
植え込みの陰に隠れ、ここにこれがあることに気付く人が
いったい何人いるだろう。
こんなに素晴らしい詩なのにもったいない。
でも、ちょっと思ってみました。
あえて誰もが目にする場所に置かないからこそ、
見つけた時の驚きは大きい。
これを読んで何も感じないような人の目に軽々しく触れさせるには
惜しい。
このプラタナスの木はいつだってどっしりと構え、
下から見上げると ぐわぁ~ っと
持ち上げてくれるような包容力と優しさ、透明感があります。
この木が長年私の成長を見続けてくれたように、
私も子どもの頃からこの木を見上げてきました。
この木が美しいのは、揺らぐことなく真実を見据えているから。
外野の曖昧な情報に流されフラフラしてしまう人間とは違うから。
長い間ここに構え、街や人の移り変わり、歴史を全て知っているから。
時代の流れとともに、人々の喜びも悲しみも見てきたから。
恨み、嫉妬、怒り、焦りなどとは無縁の心を持っているから。
自分の美しさにおごることなく、何が大切なのかを知っているから。
だから、多くの人の目には触れず、ひっそりと植え込みの陰に隠れた
ここがこの詩にとって一番BESTな場所なのかも。
そして4日目の朝、
私の一人遊びはまだまだ終わらないのだよ。
これがどれだけ気付かないものか、通りすがりに公園を見渡し、
「そこに君がいること、私は全く気付いていませんよぉ~」
と涼しい顔で通り過ぎてみました。 ふふふぅ~ん
やっぱり気付かないわ・・・と確信。
それでもこの素晴らしい作品に出逢えたということはだよ、
「私は選ばれた人なのだ、お~っほっほ」
高笑いで鞄を振り回し、「よっしゃぁ~」と仕事へ向かうのです。
「単純」とは、人が幸せに生きていくために
大切な要素のひとつでございましょ。
下ばかり向いていてはダメと言うけれど、たまには下も向いて
みるものですね。
たった数行のこの詩を読んで、みなさんはどんな風景を想い描き、
何を感じましたか?
解釈は 無限 に・・・
以前ご紹介した大きなプラタナスの木がある公園。
↑こちらをクリックしてご覧ください。
通りすがり、何気なく木の向かい側にある植え込みに目線を落とすと、
何やら書いてありました。
「人生は舞台である」
朝は急いでいるので、その一行だけを読んで仕事へ。
「あの後には何が書いてあったのだろう?」
仕事中も、昼休みも気になって、気になって、頭から離れず。
2日目の朝。
今日は全文読んでみよう・・・通りすがりにその先を読んでみました。
「主役は、この木のように
上手から登場し、下手へと消える」
でもやっぱり朝は急いでいるらしい。
気持ちはあるのに、足が先に行ってしまうのよねん。
「あぁぁ・・・」と若干のけ反り気味で、今日は3行目まで。
たった数行、全文読むのに何日かかるんだろう私は・・・
でも、何かいいことが書いてあることは十分わかりました。
う~ん、ますます読みたいその先を。
3日目、今日こそは全文読むぞと
「全体止まれぇ~、いっち、にっ」
と心の中で号令をかけ止まり、最後まで読んでみました。
その文章がこれ。
※写真をクリックしてご覧ください
舞台の「上手」「下手」は左右にあるものですが、
私は上下にしてみました。
木のてっぺんを「上手」、地面が「下手」。
冬の間殺風景だった木に、春には緑が顔を出し、
夏には青々とした緑が茂り、それはやがて艶やかな色へ紅葉し、
やがて跡形もなく、上手から下手へと散っていく。
それは「未熟」から「円熟」していく一人の役者の人生のよう
でもあり、人の一生のようでもあり。
円熟へと向かう過程、その去り際、散り際に人は
「強さ」「潔さ」「はかなさ」を感じ自分の人生と重ね喝采を送り、
それはやがて人々の 「記憶」 となる。
「活動」なしに、「道」はできない。
「道」なしに、「記憶」は生まれない。
人々の「記憶」は「活動」をさらに飛躍・発展させ、それはやがて
「文化」となる。
(新しいものをどんどん発展させていく若者文化はまさにこれですよね)
時が過ぎ、その命の営みを引き継いで、枝には新しい緑が顔を出す・・・
それは伝統・文化が受け継がれていく様にとてもよく似ていませんか?
その「時の巡り」から歴史は創られていくのかも。
この詩の意味を考えていたら、こんな言葉を思い出しました。
人の数だけ生きる道が 時代を作るため張り巡らされた
その全てに それぞれが意味を授かって生まれてきたんだ
何十億にも分かれた道 小さなこの星のどこかで今も
交わってるんだ 喜びも悲しみも ひとつに
私の大好きな歌詞。
一人一人の道が交わりながら日々生き活動していくからこそ
「時代」ができる。
この2つの作品の意味ってちょっと似ていると思いません?
有名な人の詩なのかな?
このプラタナスの木のために作った詩なのかな?
長いこと四谷に住み、毎朝前を通ってるけれど、この詩がここに
あることに全く気付きませんでした。
植え込みの陰に隠れ、ここにこれがあることに気付く人が
いったい何人いるだろう。
こんなに素晴らしい詩なのにもったいない。
でも、ちょっと思ってみました。
あえて誰もが目にする場所に置かないからこそ、
見つけた時の驚きは大きい。
これを読んで何も感じないような人の目に軽々しく触れさせるには
惜しい。
このプラタナスの木はいつだってどっしりと構え、
下から見上げると ぐわぁ~ っと
持ち上げてくれるような包容力と優しさ、透明感があります。
この木が長年私の成長を見続けてくれたように、
私も子どもの頃からこの木を見上げてきました。
この木が美しいのは、揺らぐことなく真実を見据えているから。
外野の曖昧な情報に流されフラフラしてしまう人間とは違うから。
長い間ここに構え、街や人の移り変わり、歴史を全て知っているから。
時代の流れとともに、人々の喜びも悲しみも見てきたから。
恨み、嫉妬、怒り、焦りなどとは無縁の心を持っているから。
自分の美しさにおごることなく、何が大切なのかを知っているから。
だから、多くの人の目には触れず、ひっそりと植え込みの陰に隠れた
ここがこの詩にとって一番BESTな場所なのかも。
そして4日目の朝、
私の一人遊びはまだまだ終わらないのだよ。
これがどれだけ気付かないものか、通りすがりに公園を見渡し、
「そこに君がいること、私は全く気付いていませんよぉ~」
と涼しい顔で通り過ぎてみました。 ふふふぅ~ん
やっぱり気付かないわ・・・と確信。
それでもこの素晴らしい作品に出逢えたということはだよ、
「私は選ばれた人なのだ、お~っほっほ」
高笑いで鞄を振り回し、「よっしゃぁ~」と仕事へ向かうのです。
「単純」とは、人が幸せに生きていくために
大切な要素のひとつでございましょ。
下ばかり向いていてはダメと言うけれど、たまには下も向いて
みるものですね。
たった数行のこの詩を読んで、みなさんはどんな風景を想い描き、
何を感じましたか?
解釈は 無限 に・・・