ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 無能なリーダーは去り、立ち上がれ日本!!

2010-04-17 11:47:14 | Weblog

 生意気なことを言うようであるが、この齢になると何事にも先が見えてくるような気がし
てならない。若いうちは全く考えもしなかったことであるが、この齢になると全ての事象に
は有限性があるとの視点に立つことが出来るようになるので、自ずと見えてくるものがある。

 最近特に憂いていることは、日本という国の将来ことである。政権交代した時は、これで
日本もあるべき姿の国に変わるのではとの大きな期待があったが、今は国の責任を預かる鳩
山首相のリーダーシップの無さにより迷走しているのが現実である。従来の自民党とほとん
ど変わらない、あるいはもっと悪い状況に陥っているような気さえする。

 国だけでなく家庭でも会社でも方針や方向を決めることは、大きな意味を持ちそれだけ覚
悟を持って取り組むのが普通である。家庭であれば景気低迷で給与が減額になれば、それな
りの対応をし生活レベルを変えなければならない。従来と同じスタイルを続けることは出来
ないのは誰にでも分かることであり、自分の欲を抑えるのが普通である。限られた資源のな
かで如何に生きていくかを考えなければ生活ができないのである。

 会社であれば、如何にしてコストを削減するかを真剣に考えそれに対応する施策を定め、
実行することが経営者の責任である。特にコスト削減はいろいろな所から不平不満が出てく
るが、断固とした決意で臨まなければ会社が成り立たない。

 部下からの人気を気にしながら会社経営を行うような者は、始めから会社を動かす人物と
して不適格なのである。良く言われるが、厳しい経営者ほど本当に優しい経営者であると思
う。

 厳しい判断を下した時は、周りから批判が多く出るが危機が去った後に初めて厳しい経営
者の判断が正しかったと評価されるのである。このように経営者は辛い立場を何度も経験し
て最後に評価を得る割の合わない仕事であるがゆえに、それなりの覚悟を持った者が行うべ
きなのだと思う。

 それに比べて国の対応はどうなのだろうか。強いリーダーシップをもって国のために真剣
に考え対応している政治家や官僚がいるとは正直いって思えない。誰もが、自分の利益や権
限を守るために慢心しているだけで、あるべき姿に向かって直球で進んでいる人がいない。
意味のない調和を考えているだけである。

 痛みを伴わない改革はあり得ないことは誰でも分かっているが、いざ自分がその判断を下
し実行する際には、自ら傷つきながら前進する気概をもった大物がいない。その点、評価は
二分されるが小泉純一郎は一直線に進んだ政治家だと思う。良い悪いは別にして、好きなタ
イプの政治家である。

 全ての面で正しいことを成し遂げることができる人間なんていないと思うが、判断しなけ
ればならないときには何らかの決断をするのがリーダーの責任であり、それが出来ない者は
リーダーを降りるべきだと思っている。リーダーは孤独であるのが宿命なのだと思う。

 友愛という言葉で人に優しくすることは重要であり否定はしないが、痛みのない改革はあ
り得ないことを肝に銘じて、あるべき姿の国にして欲しい。弱い者に味方することは間違っ
ていないし、仏教を信じている自分として絶対に行うべきであると考えるが、全てが丸く収
まることはあり得ないと思っている。

 ある程度の犠牲は仕方のないことだと思う。仏教を信じる者として、釈迦と会話が出来る
のであれば、一部の犠牲の上に成り立つ多数の幸せの是非に関して教えを請いたいと思って
いる。

 日本の国の公的債務は、国内総生産の2倍近くに達し、世界に例を見ないレベルにまで来
ているというのに、まだ友愛路線で突き進むのかと心配を通り越して最近は怒りを感じるよ
うになって来た。今は良いかもしれないが、いつかはそのツケが自分たちの子孫に回る確実
な事実があることを、もっと認識しなければならないのだと思う。

 このままでは、日本の国が危ないと真剣に考えている。国民の意識を変え、多少の犠牲を
払ってでも正しい道を進む勇気を持たない限り、日本は世界から取り残され全体が駄目にな
ってしまう。

 そのためには、全ての者が自分だけの視点で考えるのではなく、全体の立場で考え多少の
犠牲は受け入れることをすべきであると思う。犠牲による心の哀しさは仏教が癒してくれる
と個人的に考えるこの頃である。この状況を打破し、立ち上がれ日本!!