先日TVを見ていると現在の教育に関して「ゆとり教育」から「詰め込み教育」に路線が
変わるような話題を取りあがているのを見ながら、ふと40年以上前の自分の時代の事を考
えた。
自分の時代は、社会基盤がまだまだ整っていない環境の中で学んでいた。低学年の頃は、
児童数が多く教室が不足していた関係で、午前と午後に分かれた2部授業体制であった。
今のように物が溢れている時代でなく、殆どの人達が生きることが精一杯の時代だったの
で、周りも必然と必死に生きていたと思う。このような時代であったがその頃は漠然とした
夢やそれを実現させるために頑張ると言った気力があったように思う。
なにしろ前に進むことが大きな目標であったから、確実に教育も「詰め込み教育」の時代
であった。当時はまさに詰め込まれる側に居たが、自分が詰め込まれているという意識は正
直言ってなかったと思し、それが当たり前の時代であったので何も疑問に思わなかった。
昔は今のように豊かな時代ではなかったけれども考え方は純粋そのものであった。そのこ
ろの考え方として自分が嫌な思いをしたら自分よりも年下の者には同じような思いをさせな
いようにすべきであるとの考え方が一般的であった。この考え方はいまでも身に浸みており、
自然と年下の者を扱う時にはそのような行動になってしまう。
今の若者は教育が「ゆとり教育」であり、社会にでると先輩が手とり足とり指導してくれ
る環境にあることから、自ら考えることあるいは自ら行動することができない人間になって
きている。とても可哀そうな時代だと思う。
昔は、先輩の仕事のやり方をこっそりと真似しながら、少しずつ自分のものにしていく所
謂先輩の背中を見ながら自分を育てるような感覚で取り組んできた。いまは教える側がお教
えられる側以上に気をつかっているのを見るにつけ本当にこのような方法で良いのかと心配
になってしまう。
全てが現在の経済の状況と同じように負のスパイラルに陥ってしまっていると思われる。
あまりにも過剰な優しさはかえってマイナスで、豊かな時代であるから厳しい指導が必須な
のかもしれない。反対に貧しい時代は、人間の暖かな優しさに包まれた指導が向いているも
のと思われる。
これから暫くの間は、人を育てる人は今以上に厳しく、また育てられれる側は自ら行動を
起こし前向きで取り組んでいく行動様式が必要であると思う。このような考え方が浸透すれ
ば、今世の中で生じているいろいろな問題点はかなり改善されるものと思われる。
是非ともこのような仮説に基づき行動し、教える側と教えられる側の双方ともに正しい意
識をもって対応し改善を図りたいものである。